イニシアチブに憧れて
葉月まどか
第一章 変わり変わられ入り乱れ
第1話 事の始まり
今日も残業か。
別に嫌ではない。
特に嬉しくもない。
ただ仕事は嫌いではない。
大学卒業後、地元の文具店に就職してそのまま5年が経つ。
元々文房具を集めるのが趣味だった俺は、店にいることが幸せだった。
沢山の文具類に囲まれて毎日を過ごす。
気付けば県内に4つある店舗の一つを任されている。
とりわけ仕事が溢れている訳ではないけれど、部下たちには定時に退社させて上げたいという気持ちから、閉店後の残務処理はいつも一手に引き受けてしまう。
一日一日が早い。とにかく加速する毎日。
何も進んでいない。何も変わらない。
いや、それでいいのだ。
大きな変化は大嫌いだ。
適応する能力が人一倍無いのだと思う。昔からそうだ。
小学校のときから、遠足や社会科見学の日に必ず体調を崩していた。
そう、いつもと違うからだ。
給食ではなくお弁当の日というだけでも体調に不安があった程だ。
とにかく変化が嫌いだ。何事もいつもと一緒が良い。
『何も変わらない』
この世で最も好きな言葉だ。
諸行無常・盛者必衰という言葉があるが、あれはダメだ。
この世の物全ては変化し続け、栄えるものもいつか必ず衰えるという。
あの言葉は絶望でしかない。
全ての人類に生きる活力を失わせる言葉だと思う。
逆に常に進化し続けるのが人生だ!などという者もいるが、努力し続けないといけない上に、変化し続け必ず衰退するならばその努力はエンドレスという事になる。
それの何が前向きなのか。
諸行無常・盛者必衰などと格好の良い言葉で人生振り回されるくらいなら、『何も変わらない』という言葉を実現するための努力をして生きると決めた。
正に今だ。何も変えないでいるには最も適している生活だ。
収入面でも丁度良いし、店長というポジションも急なシフトや残業に振り回される確率も少ない、自分で分かっているならばそれは変化ではなくただの『予定』だ、平社員ではその『予定』ですらコントロールし辛い。欲を言うなら店長よりも一個下あたりの副店長か主任が望ましかったが、微調整が出来なかった。
そして何より恋人や伴侶も勿論いない。
いてはダメなのだ。毎日が目まぐるしくなりすぎてキャパオーバーになるだろう。
恋愛ほど他人に依存しなければいけないものは他にない。
・・・・・しかし、・・しかしだ、
まさにそれだ。
なんという誤算だろうか。
俺としたことが・・・・・。
気になる女性が出来てしまったのだ。
悩みの種だ。
最近9月に入り来年度の手帳コーナーを新設したその日から頻繁に出入りしているあの女性。いつになっても手帳を決められずにいる。
もう二週間にもなるだろうか、今日も来ていた。
しかも何も買っていない。
目当ての手帳が無いのかと店員がお尋ねしたものの、顔を赤くして逃げて行ってしまう。
妙に気になっていた折、毎日17時に店に来ることに気付いた。
毎日髪をポニーテールにし、毎回違う色のヘアゴムを使用している。
近くの銀行の制服を着ている。銀行員なのだろうか。
理知的でいながらどこか幼い雰囲気が漂いつつ、それでいて上品な顔つきをしている。肌も白く雪の様である。
更に気付けば毎日その17時を待っている自分がいた。
『何も変わらない』のが良いはずなのに、今日彼女は手帳を買うのかどうか期待してしまう。注目し、脳内では様々な憶測をしてしまう。
自分用なのか、贈り物だろうか。
そして毎日その見目麗しい容姿に魅入ってしまっていた。。
気にしてはいけないのだ。気になっているのは変化だ。
気持ちの変化が一番マズい。
今日も残業しながら、そんな女性への雑念を深呼吸しながら払う。
「恋とか、マジで洒落んならんやろ・・・・。」
ついつい独りごつ。
今晩は特に仕事が捗らないので、22時を以って帰宅することにした。
店の裏に停めてある唯一の生きがいであるバイクに跨る。
バイクに乗り出してから3年になるが未だに飽きない。
愛車はトライアンフ『ボンネビルT214』をカフェレーサー風にカスタムしたものだ。
思いっきりセパハンでハンドルを垂れ下げ、シートもシングルシート。
バイクは一人で乗る事を前提に作られているからこそ美しい。
タンデムやマスツーリング等で二人以上で楽しむものではないのだ。
二人以上で楽しみたいなら大きい車を買えばいい。
俺は常々そう思っている。
キーを捻りクラッチを握りこみ、セルを回す。
何も刺激なんかいらないと思い生きている俺だが、この時だけは心が沸き立つのが分かる。
今日もいつも通り、機嫌良くエンジンがかかる。
「安定の音だ。本当に信頼に足るやつだな。」
このボンネビル、もはや相棒だと言える。
こいつと一緒であれば変化のない毎日がいかに素晴らしいか、再認識出来るというものだ。
いつも通り仕事をして、いつも通りの音でエンジンを回し、いつも通りの道を帰る。
これが自分の幸せなのだ。
悦と安心感に包まれながらいつもの音楽を聴く。
ヘルメットの中にはライダー専用に作られた、Bluetooth規格のレシーバー内蔵薄型スピーカーが入っているので心地よく音楽だって聴ける。
「このいつも通りの感覚。素晴らしいな。」
夜の街を爽快に駆け抜ける。少しだけ肌寒いが気にならない。
家までもう後半分くらいか。
帰ったら夕食に何を拵えようか、先に風呂に入ろうか考えていたその時。
身体が痺れた。
痺れたように感じた。
じわじわ指先や頭のてっぺんあたりにピリピリしたものを感じる。
あ、やばい。めまいかも。
目の前も砂嵐のように霞み、視界の色彩もモノクロ、セピアの様に薄まってゆく。
これはやばい。今すぐ停車しよう。
そう思ったときだった。
目の前が突然暗くなった。まるで部屋の電気を消したように。
それに先ほどまで聞こえていた音楽もぴたりと止まった。
身体が無くなった様な感覚。無くなったのに感覚なんてあるのか?
いや?違う。
感覚が無くなったんだ。
周りの空間も感じられない。
一瞬だ。まだ一秒も経っていない。気をしっかり持て。
バイクで意識を失ってしまったら一撃必殺で死んでしまう。
しかし今握っているはずのハンドルも、跨っているはずのバイクの感覚も無い。
マズい。どうなってる?
いや・・・・、もう死んでしまった後なのか?
死んだことに気付いていない霊が存在すると聞くが、これが正にそうなのか?
あぁ・・・・。俺のいつも通りの人生もこれであっけなく終わりなのか。
どちらにせよ元々執着がなかったので、とりわけ残念さや後悔なんてあるはずもなく、『死後の世界が面倒くさくない事を祈る』と、漠然と事態を受け止めることにした。
さて、閻魔様とかマジでいるのかな。ちょっと楽しみだし、このまま待ってみよう。
長いな。もう10秒は経つ。ずっと無感覚でいるのは流石に少し恐怖を感じる。
あの世の入り口もアトラクションみたいに混んでいたりするのだろうか、面倒くさい事この上ない。
そうして待っていると感覚がじわじわとさざ波のように戻ってきた。
感覚?死んだのに?
疑問に思っていたらそのじわじわは強烈な風の様な物と高速で飛んでいるかのような音に変わる。
「え?バイクに戻った?」
一瞬で目の前に風景が流れた。
風を切っているが夜の街を走っているのではない。
「え?森?」
俺は森を走っていた。木々以外に何も見れない程深い森。
そこに申し訳程度に出来ている獣道を走っている様だった。
何だこれは、何だこれは。
頭がおかしくなった?夢なのか?それともこれがあの世なのか?
混乱している。とにかくこの速度で走り続けるのは危険だと思い、止まることにした。
過ぎる違和感。
ん?ブレーキが無い。
紐?
俺は愛車のハンドルではなく、何故か紐を握っている。
違う。愛車ではない。
バイクの衝撃だと思っていたが違う。
驚愕した。絶句した。
俺は馬にまたがっているではないか!?
「え?ちょ、まっ・・・・・・!」
焦った瞬間に急に体のバランス感覚を失った。
今まで乗れていたであろう状態が急に看破されたように、制御を失った。
馬は突然頭を振り乱し、尻を跳ね上げる。何度も何度も。
背中の異物を振り払おうとするように。
必死にしがみつく。訳が分からないが落ちるわけにはいかない!!
身体が半分ずり落ち、馬の側面にしがみ付くような姿勢になる。地面が体の横スレスレで高速で流れて行っている。
(し・・・・死ぬ!!!死んだのに死ぬ!!)
何度だって死んだっていい。しかし痛いのと怪我でじわじわ苦しむのは嫌だ!
ここは絶対にしがみ付いてみせる!!どうせなら崖から落ちて一撃死したい!!
何分経っただろうか。馬と格闘し、横腹にしがみ付いてから随分経っている様に感じる。森はとっくに抜けていた。しかし景色を楽しむ余裕などないのは言うまでもない。
頼む馬!止まってくれ!!
もう握力が限界なんだ!!!
手の力が入らなくなってきて、いよいよここまでかと、痛みに耐える準備を始めたその時。
『はっ!はっ!どうどう!』
声が聞こえた。
どこから聞こえたのだろうと周りを見回す。
いや実際は見回せない。そんな余裕もなければフクロウの様な首は持っていない。
雰囲気だけ察知しようとした。
並走している馬が一頭、それに誰かが乗っているようだ。
誰かが止めようとしてくれているのか。
するともう一度
『よしよし、ええでぇ。そのまま止まりぃ。』
その声と共に馬は減速し、やがて止まった。
『よしよし、ええ子やなぁ。』
馬をなだめる声が聞こえる。
俺は震える限界の腕を開放するように離し、地面に落ちた。
あぁ。大地だ。愛おしい。よく映画で空軍パイロットが着陸後に地面にキスをするシーンがあるが、あの気持ちと意味合いがよく分かった。今の俺なら地面と結婚できるさ。
やがて声の主はこう語りかけてきた。
『あんた、なにやっとんの??』
多分俺に聞いているのだろう。ちゃんと返答しなければ失礼に値する。
答えようじゃないか。
変人と思われないように取り作っておく。
「いやぁ、参りました。急に馬が暴れ出してね。いつもはこんなこと無いんですけどねぇ。あはは。助かりました、ありがとうございました。」
こんなところだろうか。
声の主は俺の方には一瞥もくれずに俺を乗せていた馬を撫でている。
『あんた、どこからきたん?ここら辺知らない土地やからびっくりしたんか?』
馬に話しかけているのか。俺なんか眼中に無いようだ。
まぁ都合が良い。礼は言った、さっさとこの状況を確認するために落ち着かなくては。
いやまてよ、何だこの違和感。
馬に乗っていた事もそうだが、何か落ち着かない。ピタッとハマった感じがしない。
そうだ、風景だ。
今いるここは広大な草原にある緩やかな丘の上・・・。
広大すぎる。
俺が住んでいた地域にこれ程広大な原っぱなぞ存在しない。
しかも遥か彼方まで建物も見えない。
そして何よりの違和感は助けてくれた声の主の格好だ。
中世ヨーロッパが舞台の映画に出てくるような、胸当てを身に着け、腕には革製の小手。何より腰には剣を差している。そして毛皮のネックウォーマーの様な物。極めつけはそのような格好をしているのが可憐な女性であるという事だ。
コスプレ?なのか?
顔は日系と白人系のハーフかクォーターか、くっきりとした目鼻立ちに大きな緑色の瞳。
髪の色は、黒にも見えるが薄っすら紫にも見える。
身長は、160cm無いくらい。小柄だ。
しかしとても美人だと思った。
いやまてよ。
最大の違和感は自分だ。服装がすさまじい。
何だこれは?
縄文人の様な格好ではないか?
下着も履いていない。
身体に布の様な物を巻いてあるだけだ。
罰ゲームにしては凶悪すぎる。
なるほど、俺は地獄に落ちた訳か。
見目麗しい女性の前でみすぼらしい恥辱にまみれた格好を永遠とさせられるという地獄・・・・か。
まぁ待て、そんなわけがない。
馬にしがみ付いていた腕の疲労感と、背中と腰の痛み。
この感覚は本物だ。俺は生きている。
よく見ると周りに生えている草木の中に見覚えのない珍しい形の植物もある。
星形の草、半透明の花弁のチューリップに似た花、電球が入っているように中から光を放つ百合の様な花。
明らかに俺が知っているものではない。
もしかして、知らない世界に来たのか?
俺が混乱していると、その女性がこちらを見据え言ってきた。
『貴様、ワースやろ。馬泥棒でもしたんか。この外道が。』
予想はつく。今の俺のこの格好が恐らくその【わーす】とやらの特徴であり、そしてその【わーす】とやらは素行がよろしくないのだろう。
俺の事を盗んだ馬に乗って走っていた【わーす】とやらと勘違いしているのか。
いやまてよ?
もしかして俺は【わーす】とやらなのかもしれん。
【わーす】って何だ?
そしてここはどこだ?
素直に聞いてみることにする。
「あ、あのぉ。。わーすって何ですか?」
助けてもらった手前、下手に出るほかあるまい。
女性は腰の剣に手をかけて声を荒げた。
『とぼけるとはな。ええ度胸や。』
斬られる!?
と思うより先に、何故関西弁なのかそれが気になって仕方がない。
イントネーションも完ぺきだ。エセ関西弁ではない。ここは関西なのか?
女性はじりじりと迫ってくる。これはマズい、斬られるぞ、痛いのはヤダ。
一か八か。半分本当の様な事を言ってみようか。
「ま、まてまて!!」
「俺は自分が【わーす】ってやつかどうかも知らない!気が付いたらこんな格好で馬に跨っていたんだ!それにここがどこなのかも知らない!本当だ!許してくださいお願いします!」
両手を上げ完全降参の意思を表す。
女性は少し驚いたような顔をし、
『はぁ?』
首をかしげている。
『こんな覇気のないワースは初めて見たわ。今までのワースは女見ると速攻で襲ってくるもんばっかやったからな。調子狂うわ。』
女性は剣から手を放し、両手を腰に当てる。
胸を張り、やや高圧的ともいえるポーズでこう続けた。
『確かによーみたらワースではないかもしれんの。しかし、その成りは普通やないで?あんた何者や?』
その目は少し哀れみの色が籠っていた。
俺は
「記憶が無い。まずはここがどこなのか教えてほしい。」
と素直に問うた。
『ホンマかいな?難儀な話やな。まぁ嘘でもホンマでもどっちでもええわ。ここがどこなのか分らんのは多分ホンマなんやろうな。大方脱走してきた奴隷かなんかやろ。』
女性の哀れみの瞳はより一層色濃くなる。
そんな目で観ないでくれ・・・・。
『ここはロルバン大陸の最西部に位置する超神聖国家・・・・』
『アルバス王国や。』
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