休日 / マスクス
9月8日
昨日最後の客が旅立ったあと。新しい客は来なかった。いつも通りのルーティンをこなして終わり。
ここしばらく忙しかったからこんな日があってもいいだろう。ああ、シロの散歩に付き合ってもいいな。
※ ※
かつん、と乾いた音で目が覚めた。
どうやら疲れが出ていたらしい。暖炉の前のソファに体を預け本を開いたところまでは覚えているが、そのあとストンと寝てしまったようだ。
サイドテーブルにハードカバーを置くと、窓の外を見る。
静かな夜だ。
虫の音色すら、ない。
ショルダーホルスターからつり下がった相棒の感触を確かめる。ちらりとジャケットを覗けば、暖炉の明かりを受けて銀色の光が見えた。
それを引き抜きながら立ち上がる。小さくなった床の音。
たまに爆ぜる薪の音を除けば、しんと静まった室内。
強烈な違和感。
ぐるりと部屋を見回せば、暖炉の明かりの届かない部屋の隅の闇が、やけに深く感じた。
(さっきの音は……)
室内灯のスイッチに目を向ける。三歩の距離。だが、一歩も踏み出せずにいた。
何かが、いる。
自分の知らない気配。この場所は自分の経営する宿屋から繋がっているものの、許可なく入ることは不可能だ。
物理的にも、魔術的にも。
だがそこに、確かに、自分の知らないものがいる。
静寂。薪の爆ぜる音。
いつまでそうしていただろうか。ふっ、と急にその気配が消えた。
弾かれるように構えた拳銃。深い闇に向けたその銃口の先に、いつの間にか存在したのは闇に浮かび上がるような白い、それ。
仮面だ。
顔の上半分を隠すような、ヴェネチアンマスク。
心臓に冷や水が飛び込んできたような感覚。
なぜそんなものがそこにあるのか。
「おやおや。物騒ですねェ」
刹那の間を置かずに銃口を声のほうに向け発砲。立て続けに三発。
だが、放たれた弾丸はどこも穿つことなく宙に留まった。
男がいた。
シンプルな、切り抜いたような笑みを浮かべたマスク。シルクハット。白いカッターシャツ。同じく白い手袋。闇に溶け込むような黒の、胴のやたらと細いジャケットとスラックスパンツ。同色の靴は、もはや闇と同化して目に映らない。
「マスクス……!」
「仮面ヲ被リシ者、と正確に呼んでほしいところですが、まぁ、いいでしょう」
男が手を振ると、パタタ、と軽い音を立てて落ちる弾丸たち。
その手をそのまま帽子にあてると、軽く浮かべるように。
「お久しぶりですね、シロガネさん」
「こっちは二度と会いたくなかったがな。何しにきやがった」
敵意を隠さない白銀に、仮面の男は大仰に肩をすくめた。
「お判りでしょう? コレの回収ですよ」
一体いつの間に。男の手には先ほどのヴェネチアンマスクがあった。
暖炉の明かりとは違う、不思議な光をぼんやりと放つそれ。
「私はあなたたちのように寛容ではありませんのでね。自分と同じ存在など、おお、想像しただけで身震いしてしまいます」
自らを抱きしめるようにして、男は震えて見せた。
何も答えず、銃口もそのままの白銀の様子に男はまた大仰に肩を落とす。
道化。そんな印象の男だ。
道化は手にしたヴェネチアンマスクを自分の仮面に重ねた。すると、それらは溶け合って一つの仮面になった。
マスクに空いた目の穴は暗く、その奥は何も見えなかった。
空虚。虚無。漆黒がそこにあった。
「用はそれだけか。なら帰れ」
「おや冷たい。久々に会ったというのに。それに」
道化は右手の人差し指で自らの仮面をトントンと叩き、
「なぜ、ここにこれが来たか気になりませんか?」
「……」
白銀は答えなかった。
「我々にとって仮面は特別です。力の証、頂点の証、つまり、選ばれしものの証。誰に? あの方に。我々にはその力を振るう権利と、その期待が込められています」
自分すら知らない情報があった。道化はこちらを気にした様子もなく、大仰な身振り手振りを交えながら朗々と言葉を紡ぐ。
「こんなところに、いつまで引き篭もっているおつもりですか? 『銀燭の魔術師』?」
「……」
白銀は答えない。ただ、構えたままの銃を握る力が入り、擦れる音が小さく響いた。
「フフフ。さて、本題です。あの仮面は本来この世界に顕現するはずだった力の揺らぎ。それが我々の影響を受けてあのような形をとったものです。あなたや、あの男が世界を渡るたびに揺らぎに影響を与えることでしょう。そしてそれはどの仮面として形作るのか、誰にも予想できないと思います。いえ、ああ、そう。あの方なら、もしかすれば。ですが」
数多に存在する時空の泡。その中の力の揺らぎに外部から現れる自分たちが影響を与えてしまうことに、白銀は気づいてはいた。ただ、それがどのような結果を招くのかまでは予想ができていなかったが。
「では、私はそろそろお暇させていただきます。やっと表の世界にこうして姿を晒すことも叶いましたし、十分な収穫です。どうぞ皆様、お見知り置きを。またお会いしましょう」
表の世界? 皆様?
今までだってこの世界に何度も現れていただろうに。
道化のセリフには時折、白銀の理解ができないものが混じる。まるでここにいない誰かに説明するような。
恭しく礼をとると、次の瞬間には道化の姿は消えていた。
まるで最初からそこに何もーー
轟音。壁を吹き飛ばし、黒い影が一条の紅い光を帯びて突入してきた。
「奴は!?」
「消えたよ」
舌打ち。あの男と呼ばれたーー闇乃は剣をしまうと、埃まみれになったソファーに腰を下ろし、深く息をする。埃で咽せないのが不思議だ。
アレは、普段あまり感情を表に出さない闇乃が許せないものの一つだ。
「……なぜ仮面がここに現れた」
「わからん。影響する力の波及なのか、元々この次元に現れる予定だったものが、〝たまたま〟今ここに現れたのか」
あの道化の言うことを間に受けるのであれば、だが。
仮面。
我々の力の象徴。源泉。具現。
そして、呪いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます