第2話 出会った大怪盗

「ハァッハァッハァッ…………」



 草木が生い茂る山の中、道なき道を十代の少女が走って逃げていた。


 パッチリとした大きな瞳と整った顔立ちは充分に異性が振り向く可愛らしさに満ちている。小柄さも相まって無意識に守りたくなるその容姿は、お付きの騎士(ナイト)でもいそうな雰囲気を纏っていた。


 だが、そんな都合の良い騎士(ナイト)はいない。


 そもそも、このレシレイラ王国に少女の味方はいないのだ。



 「早く…………早く行かなきゃ…………」



 前に雨が降ったせいで、酷く地面が泥濘んでいる。足を踏み込む度に、その泥が激しく靴を汚すが、少女は構わず走り続けた。


 全力で逃げ続けているせいで、とっくに体力は限界だ。疲労が重くのしかかり、激しい呼吸で全身が爆発しそうなくらい苦しいが、止まるワケにはいかない。


 とにかく前へ。前へ。前へ。


 立ち止まってはいけない。


 逃げなければ全てが終わってしまう。



 「何処に逃げる気ですか? こんなハイキングもできないラデーズ山の中を走り回ってどうしようというのです?」



 後方から少女に向けられた女の声、警告が聞こえた。明らかに少女をバカにしており、獲物を追い込むのを楽しんでいる声だった。



 「はぁっはぁっ…………こ、ここ?」



 もうこれ以上走れないと、命も何もかも放り出して倒れそうになった時、少女の前方に山小屋が見えた。


 随分と年季が入っているが、何の変哲も無い山小屋だ。別に少女を守る城にも壁にも盾にもならない建物だ。だが、ずっと逃げ続けて疲労の限界だった少女は、無意識にその扉を開け中に入った。それが少女のせめてもの抵抗だった。



 「ほう? どうやら観念したようだ」



 少女が山小屋に入った直後だ。胸にレシレイラ王国の秩序警(イールミリ)を示す鷲獅子のエンブレムのついた制服を着た人間が何十人もやって来ると、素早く山小屋を取り囲むように陣形を組んだ。


 彼らは秩序警(イールミリ)という名の通り、国の治安を一手に担っている者達だ。彼らこそがレシレイラ王国の正義であり、そこに例外は無い。彼らが追う者は全て罪人だった。


 そう、どんな者であろうとも。



 「よし、ストップだ」



 草木を踏みしめる重い音と共に、秩序警(イールミリ)が組んだ陣形の中心に鉄の塊が現れた。


 秩序警(イールミリ)に配備されている特一級装備の鋼鉄車(ドルネイル)だ。並の武器や魔法では全く歯が立たない装甲を持ち、どんな不整地だろうと問題なく進める無限軌道(キヤタピラ)、あらゆる敵を粉砕する砲撃も備えた鎮圧兵器である。戦争に駆り出せる性能があるため、治安維持には過剰と言われていたが、国王の一声で導入された。不安や反対の声が大きかったが、国王はそういった者達を次々に処刑したため、この鋼鉄車(ドルネイル)に異論を持つ者はいない。



 「私は撃ちたくないのです。お願いです。そこから出てきてくれませんか」



 先程からの声は、この鋼鉄車(ドルネイル)の拡声器から発されている。秩序警(イールミリ)達の指揮官だ。この女性が少女を追い詰めて(弄んで)いた。



 「私、ゲヴェイア・ダンデライ・シュトラルガが約束致します。ここで姫様を捕らえはしても、ゲヴェイアは味方であると。帰った後、必ずや潔白を証明してみせます。ここはおとなしく私の前に出て来てくれませんか」



 鋼鉄車(ドルネイル)の出入り口(ハツチ)が開き、艶のある赤い長髪を靡かせながらゲヴェイアが姿を現した。四十前くらいの女性で、もう若くないのが外見から伝わってくる。おそらく、その若さは秩序警(イールミリ)の出世競争に捧げたのだろう。制服の胸にある鷲獅子のエンブレムが黄金色なのがその証拠だ。



 「ここで姫様を罪人のように扱うのは心が痛みます。ですが、これは王の命令なのです。私は仕方なく姫様を追っているのですよ」



 秩序警(イールミリ)の階級はエンブレムの色で示されている。一般警兵の茶色から始まり、警正長官の銀色、そしてその警正長官を束ねるたった一人しかつける事を許されない、警正総統を示す黄金のエンブレムがある。


 その黄金のエンブレムを胸につけているのがゲヴェイアだ。秩序警(イールミリ)を支配する絶対者であり、レシレイラ王国の秩序を創っていると言っていいだろう。



 「王は撃てと言っています。出てこなければ、私はこの鋼鉄車(ドルネイル)の炎で姫様を焼かねばなりません」



 鋼鉄車(ドルネイル)に乗っているとはいえ、秩序警(イールミリ)最高位の警正総統であるゲヴェイアは現場に出るような立場(下つ端)ではない。だが、王命なら話は別になる。王命の達成はゲヴェイアの地位向上を確実に約束させるからだ。


 警正総統の地位向上は王の側近入り(大出世)を意味している。つまりゲヴェイアが王命を達成すれば王族の関係者になれるのだ。これ以上ない身分と言っていいだろう。



 「…………絶対に出てなんかあげません」



 姫と呼ばれている少女は山小屋の中からこっそりと外を伺い、ワザとらしい説得をするゲヴェイアに呆れていた。


 少女は知っている。レシレイラ王国の秩序を担う秩序警(イールミリ)は、あのゲヴェイアのせいでムチャクチャになったのだ。ゲヴェイアは出世にしか興味がなく、レシレイラ王国の事など何も考えていない。警正総統もただの踏み台としか思っていない人物である。


 そんなヤツが秩序警(イールミリ)の役割を全うできるワケがない。ゲヴェイアが警正総統になってから、レシレイラ王国の治安は悪化の一途を辿っていた。



 「五つ数えましょう。それまでにどうか私の前にお姿を」



 ゲヴェイアがカウントを始めた。鋼鉄車(ドルネイル)の砲塔がゆっくりと動き照準を定める。



 「出ちゃいけない出ちゃいけない出ちゃいけない…………」



 少女はその場に俯くと、自身を鼓舞するように何度も呟く。


 ここで少女が出て行けば、その身はあっさりとゲヴェイアに拘束されるだろう。その後は逃走も抵抗もできず、そのまま王に殺されてもおかしくない。


 姿を晒すのは自殺と同じだ。少女は山小屋から出るワケにはいかなかった。しかし、かといってここにいるのも結末は同じだ。



 「八! 七! 六! 五! 四!」



 ゲヴェイアのカウントが減っていく。



 「三!」



 その数字を言った時だった。


 ドゥン! と、鋼鉄車(ドルネイル)が目標(山小屋)に向けて砲撃した。



 「ダメですよ姫様! 十数えるといって、バカ正直に十を数える者などおりません!」



 撃った先には何も残っていない。巨大な匙で乱暴に抉ったような地面があるだけだった。



 「アーッハッハッハッハッ! ありがとうございます姫様! これで私はまた一つ上に行ける! 最高の肥やしでしたよ!」



 満足気なゲヴェイアは鋼鉄車(ドルネイル)に潜り込むと、やって来た道へ転進した。それに兵士達も続き、すぐにこの場から去って行く。



 「ッ…………なんだ蚊か? チッ、いつかこんな山焼き払ってやる」



 ゲヴェイアは首筋を叩くが手応えはない。死骸の無い手をプラプラさせながら下山していった。


 誰もいなくなった山の中、すぐに静けさがやってくる。大量の人間達に驚いていた動物達は次第に姿を現し、木々をざわめかせる風が、抉れた地面を優しく撫でていた。


 当然だが、ゲヴェイア達が戻ってくる様子はなかった。


 それはそうだ。ゲヴェイアは目標(少女)を始末している。砲撃されて生きている人間などいない。



 「いなくなった…………のかな?」



 砲撃されたのなら、だが。



 「ど、どういう事でしょう?」



 少女は山小屋から外に出ると、トテトテと歩いて砲撃現場へ行った。


 間違いない。ゲヴェイアはここに山小屋があると思って砲撃したのだ。



 「私が見えてなかったみたいだけど……」



 そう、何故かゲヴェイアは少女のいる山小屋とは全く違う方向を見ていた。何もない茂みに向かってペラペラ喋っており、兵士達も不自然に思っていないようだった。ゲヴェイアの乗っている鋼鉄車(ドルネイル)を中心とした陣形を、茂みに向かって展開していたのがその証拠だ。ゲヴェイアに反論するのが嫌だった可能性があるが、例えそうだとしてもおかしい。去って行く兵士達に動揺はなかったし、誰一人として少女のいる山小屋を見向きもしないのだ。


 どういう事なのか。この山小屋が見えていたのは自分だけだったのだろうか。



 「ふざけるな女」



 「ひゃあッ!?」



 背後から声が聞こえ、少女はビクリと背中を震わせ声を上げる。



 「あれはオレの隠れ家だ。その隠れ家を、体力の無い貧弱どもが寄り添う山小屋と同じにするな」



 少女が振り向くと、そこには不機嫌な顔をした男が立っていた。外見から察するに年齢は三十前後で、少女を威圧するような視線を向けている。


 だが、少女はそんな視線より男の格好の方が気になっていた。



 「は、初めまして! えっと……お葬式の帰りですか? それとも結婚式?」



 「どうみたらこの格好がその二択になるんだ。ミジンコ並の頭しかないのか?」



 山中に似つかわしくないタキシードのような礼装をしているのだ。そして背中にはマント、手には白手袋なので、さらに違和感がものすごい。何かの妄想拗らせた者が山中に立っているとしか思えなかった。



 「ミジンコじゃないですよ! 人間ですッ!」



 「なら、もっと人間らしい思考になるんだな。それができたらダンゴムシに格上げしてやる」



 「なんで人間にならないんですかッ!?」



 「で、お前の名前は?」



 そんな格好をしている男性が、高圧的な態度を崩さず少女に聞いて来る。



 「え? な、名前ですか?」



 「どうした? 言えないのか? なら勝手に消えて野垂れ死ね」



 「そ、そんな事ありません! 言えますッ!」



 背を向けようとする男を少女は慌てて呼び止める。



 「わ、私の名前はエクスティです! あなたに会うためにやって来た、レシレイラ王国の王女です!」



 「そうか。オレはレイダークだ。で、お前を追っていた鋼鉄車(ドルネイル)に乗っていたヤツの名は?」



 「え? えと、ゲヴェイア・ダンデライ・シュトラルガですけど」



 エクスティはここへやって来た目的、自分の素性を言ったが、レイダークはそれらに一切反応した素振りを見せなかった。何の疑問も持たず話を流している。



 「わかった。では、ヤツに然るべき報いを与える」



 「は、はい?」



 レイダークは勝手に事態を進め始めた。



 「何を呆けている。オレはゲヴェイアというクソ女に罰を与えると言ったんだ。理解できないのか?」



 「いや、あの、その何というか、理解はできるんですが意味がわからないといいますか……どういう事なのかとか、どういう流れでそうなってるかとか全然わかりませんし……あと、私がレイダークさんに会いに来た理由を言ってないのですが……」



 「何故オレがお前に理由を話す必要がある? お前の理由を聞く必要がある?」



 「えーと……はいそうですね……」



 エクスティはレイダークが唯我独尊なのを理解した。



 「では行くぞ」



 「へ? 行くって何処に――――――――ぃぃぃぃぃッ!?」


レイダークはエクスティの手を掴み空を仰ぎ見ると、そのまま飛び上がった。


 その勢いは凄まじく、冷たい風が頬を撫でたかと思うと、あっという間に雲の高さにまで来てしまう。急過ぎて風情も何もあったモノでは無かった。



 「ああああああああああっ! なんでどうしてぇぇぇぇぇッ!? もう地上があんなにーーーーーー!」



 「うるさい女だ」



 レイダークは落ち着いているが、エクスティは空を飛んだ事などない。眼下に広がる絶景を眺める余裕はなく、ワーキャー喚くしかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る