愚者の王国(短編集)

一路傍

第一話 悪役令嬢に花束を

 冷凍睡眠コールドスリープの魔法によって――


 その下級貴族の少女は、多くの国民の前で氷漬けに処された。


 身分が低いくせに、王子の歓心を買って、婚約まで果たしたせいで国が傾いた、というのが主な理由だった。


 もちろん、たかが王子の色恋沙汰で傾くほど国も脆くはなかった。だが、衰退期にきていたのは事実で、すでに地方では幾つか暴動も起きていたし、折からの飢饉に対する不満で国民感情も爆発寸前だった。


 要は、そんな不満のはけ口として、悪役令嬢への刑の執行が必要とされたわけだ。


 氷漬けにされる期間はおよそ百年……


 目覚めるときには友人など誰も生きてはいないだろうと、少女は告げられた。


 彼女の家族も。個人的な資産も。連座して奪われる家名も。もちろん、婚約した王子さえも。何もかもが失われているはずだ、とも。


「いっそ、断頭台に送られた方がいいのではないか?」


 刑吏の魔法使いは少女に冷淡な口調で尋ねた。


 だが、少女は決して首を縦には振らず、眠りにつくことを選んだ。なぜなら、少女は無邪気にも王子の言葉を信じていたからだ――


「約束するよ。いつか必ず君を助けにいく」


 もっとも、結局のところ、その約束は一向に果たされることがなかった。


 こうして、後の史書に『愚者の王国』と揶揄され、「全ての責をたった一人の少女に押しつけた」とまで記された王国はわずか数年で潰えたのだった。



   ★ ★ ★ 



 そもそも、悪役令嬢に転生したのだと気づいたのは、少女が十歳になったときだった。


 好きだったゲーム『愚者の王国』に出てくる傾国の少女――ヒロインの聖女には絶対に敵わない上に、下級貴族だから出来ることといったらせいぜい子供っぽい嫌がらせぐらいで、どんなルートでも悲惨な結末を迎えるキャラクターだということだけはよく覚えていた。


「でも、負けやしない――」


 そんな破滅ルートは御免だとばかり、少女はむしろヒロインに献身した。


 身も蓋もない言い方をすれば、地べたを這いずり回ってでも、下級貴族として相応に振舞って、悪役などという矜持はもちろんどこかにぽいっと放り捨て、見事なモブになりきろうとした。


 ゲームにアフターストーリーはなかったはずなので、エンディングの先はさすがに知らなかったが、氷漬けにされるにしても、断頭台に送られるにしても、少なくともその期日さえ乗り越えられれば何とかなるはずだと信じて努力する日々を送った。


「君はいったい、誰だい?」


 だからこそ、本来、ヒロインと結ばれるはずの王子が、よりにもよっているはずもない、ただの街中で――


「ええと、私は――」

「いや、名前などいい。君がいい。そう。そのままの君でいてくれて良いのだ」


 なぜか少女を気に入ってしまったことは、実に誤算以外の何物でもなかった。


 どうやら運命というのはわだちのようにはっきりとした跡を残して、少女にその上を強引にでも進ませたいらしい。少女も「これが運命力か」と舌打ちするしかなかった。


 こうして、社交パーティーデビューのイベントで、ヒロインの聖女が失恋で泣き崩れると――


 努力もむなしく、少女は傾国の悪役令嬢として追われることになった。


「国のことなどどうでもいい。僕は君と共にいたいんだ」


 王子は一緒に逃げようと、少女の手を取ってくれた。


 馬で共に平原を駆け抜け、誰もいない丘陵を上がっていった。田舎道ではあったが、花がそこら中に咲いていた。そんな美しい光景を見て、少女はふと思い出した――


 かつて王子は「君の笑みが好きだ」と言ってくれたことがあった。


 街にお忍びで下りてきた王子は少女を花屋でたまたま見かけた。それが二人のなりそめになった。「その笑みがどんな花よりもきれいに咲いていたから」――と、キザなことを言って、王子は口説いてきたのだ。


 もっとも、少女はというと、王子よりも花の方がよほど好きだった。


 その色合いも、香りも、あるいはそっと包んでくれるやさしさも。何より、咲き誇る気高さも。枯れ落ちる儚さでさえも。


 だから、下級貴族とか、悪役令嬢とか、そんなものはいっそ全て捨て去って、本当は花々に囲まれて静かに暮らしたかった。ゲームとか、ヒロインとか、運命力とか、全くもって無関係な場所で生きていたかった――


「――はずだったんだけどな」


 少女は丘陵で感傷にひたった。


 もちろん、そんなことはもう望むべくもなかった。追手はそこまで迫ってきていた。


 それでも、王子は一輪の花を手にすると、人好きのする温かい笑みを浮かべてくれた。


「約束するよ。いつか必ず君を助けにいく」


 少女はその花を受け取って、言葉ではなく、笑みだけを返した。


 王子が好きだと言ってくれた笑顔だ。せいぜい、王子の心の中で、いつまでも咲いてくれればいいのにと願った。


「いたぞ! 双方、捕えよ!」


 王子に比して乱暴に押さえつけられる中で――


 最早、王子の言葉を無邪気に信じて待つしかなかった。もしくは、せめて祈りを捧げるくらいしか出来なかった――いっそこんな世界は夢であってほしい、と。


 氷漬けにされるエンディングなんてゲームの中だけにしてほしい、とも。


 とはいえ、この世界の神はあまりに無慈悲で残酷だった。



   ★ ★ 



 氷漬けにされても、不思議と意識だけはしっかりとしていた。


 目は閉じていたので暗闇に包まれていたし、氷の中なので静けさに支配されていたが、考え事をする時間だけは無駄にあった。


 もっとも、失意の中にいたせいか、もといた世界のことを懐かしく思い出すことの方が多かった。


 不治の病だったか、あるいは不死・・の病だったか――


 いずれにしても、幼い頃から無数のチューブに繋がれて病床でずっと過ごしてきた。本とゲームだけが友人だった。


 そんなときだ。


「何だ、ここ……」


 ある日、病室を間違えたのか、同い年ぐらいの男の子が入ってきたことがあった。


 どうせすぐに出て行くだろうと無視していたら、どうやら大量の本とゲームに興味を示したようだ。まるで宝物庫でも見つけたかのように目を輝かせていた。


 が。


「なあ、おい、苦しいのか?」


 ふいに、その子が声をかけてきた。


 残酷な言葉を投げかけてくる子供だなと思った。


 とはいえ、腹が立ったから、せいぜい笑みを浮かべてから答えてやった。


「全然、苦しくなんかないよ」


 もちろん嘘だった。


 本当はすぐにでも死んでしまいたかった……


 だが、父や母が生きてほしいと願って、こうして治療している以上、そんなわがままは言うことすら許されなかった。


「ふうん、そうか。頑張れよ」

「もう二度と来るな」


 辛辣な言葉で返したはずなのに、少年はたまに病室にやって来た。


 本とゲームに見事に餌付けされてしまったようだ。もっとも、共通の趣味と話題を持ったことで、少女にとっても少しは気晴らしになった。


 ただ、どうもその子は、『愚者の王国』だけはお気に召さなかったようだ。


「ありえねー。このキャラ、助けられないじゃんか」


 少年は携帯ゲーム機を少女のベッドの上に放り投げてよく拗ねていた。


 助けられないのも当然だ。そもそも、悪役令嬢はモブでしかない。ヒロインには決してなれない端役に過ぎないのだ。


 だが、少年は飽きもせずに様々なルートと分岐を熱心に確かめた。少女は首を傾げた――そんなに悪役令嬢を助けたいのかな、と。もしかしたら、悪役令嬢が好きなのかな、とも。


「ふふ」

「何だよ?」

「ううん。何でもない。助けられるといいね」


 とはいっても、その子と遊んだのは、半年ほどもなかったはずだ。


 不治の病の治療法が確立するまで、まだ若いうちに冷凍睡眠コールドスリープの施術を受けることが決まったのだ。


 面会謝絶となる数日前に、その子は病室にやって来た。


「約束するよ。いつか必ず君を助けにいく」


 ゲームに出てくる王子の台詞をそのまま言って、少年はにこりと笑ってみせた。


 多分に子供っぽい、あまりに無邪気な笑みだった。だから、こちらもせいぜい強がりで笑い返してやろうと思ったら――


 なぜか、ぽろ、ぽろ、と泣いていた。


「大丈夫か?」

「……うん」


 そのとき、少女は初めて気づいた。


 本当は、少女だって、助けてほしかったのだ。


 この惨めさから。あるいは、寂しさから。もちろん苦しさからも――


 そして、少女は戻っていった。あまりにも永く、冷たい、孤独という名の暗闇の中へと。たしかにあのとき魔法使いの言った通りだった。こんなことならいっそ、断頭台に送られた方がまだマシだ。



   ★ 



 あまりにも長い時をぼんやりと過ごしてきたせいか。少女にとって、夢とうつつの境界がしだいに定まらなくなっていた。


 ここがベッドの上なのか――


 それとも、城の地下牢獄で氷漬けにされたままなのか――


 そんなことすら、実感としてよく分からなくなっていた。すぐそばにいれくれたのが、王子なのか、少年なのか、そんな簡単なことすらも……


 それでも、さながら壊れたレコーダーのように、


「約束するよ。いつか必ず君を助けにいく」


 その言葉が暗闇の中でリピートされると、少女は条件反射のように手を伸ばした。


「待って、お願い!」


 だが、その手も、声も、決して届きはしなかった。


 追いかけようとしても前に進むことが出来ない。距離だけがしだいに広がっていって、気がつくと、少女はたった一人だけ、枯れた花が、ぽつり、ぽつり、とあるだけの場所に取り残されていた。


 すると、今度はどこからか、やさしい声が聞こえてきた。


「もし助けることが出来るとしたら、君はどうしたい?」


 はっとして、少女はあたりを見回した。


 だが、やはり誰もいなかった。


 少女は仕方なく花弁にそっと触れた。その箇所だけ、花はあっけなく朽ちていった。


 だから、少女は強がって笑ってみせた。いつかこの闇の中でも花がきれいに咲いてくれるようにと願って――


「私は、お花屋さんになりたい」


 直後だ。


 世界はまた暗転していった。


 少女は無力にも闇の渦へと放り込まれた。


 そして、直ることのないレコーダーが再度、「約束するよ。いつか必ず君を助けにいく――」という台詞をリピートするまでの間、少女はずっと彷徨い続けることになった。


 断続的な夢と――


 ――どこまでも果てることのない闇。


 百年もの間、それが少女にとっての全てだった。



   ☆ ☆ ☆ 



「――博士の実証的な研究がきっかけとなり、時間停滞症候群はもう私たちにとって脅威ではなくなったのです。以上、本日はご拝聴、誠にありがとうございました」


 ホールに拍手が響き渡った。


 壇上にいた初老の男は腕時計に視線を落とすと、パネリストの席には戻らず、すぐに会場から出て、用意されていた車に乗り込んだ。


「講演が遅れた。約束の時間まであと一時間もない。間に合わせてくれ」


 老人はそう言って、運転手を急かした。


 おかげで車は高速道路を抜けると、わずかな時間で病院へと着くことが出来た。


 老人は忙しなく白衣をまとって病室に入った。


 そこには医療機器が並んでいた。無数のチューブがベッドに伸びて、その上では少女が薄く目を開けて横たわっている。


「間にあってくれたか……」


 老人は「ほっ」と一つだけ息をついた。


 看護士がすぐにそばにやって来て、ひそひそと耳打ちをする。


「先生。先ほど、目を覚ましたばかりです。血圧、脈拍ともに正常ではありますが、どうも軽い記憶障害を起こしている可能性が見受けられます。いかがいたしますか?」


 老人は「ふむ」と肯き、ベッドに近づいた。


 少女は怯えた目つきで老人の顔をじっと見つめる。


「おはよう。気分はどうかね?」

「…………」


 だが、少女は口を小さく開けたまま、言葉を上手く出せずにいる。


「起きたばかりで申し訳ないのだが、一緒に行ってほしい場所があるんだ。実は、もう時間がさほど残っていなくてね。お願い出来るかな?」


 老人はそこまで言うと、車椅子を少女のベッドの脇につけた。


 少女はきょとんとして、何とか言葉を絞り出す。


「や、く……そく?」

「そうだ。ずいぶんと長い間、君が目を覚ますのを待っていたんだ。なあに、現地に着いてしまえば、数分もかからん。理由もすぐに分かるよ。いいだろうか?」


 すると、少女はためらいがちに「う、ん」と小さく返事した。


 看護士が少女を車椅子へと丁寧に乗せて、すぐに病院から外に出ると、老人は自らそれを押しながら少女と一緒に裏手にある高台のスロープを上っていった。その途中、ロボットや、立体映像に話しかける人を目にするたびに、少女は驚きの視線を向けた。


「世界がずいぶんと変わってしまってびっくりしたかい? 何しろ、君の時間は百年間、止まったままだったからね」

「ひゃく、ねん、とまった?」

「そうさ。時間停滞症といってね。老いることもなく、ずっと眠り続けていたんだ。前世紀までは、不治の病、あるいは不死・・の病とまで言われていた」

「ひゃくねん……も」

「まあ、寝ていた君にとってはあっという間だったかもしれんが、我々にとっては長い時間だよ」

「…………」


 冷凍睡眠の魔法が現実だったのか、それともただの夢だったのか――


 少女には分からなくなっていた。ここがゲームの世界の未来に当たるのか。あるいはゲームの世界なんてものはただの妄想に過ぎなかったのか。ただ、そうはいっても、この胸の内にある想いだけは本物のような気がした。


 しばらくの間、少女はその想いに身を寄せるようにして、じっと黙り込んでいたが、スロープも終わりに差しかかる頃になって、やっと、どこか思いつめた声音で老人に尋ねた。


「あの……あなた、もしか、して、ゆめのひと?」

「ん?」

「おなじゆめ……ずっと、みてた」

「どんな夢だったんだい?」

「おうじがでてきた」

「ほう。私は医師だがね」

「まほうかけられた。れいとうすいみん?」

「それは夢ではないよ。治療法が確立されるまで、君は眠りについていたからね」

「ぐしゃのおうこく?」

「ほう。懐かしいな。古典だよ。こんな老いぼれでも知っている。今でもシリーズが出ているからね」

「かならず、たすける――そう、いってくれた」

「ふむ。そうか」


 老人は短く答えると、しばらくの間、押し黙った。


 そして、ゆっくりと頭を横に振った。


「だが、残念ながら、それは私ではないな」


 二人の間に気づまりな沈黙が下りた。


 老人は車椅子を押し続け、少女は俯きながらもどこか哀しそうな表情を浮かべた。


 だが、スロープをちょうど上りきったところで、老人は少女に笑みを向けた。前方を指差して、少女に温もりのこもった声で告げる。


「おそらく、その人は、私の養父なのだと思う。父はそこに眠っているよ」


 丘陵の頂上は開けていて、お墓が一つだけあった。


 そして、それを囲むようにして、わずかばかりの花が咲いていた。


「父は研究が上手くいかないとき、眠っている君のそばに行き、何かをじっと語りかけていたそうだ」


 老人は墓石の手前まで車椅子を引くと、腕時計に目をやった。


「何しろ、かなり旧式の立体映像でね。レコーダーも壊れていて、この時間でないと上手く作動してくれないんだ。映像のファイルだけ、抜き出して機器を一新しようかとも思ったんだが……それだとどうにも味気なくてね。まあ、その理由は見てくれれば分かるはずだ。ほら、もうすぐだよ、五、四、三、二――」


 次の瞬間だった。


 一人の男の映像が浮かび上がってきた。


 初老のはずだが、全身に熱意がみなぎっており、そのせいか肌もまだ若々しい。笑みを浮かべてみせると、どこか少年のような面影も見て取れる。


 そんな男がホログラムとなって、少女に向けて話しかけてきたのだ――


「もし、これを君が見てくれているなら、きっと僕の息子や後輩たちが研究を進め、その成果が実ったということになるんだろうね」


 男は穏やかにそう語って、照れ臭そうに笑った。


 少女はその男の顔を真っ直ぐに食い入るように見つめた。


 その笑みを忘れるはずもなかった。病室によく来てくれた少年――その曖昧だった輪郭が眼前の男と重なって、記憶がしだいに鮮明となっていく。


「まずはごめん。僕が必ず助けると、眠っている君のそばで何度も誓ったけど、僕では君を治すことができなかった。だけど――」


 そこで男の言葉が途切れると――


 突然、丘陵に幾つもの立体映像が上がってきた。


 そこには王子の姿があった。男の子が成長した姿によく似ていた。白いタキシードを着て、その手にはウェディングブーケまで持っている。


 追手はどこにもいない。映像の端にはハッピーエンドという文字も浮かんでいる。


 同時に、赤、青、黄、白と――無数の彩りの花々や緑の木々が丘陵に生えていき、花弁が風に流されて、色鮮やかに少女を包みこんでいった。まるで温かい魔法のようだった。


「あのとき、君がお花屋さんになりたいと言ったから、僕はこの台地に花を咲かせてみたよ。もう君の時間は停まってなんかいない。前に進むことができるんだ。だから、いつか、君の心に幸せが咲くことを願って、僕はここに眠ることにするよ……愛している」


 直後、少女の頬を涙が伝った。


 映像の男性を抱きしめるようと、少女は自力で車椅子を前進させる。


「うん……わたし、も、まいにち、お花、とどける、よ。一人ぼっちになんかしない。ずっと、ここにきれいなお花。咲くようにするから」


 それは百年もの間、ずっと暗闇に覆われていた少女の世界に――多くの色彩と言葉が溢れ出てきた瞬間だった。



(了)

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