楽園の焔

@atami_room

第1話 檻の中の男

 太陽も昇りきった空の下、大小様々な荷を積んだ行商隊が緩やかな傾斜の踏み慣らされた道を進んでいる。


 まわりを見渡すと雄大な自然が広がり、前方には巨大な山脈、後方に広がる森林の遥か向こうにはわずかに町のようなものが見える。

 周辺には人の手がはいったようなものは全くといっていいほどない。

 しかし、そのような辺境を進む行商隊にしてはあまりに隊商の規模が大きく、そしてなによりその周りを固める護衛の存在がこの行商隊のいかめしさを表していた。


 彼らは時折談笑しつつも常に誰かがあたりを油断なく見渡しており、匂いや音、風向きにも注意を払っている。

 護衛の装備を見てみると、剣や槍が多く遠距離用に弓を背負う者も多い。


 いずれもよく使い込まれたもので、貴族が使うような過度な装飾がついたものではなく無骨で実用的なものばかりだ。

 防具は動きやすさを重視した軽装だが、胸や頭といった急所を金属や革で守っており、長旅のトラブルに対して防御力を最低限発揮しつつ、疲労も極力抑えられる装備になっている。


 このことから彼らは非常に優秀な者たちだということが伺いしれた。

 また商人達自身も武器を持っており、非常時には誰もが戦闘に参加できるようにしている。


 そんな物々しい行商隊が運ぶのは、酒や食糧、武器、防具、そして何より目立つのが人だった。

 荷物である人は二種類に分けられた。檻の外にいる者と檻の中にいる者。


 檻の外にいる者は行商隊の一員として隊に加わり旅を供にしている。

 彼らは旅に慣れているようで自然体落ち着いている。


 一方の檻の中にいる者は手枷を付けられ服装もぼろきれ、つまり奴隷としてここにいた。

 彼らは一つの檻に十数人、そんな檻がいくつも見える。

 皆一様に下を向き目もうつろでこれからの未来に絶望しているようにも見える。

 

 奴隷たちを運ぶ馬車の御者をしている男が檻に振り向いて言う。


「今日の夕方には到着だ。」


 馬車の横を歩いている男も声をかける。


「どうせ逃げられないんだ、覚悟を決めるんだな」


 対する奴隷たちの反応はない。それを見て男たちは目を合わせて肩をすくめた。

 奴隷達の反応は見慣れたものだと言わんばかりに……。



 数ある檻の中でもひと際異彩を放つ檻があった。

 中を見ると、皆手枷と足枷、そして首に鎖を繋がれている。

 ここは罪人の檻、それも重罪を起こした者の集まり。


 ぶつぶつとひたすら独り言をつぶやいている者、顔に大きな傷がある明らかに裏社会に属している風貌の者といずれも普通とは言い難い雰囲気がある。

 皆一癖も二癖もあるような人物ばかり。


 そんな檻の中に一人の男がいる。

 顔に暗い陰を落としてはいるが、まだ若い青年。

 暗い目で虚空を睨んでいる。


 彼はこの異常な者の集まりの中では少し雰囲気が違った。

 ふてぶてしさや堂々とした振る舞いはなく、小さく縮こまっていた。

 男は彼らをちらりと見るとばれないように静かに息をついた。

 

 俺は……こいつらとは違う


 男は自分にそう言い聞かせた。

 だがこの先に待ち受けることに対して不安は隠せない。


 この檻に放りこまれたときは意識朦朧としていたため、犯罪奴隷として兵役に就かされるとしか知らなかったが、旅の途中護衛たちが話していたことをまとめると、自分がどうやら北西にある国境近くの砦にとして向かい兵役に就くということが分かった。

 そしてそこがどうしようもなく危険だということも。


 つまり自分は死刑宣告を受けたに等しいのではないか。

 だから我々奴隷たちは皆一様に暗い。

 なんの希望もない、この世の終わりかのような顔をしている。


 だがここで少し疑問を覚えた。

 檻の外にいる者たちのこと。

 彼らは何故そんな危険な所に自ら行くのだろうか。

 逃げようと思えばいつでも逃げられたというのに……。


 そもそもここに至るまでの道中も危険なことばかり。

 最後に立ち寄った町を発ってから何度か賊の襲撃を受けたが、狙いは人ではなく物資のようだった。


 この隊が積んでいる荷物のことを考えれば当然だ。

 しかしこの隊の護衛は皆明らかに精鋭といっても差し支えないほどに強く、さらにはこの手のことに慣れているようだった。

 さらに数は少ないがこの隊の荷物であるはずの人、檻の外にいる者たちも荒事に慣れているようで、手慣れた様子で賊共を殺していた。


 荷を運ぶ馬もただの馬ではない。

 男が知っているよりも遥かに大きく、筋肉質で、周囲の荒事に対してやけに落ち着いている。

 少し見えたその目からは知性さえも感じられた。


 明らかに賊に対する戦力としては過剰ではないかと感じたが、その答えはすぐにわかった。


 賊を何度か退けた後、襲撃はぱったりと止み何もない日が続いたが、山の麓に入った途端、今度は魔物の襲撃が始まった。


 狙いは明らかに人。

 新鮮な血肉を求め、涎を垂らした獣が隊を襲った。


 姿形は狼のようだったが、朱く輝いていた目がより恐怖をそそった。

 普通の狼ならば武装した隊は襲わない。弱った獲物を襲う。

 だがこの獣は相手が誰だろうがひるまず襲い掛かってきた。

 

 魔の力に毒された狼、故に魔狼、そう言われた。

 男はその時ばかりは檻のなかにいることを感謝した。

 自分が狙われればきっと為す術もなく死んでいただろうから。



 襲撃が何度かあったあと、護衛の男たちが「これが最後だろう」と話していたので思わず気が緩んで大きく息を吐いた。

 背中にある治りかけの傷が疼く。

 それを見て対面に座っていた強面の男が話しかけてきた。


 「兄ちゃん、魔物を見るのは初めてか?」


 男は突然話しかけられ少し驚いたが、こちらを気遣うような声色を感じたので、コクリと頷いた。


 「初めて見るのがあんなのとは、少し同情しちまうなぁ」


 どういう意味だろうと思って考える。

 確かに魔物は初めて見るが、危険な存在だと教えられた。

 実際その通りなんだな、と思っていたがそうではないようだ。


 「あれは普通の魔物じゃねえ。見ただろ、あいつらを。恐ろしく血に飢えていて、凶暴で、どう見ても正気じゃねえ」


 確かに奴らのあの様子じゃあ、たとえ相手が伝説の竜だろうと突進しかねない様子だった。

 そのことを伝えると、


 「そうだ。ここらへん魔物はあんなのしかいねえってな、まあウチんとこの界隈じゃ有名だったのよ。半神半疑だったが本当だったな」


 強面の男はそう言うとヒヒヒと笑った。

 随分と肝が据わっている。

 

 男はつい尋ねてしまう。


 「あんたは知ってるのか?この先に何があるか……」

 「『楽園』だよ、裏の世界じゃあ有名な場所さ」


 強面の男はニヤリと笑う。


 この先にあるという砦。ただの砦ではないのだろう。

 裏世界の住人には有名な場所か……。

 碌な場所じゃないことだけは確かだ。



 男たちを乗せた集団は山道を往く。

 やがて木々が伐採された跡が目立ち始め、道の見通しもよくなってきた。

 そこに巡回中と思わしき兵達が馬に乗って来て、行商隊の長に何事かを話し、同行する。

 さらに進むと、木材で作られた壁や櫓が見え始め、いよいよもって目的地に近づいてきたことがわかった。


 そのまま坂を上ると、先に見える巨大な二つの切り立った山、その隙間をふさぐようにして砦が建っているのが見えた。

 石材でできた堅牢な砦。

 崩壊した跡が所々に見えるが、何度も補修された形跡も見える。

 壁の向こうは見えないが、周りは山脈に囲まれ、谷が続いているのかもしれない。

 風は音を立て、その谷に吸い込まれるように吹き付ける。

 まるで何かを誘うように……。


 遂に男たちは目的地に到着する。だがここからが始まりだ。

 なぜならここはこの国で最も危険な場所の一つ、国境にある北の砦。

 人と人、そして魔物が血みどろの闘争を続ける場所。


 その場所に一行は吸い込まれるようにして消えていった。

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