第6話 理由

 ふと目を開ける。室内は既に明るく、仕事が始まるいつもの時間ではないことに気が付いた。

 慌てて起き上がろうとすると、ひどく身体に痛みが走った。


 「うっ」


 見ると腕に包帯が巻かれており、それ以外にも小さな傷跡が身体の至る所にあった。


 そうか……昨日……。


 目を覚ましたスノウの脳内に一瞬で昨日の出来事が思い返される。

 思い返すと、どこか現実味がない、夢のような出来事であったが、身体に刻まれた傷跡がそれを現実だと言っている。


 そこで我に返るスノウ。


 まずい!仕事!寝坊だ……!


 周りを見るとアレックをはじめ班の皆はいなかった。部屋にいるのは夜勤の班が寝ているのみ。完全に寝過ごしていた。


 起こしてくれよ……!


 そう思わずにはいられなかったスノウは慌ててアレック達の元へ向かおうとする。

 しかし宿舎の部屋を出て走るスノウを呼び止めた者がいた。


 「おい、そこのお前」


 っなんだよ……もう……。


 自分の立場を棚に置いて面倒くさそうに声のした方を振り返る。

 声を掛けたのはしっかりと軍服を着た若い女性だった。


 珍しいな、ここで女なんて……。


 スノウが不思議に思うのも無理はなかった。

 この砦において女性は炊事場か医務室あたりにしかいない。他はスノウが知る限り女傭兵くらいだ。

 その女性をよく見ると、顔立ちも良く、軍服を着て、おまけに帯剣までしているではないか。これがそこら辺にいるような女じゃないということはすぐに分かった。


 この偉そうな女、明らかにここじゃ上位の奴だな。


 すばやくそう結論付けるスノウ。


 「はい、何でしょうか」

 「スノウという男はどこだ?」


 俺かよ……。何かあったっけ。


 「私ですが」

 「そうか」


 そう言うと彼女はすこしばかり沈黙してこちらをじっと見つめる。

 気まずい時間が流れた。


 「ちょうどいい。着いてこい」


 有無を言わせずにそう言うと歩きだす彼女。

 スノウは上官らしき女の命令に従わざるを得なかった。


 彼女に連れられて行ったのは監督官ロデクの部屋だった。

 彼の部屋をノックもせずに開ける。


 「ロデク。こいつを借りるぞ」

 「クリス様!びっくりさせんで下さい!!」


 さすがのロデクも面食らった様子で叫ぶ。


 「閣下からこの者に話がある」


 クリスと呼ばれた女は謝罪もせずに要点だけを伝える。


 「まったくいつの間に帰ってきてたのか……。ああ、その事ですか。わかりました、どうぞ好きにして下せえ。ところでクリス様、ここにいるスノウにはご自分のことを話したんで?」


 うん?と首を傾げるクリス。なんのことを言っているのか分からない様子。

 ロデクは溜息をつくとスノウに紹介する。


 「こちらにおられるのはシア閣下の副官であるクリス様だ。ここで二番目に偉いお方だぞ、失礼のないようにな」


 ちょうど最近は所用で砦を離れていたのだ、そう続けるロデク。

 なるほどそれは知らないわけだ。ロデクの言からして昨日今日あたりに帰ってきたのだろう、そうスノウは当たりをつけた。


 「では閣下の元へ行くぞ」


 当の本人はスノウの反応を気にもせずにそう言うと歩きだす。

 慌ててスノウは着いていく。

 

 シアから用があるとは前から言われていた。遂に来たか……。

 向かう途中昨日のことを思い出す。

 魔狼の恐ろしい爪、牙、そして朱く光る眼。

 自分に迫る奴を殺した感触が今でも生々しくこの手に残っていた。





 クリスの連れられ、スノウはシアの執務室の前に来ていた。

 クリスが扉をノックする。


 「閣下」


 中から返事がありスノウは入室を促される。


 「失礼のないように」


 意を決して扉を開ける。


 広い部屋だったがどこか温度が低い気がした。

 応接間も兼用しているようで客人用の椅子とテーブルもある。だが私物らしきものは全くない。

 執務机に大きな曲刀が立てかけられており、その机に男が座っている。

 スノウがその男、シアの前に立つと彼は見ていた紙から目をこちらに向けた。


 美しい瞳がスノウを射貫く。吸い込まれるような視線、心が見透かされそうだった。

 その視線がスノウを離れ背後に向かう。


 「クリス、ご苦労」


 クリスが静かに一礼して下がる。

 扉が閉まる音が聞こえた。


 「どうかな、ここは」

 「どう、とは」


 この殺風景な部屋のことなのか、この忌々しい砦のことなのか。


 「この砦だよ、どう思う」

 「私のような戦えない者には危険すぎる場所です」

 「そうだな、だが必要だ。例え君のような非戦闘員でもな」


 この砦で兵士達を支えているのは裏方の人員だ。食事を作り、傷を治療し、武器を作る。彼らがいるからこそ兵士たちは戦えるのだ。だが兵士がいないとここはすぐに崩壊するだろう。

 危うい均衡の上にこの砦は成り立っていた。


 「魔獣と戦ったそうじゃないか。強かっただろう、あれは」

 「はい。もう二度と戦いたくないです」


 もう二度とごめんだ。


 「ふふふ、そうか。……だが、スノウ、君はここから出たいんだろう?」


 含みのある言い方でシアは一度そこでスノウに考えさせるかのように間をおいた。


 「通常の奴隷としてここへ来たのならば一年ここで労役に就けば元の場所に戻ることができる、通常ならばな。だが君は違うんだよ、スノウ。君は自分がどんな罪を負っているのかわかっているか?反逆罪、貴族の暗殺未遂、横領罪……、他にもいくらかあったぞ。大層な凶悪犯罪者じゃないか、とてもそうは見えないがな」

 「おれはやってない、嵌められたんだ!」

 「だろうな。だが罪は罪だ。君がいくら否定した所で裁判によって罪は確定し裁かれた結果ここへ来た」

 

 淡々と事実を告げるシアにスノウは乞うようにして問う。

 

 「あんたなら……、あんたならなんとかできないのか……?」

 「無理だ。私にそこまでの力はないよ」


 シアは非情な現実を突きつけた。


 「問題はそこじゃないんだよ、スノウ。君には罰金が科せられている。その額……王国金貨十万枚」


 王国金貨十万枚……。あまりに途方もない金額だ。貴族でさえ一度では払えないだろう。それこそそんな金を都合できるのは大貴族と呼ばれる連中くらいか。

 はっきりと言えば不可能に近い。


 「君はここで王国金貨十万枚相当の働きをしなければならない。つまり今のままじゃあ一生ここから出ることはできない」

 「じゃあ、どうすれば……」


 実質の終身刑を宣告され、何も考えることができない。スノウを絶望が支配する。


 「戦え、スノウ。ここの魔物共を狩って金を稼げ」


 シアは導くように語り掛ける。


 「この砦はな、スノウ。防衛の拠点の他に違う側面を持っている。魔物の素材だ。やつらの中には魔道具になりえる素材を持つものがいる。さらに強い個体から得られる素材、これが貴重だ。それらを供給する役目をこの砦は担っているのだ。この王国にある魔道具の多くがこの砦から得られた素材を用いて作られている」

 

 魔道具……、人が通常起こすことのできない奇跡を起こせる道具。非常に貴重なものだ。当然高額で取引される。平民ではとても手がでないような値段。

 魔道具の正体は魔物の素材だった。一般人には知りようのない真実。

 その素材を求めて傭兵たちはこの場所に集まり、奴隷たちは唆されて送られる。


 「お前には何か目的があるはずだ。そのために何をすべきか考えろ」


 スノウは悩む、ここで一生を過ごすのか、それとも危険を覚悟で魔物と戦うか……。

 だが心の中では既に答えは決まっていた。


 なんとしても金を稼いでこの砦から出ていく。

 そして父を殺し、俺を嵌めたやつに復讐する……。

 そのためだけに今俺は生きているのだから……。



 シアは先ほどまで目の前にいたスノウのことを考えていた。

 くすんだ赤い髪、暗い瞳、そしてどこか陰がある青年。おそらく貴族の権力につぶされたであろう哀れな男だ。


 スノウと入れ違いに入って来ていたクリスは静かに主の言葉を待っている。


 「どう見た?」

 「まだ宿ったばかりかと。あの素人丸出しの動きでどうやって奴らと殺しあったのか、わかり兼ねます」

 「そうか、それもそうだが一度の戦闘で宿るとは妙なことだ……、何か理由があるのか……」


 独り呟くシア。


 「いずれにしろ貴重な人材だ。大事に育ててやらないとな」


 皮肉だ。ここでは残念なことに兵士は酷使される。

 軍の兵士のように訓練や演習でゆっくりと長い時間をかけて育てることはできない。

 明日にでも実戦に投入されるだろう。


 「耐えれますか?彼に」


 クリスは彼がこのままではすぐに死ぬだろうと予想する。

 特別な思い入れはない。ここでは容易に人が死ぬ。その姿を何度も見てきたからこその予想だ。


 「耐えるさ。強い執念を感じた。それに……耐えれなければ死ぬだけだ。変わりはいくらでもいる」


 シアの冷淡な声がこの砦で生き抜くことの厳しさを物語っていた。

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