第5話 罰

 鐘が鳴っている。最近ではこの音もすっかり聞き慣れたが、今日は少し事情が異なる。

 命の危険がある罰、そしてこの砦で命の危険を感じることと言えば襲撃、それらが無関係とは到底思えない。


 「俺たちは何をさせられるんだ、アーチ」

 「絶対に教えてやるもんかよ」


 そう拒絶するアーチだったが、隣の部屋からは落ち着きのない雰囲気が伝わってきていた。


 鐘が鳴りだしてからすぐに兵士たちが来る。

 二人は檻から出され、足早に移送される。


 やがて二人は魔物たちが襲撃してくる砦の北側、防衛のために陣地が組まれている場所に到着した。

 兵士たちは隅に置かれていた木でできた檻を二つ、陣地の中に移動させるとそこに二人を連れていく。


 アーチは檻が近づいてくると喚きだす。


 「ちくしょう!いやだ!死にたくない!」


 あばれるアーチをいつの間にか来ていたジェイルがぶん殴っておとなしくさせ、手枷をはずし檻の中に放り込んだ。

 檻の中で倒れるアーチが涙を流す。


 「いやだ……死にたくねえよぉ……」


 スノウも檻に入れられる。

 ジェイルがスノウに近づいてきて、檻越しに話しかける。


 「お前らには囮になってもらう。ここでやつらの気を引け、死にたくなかったら自分でなんとかしろ」


 ジェイルはそう言い、檻の前の地面に一本の剣を突き立てる。檻から手を伸ばせば届く距離だ。


 「これがお前らに与える罰だ。これがこの砦のやり方だ」


 アーチの方にも同様にして言う。


 「お前はわかってるよな、アーチ。ここで役に立てるってことを証明しな」


 そう話しかけてジェイルは離れていった。



 取り残されたスノウは突き刺さっている剣を見、そして抜いた。

 檻の隙間から中に入れる。

 初めて持つ剣はどっしりと重く、存在感があった。

 素人目に見ても手入れはされているように見え、磨かれた刀身、そして切っ先は鋭い。

 少なくとも粗悪品ではなさそうだ。


 檻を見る。木製だがしっかりとした作りで、丈夫そうだ。


 檻の隙間から剣で突き刺そう。そうすれば時間を稼げるかもしれない。


 そう判断したスノウは剣を構えて待つ。


 場には緊張感が高まっていた。

 心なしか足が震える。

 奴らが近くにいるのを感じる。


 「くそっ、死んでたまるか……」


 自分にそう言い聞かせるスノウ。


 谷の奥に広がる森、その森から坂を駆け上がるようにして魔獣が来る。いつか見た魔狼の姿によく似ていた。

 魔狼は群れを成しており、二十頭前後かと思われた。

 飢えた獣が餌に群がるように、一目散に駆け寄ってくる。朱く光る眼が何よりも恐ろしかった。


 奴らは近くの檻の中に獲物がいることがわかるとより一層速度を上げた。そしてうなり声をあげ、檻に飛び掛かった。


 遂に来た、とスノウは剣を構える。

 飛び掛かる複数の魔狼が檻に体当たりする。その衝撃で檻が転がった。

 スノウは上下反転する檻の中で、剣を抱き体を丸め必死に耐えた。剣なんて使う暇もなかった。

 やがて檻は何処かの壁に衝突して止まった。

 檻が軋む。留め金が外れ、接合部が緩む。


 痛む体を無視してスノウは呻きながら正面を見る。


 今は我慢しろ!前を見るんだ!


 スノウに何匹もの魔狼が迫っていた。

 魔狼は止まった檻に再度飛び掛かり、隙間から前足を伸ばして必死に掻く。

 スノウは前足の爪に引っかからないように身を目いっぱい引き、剣で切り払う。

 しかし、思うように傷を与えられない。


 なんて固い毛だ!


 固い剛毛が剣から身を守っていた。スノウの腕ではこれを切ることは難しい。


 粘るスノウに魔狼達はより安易に狩れる獲物を求め散る。

 だが檻の前に一匹の魔狼が残った。


 見逃してはくれなさそうだ。


 残った一匹の魔狼は狂ったように檻をひっかき、噛む。

 凄まじい猛攻に檻の木片が飛び散る。

 スノウは剣を突き刺し、なんとか時間を稼ごうとする。

 魔狼は歪む檻に身体を突き入れ、隙間を広げていく。

 焦るスノウは迫ってくる魔狼のむき出しの腹を見た。


 腹は毛が薄いぞ。


 これなら、と防御が薄い腹に剣を突き刺す。柔らかい肉の感触があった。

 だがスノウの素人じみた攻撃では浅い傷しか与えられなかった。

 どこかに命を奪うことに遠慮があったのかもしれない。


 魔狼は傷を負わされたことで、より激しく暴れ出した。

 顔をさらに前に出しスノウを噛もうとする。

 スノウの顔に魔狼の生臭い息がかかる。


 くそったれ!!


 何度も腹に剣を突き刺し抵抗するが、それにも関わらず迫る魔狼。

 魔狼の体を両手を伸ばし押しのけることしかできない。

 前足の爪がスノウを襲う。

 最早時間の問題だった。


 ここで死ぬのか……俺は?


 スノウが死を覚悟した次の瞬間、魔狼の身体が横に吹き飛んだ。

 何事かと見るスノウ。

 

 「よう、まだ生きてるか?」


 ジェイルが立っている。


 「よく時間を稼いだな。お陰で今回は死人が少なくて済む」


 そう言ってジェイルは離れていった。

 スノウは痛む体を押して半壊した檻を出る。

 周りを見渡すと戦いは終わりつつあった。

 兵士たちは掃討へ動いている。


 終わった……。


 生き残った、そう確信してスノウは歩き出す。

 一刻も早く安全な所へ行き、身体を休めたかった。

 だから、後ろで起き上がる魔狼に気づけなかった。

 魔狼は最後の力を振り絞り、牙を剥いて襲い掛かる。その瞳の先には届きそうで届かなかった獲物がいた。


 歩き出すスノウだったが、ふと違和感を感じて振り返る。そして目の前には奴がいた。

 迫る魔狼の、その眼を見た。死んでもスノウを殺すという覚悟。

 

 スノウには瞬間、時がとても遅く感じた。


 なぜこいつはここまでして俺を殺そうとするんだろうか。

 逃げればよかったのに……


 そんなどうでもいいことを思った。

 俺かお前かどちらが勝つか。


 勝負だ。


 スノウは腰に剣を据え、直感に従ってただ真っすぐと突き入れる。

 覆いかぶさってくる魔狼の腹に剣が吸い込まれる。

 肉を貫いていく中で、手に何か固い物を割ったような手ごたえを感じた。

 

 スノウの顔の目の前に魔狼の顔があった。

 顔に息がかかる。だんだんとその間隔が小さくなり、眼から光が失われていく。

 スノウの横に斃れる魔狼。

 今度こそ魔狼は死んだ。



 スノウは呆然と青い空を見た。

 様々な感情があった。

 生き残れた安堵、勝った喜び。

 魔獣の恐怖、油断した自分への怒り……。

 でも今は何も考えれなかった。



 「やるじゃねえか」


 気がつけば、ジェイルが横に立っていた。

 差し出された手を掴み、起き上がるスノウ。

 感情をうまく処理できなくて立ちすくむことしかできなかった。


 「悪かったな、剣だとお前に当たる可能性があったから蹴ったんだ。いつもはあれで動けねえはずなんだがな……。まあそれは置いといて、初めての戦闘でこいつらを倒せる奴は珍しいぜ」


 そう言われて、スノウはじわじわと生き残った実感がわいてきた。

 感情が制御できずに、涙があふれる。


 やった、やったんだ。生きてる……俺は生き残ったんだ!! 


 手を見る。手にはまだ剣があった。だが離そうとしてもどうにも指がこわばって剥がれない。


 「くそっ、なんでだ……?」


 普段なら意識するまでもなく行えていることに苦戦するスノウ。


 「ほら、手ぇ貸せ」


 ジェイルはそう言ってスノウの手を取り、丁寧に手をはがしてくれた。


 「誰だって最初はこんなもんだ。気にすんな」


 気がつけば、身体は震え、いつの間にか小便も漏らしていた。


 「治療してもらって今日はよく休め。後の処理は俺たちがやっといてやる」


 ジェイルはスノウの背中を叩くと、送り出す。


 歩きだしたスノウだったが、頭の中はいっぱいだった。

 

 この砦ではいつもの風景。この戦闘だって時間にしたら僅かなもんだ……。


 だがスノウにとっては違う。


 途中アーチのことを思い出した。彼が入った檻を探す。

 アーチのいた檻はスノウがいた場所から随分離れた所にあった。


 ぼろぼろに壊れた檻、その近い場所にアーチはいた。

 首を噛まれたのだろうか、皮一枚で繋がっている。腹には穴が空き、内臓が周囲に散乱していた。


 スノウはアーチの死体を見下ろした。そんなスノウをアーチは恨めしい目で見る。

 死んで当然な奴だとは思っていた。だがこの死体を見ると、憐れみを感じた。


 こんな死に様はいやだ、俺はこうはならない、なってやるものか……

 生き残って見せる、必ず。そして───

 

 スノウは再度、誓いを胸にした。

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