第2話

「先ほどレアではなくレアーと発声されましたね。私はレアと言いますが」


「イントネーションが違う?」


 すると絞られてくるものがある、エクレール訛りと条件をいれたらより大きな活動の一つだとわかった。他国の間諜が国境の街で動く理由は二つ、その国の中での行動を支えるか、隣国との連絡を取るか、あるいは両方。まずは隠された何かを調べる必要があった、危険は承知で。


「そういうことでしたら、エクレールの間諜かも知れません。国境を越える手助けが得られる可能性が」


「不明の相手に接触するのはかなり危険ではありませんか?」


 いうことはもっともではあるが、黙っていてもエクレールに入ることはできない。手紙を出して増援を呼ぶにしても、それまではトーレ一人で保護をしなければならない。官憲である敵の敵は味方、そういった思考回路でもって無理をすべき時はあるはずだ。


「私一人だけならばいかようにも切り抜けられますので。万が一にも私が戻らなければ、宿にエクレールからの支援員が来るまで籠もっていていただければ」


 恐らくは三日か四日はかかる、その間なんとか見つからずに済めば逃げきれる見通し。決して甘い線ではないけれども、待てない時間でもないはずだ。


「トーレさんを信じます。決して無茶をしないでくださいね」


「お心使いに感謝します」


 先ほど見掛けたあの店員を呼んで「子羊はあるでしょうか?」と尋ねてみる。


「子羊の焼き加減はいかがいたしますか?」


「レアーでもなく、ウェルダンでもなく頼む」


「ソースは?」


「かけすぎずに」


 物凄く疑いの目を向けられる、何せ初対面だ当然といえば当然の事。けれども合言葉があっているならば、それらの疑問を脇に置いてすべきことをする。店員はトーレを二階の部屋へと案内した。


 店員は、コンコン、コン、コンコンコンと妙なノックで合図を送る。不審者がやっていたとでも伝えたのだろうとトーレは気にしないことにする。中へ入ると三人の男が居て、どれもこれも猜疑心が強そうな目をしていた。


 椅子を勧めるわけでも無く値踏みするようにトーレを見る。その身のこなしから普通の村娘ではないくらいは直ぐに見抜く。


「どこの所属だ」


 言葉短く詮議する、どう答えるかでこの先は大きく分岐するだろう。真実を告げて友好的になってくれるわけではない、かといって嘘を言って良い未来になるかもわからない。


「この国じゃないどこか」


 恐らくは反政府の面々だろうと、まずは敵ではないことをアピールする。ふむ、と小さく息を吐いて三人が目線を交わした。馬鹿じゃないようだ、と。


「そんな言葉を俺達が信用すると思ってるのか?」


「まさか。信用されるつもりできたわけじゃない、互いを利用する目的よ」


 大前提である味方の可能性を後回しにしてしまうことで余計な確認を外してしまった。どういうことだと興味を持ったらここでトーレの勝ちになる。


「お前がどんな利益をもたらしてくれる」


「国境の先にある街での拠点確保を」


 男達が目を細める。つまり間接的にエクレールで融通を効かせることができると言っているのだ。それが公的なものかどうかは明かされていない、だが出来ないことを条件に出して来ることもない。不履行を問われることを前提に引っ掛けるつもりならどこかでボロが出る。


「ではこちらに求めることは」


「連絡手段の確保」


 拠点を確保したいなら絶対に必要になるのが連絡手段だ。それを先に求めてこられたらどうしようもない。逆に言えばその連絡が取れないような弱小ならばお断りとも聞こえるだろう。いわゆる等価かどうかは拠点の規模次第。


「程度は」


「ご自由に。あちらではこの酒場と同じ規模を用意させるわ」


 検討の余地あり、男達も勢力を拡大させるのが目的を達成するのに必要なのだ。胡散臭い話なのは承知の上、どこかで冒険はしなければならない。


「口約束は出来ん。誓紙を入れられるか」


 それを盾に何かを要求できるようになるわけではない、相手が誰かを告白させるのと、しくじったら道連れに出来るだろうとの牽制。


「私ので良ければね」


「それじゃ話にならんな」


「巫女と聖女の連記なら?」


 即答せずに今一度トーレを見る。こいつが隣国のエクレールの者ならば色々と合点がいく、巫女だったら聖女は何者か。見た目的に恐らくはエクレール出身、ならばこの国と反対行動を行くのを是とするだろう。


「そのクラスの署名ありなら良いだろう。モーントだお嬢さん」


「トーレです。ではここに呼びたいのでが」


「下に居る連れだな、いいだろう」


 使いではなくトーレ自身が下まで行って共に戻って来る、こういう大切なことで失敗するわけには行かない。予想と少し違う見た目の女性、緑の髪に目を細めた。


「モーント殿にご紹介します。クリス様です」


 目線で自己紹介をするようにと言われている気がした「風の聖女クリスですわ。此度はご協力に感謝いたします」深々と礼をする。風の聖女と雷の巫女、それらが国境を越えようとしている、意味するところは逃亡。ひと悶着起こるのは必至だ。


「やってくれたな。まあいい、拠点確保の件は間違いないだろうな」


「もちろんです。その位私の一存でも用意出来きます」


 超常現象を操る巫女、それらの全てが独自の決定権を与えられている。能力に比例している権限、無領地爵位と同等の扱いなのだ。


「なら詳しくは聞かない。俺達は大地の風を名乗っている」


「雷の巫女トーレ。あなたたちの力に期待しているわ。もたもたしてると追手が来るわよ」


「官憲相手はいつものことだ、今晩のうちに動くぞ。通過は明日朝一番だ」


 こういうルートは事前に確保している、そういう意思表示。迅速正確な仕事には別途報われる何かがあってしかるべき。


「午前中に越境できたなら、追加で資金提供もします」


「契約は成立だ。この酒場を離れんでくれよ、部屋は用意する」


 こうして共同戦線が出来上がり、国境を越える算段は想定しない形で整うことになった。



 部屋で大人しく待つのに慣れてはいたが、どうしても気になってしまう。全てを任せてしまうのが不安でたまらない。トーレもクリスの顔色を見て懸念があるのは解っていた。


「クリス様、あいつらが裏切るのではないかとご不安ですか」


 無理して越境せずにここで二人を官憲に引き渡す、そういった選択肢だってある。むしろここで足を洗って報奨金をねだり、人並みな生活を得るほうが現実的。


「信じて待つのはとても辛いことですわね」


 直接的な返答はしない、トーレだってつい最近見知ったばかりの顔だから。状況の変化についていこうとするならば、考えすぎるというのを切り落とすことが必須。


「モーントらがここで何かしらの活動をしていたのは事実です。それは幾つもの意図が絡み合い、一筋縄では行かない今を形成しているでしょう。逆にお考えを」


「逆ですか?」


「いままでやってきたことを捨てて、敵だった官吏に報奨をすがる。全ての協力者との関係を断ち切って、結果を他人任せにする。反骨芯が強いだろう集団を率いている者が、果たしてここで裏切り降るでしょうか?」


 そうかみ砕いて説明されると裏切りのリスクがあまりにも大きいと気づかされる。きっとこれはトーレに対する部分も含んでいるんだろうとクリスは解釈した。もう後戻りできないのは自分も同じ、何を悩んでいるのかと。


「モーントさんにお伝えしてもらえませんでしょうか。強風を起こすくらいならば、神殿に居なくても祈りは通じるはずです」


 自分でそう告げるのではなく、あえてトーレに託すことで信頼を明らかにする道を選んだ。その姿勢に満足すると「速やかにお伝えします」立ち上がると部屋を出る。宛がわれていたのは一番奥の部屋で、廊下を曲がらないと先ほどの会議室のようなところには行けない。


 誰かが間違って奥に行かないように、ご丁寧に見張りが立ってすら居る。この酒場自体が丸ごと大地の風を支持する拠点ということだ。


「用事が出来た、モーント殿に繋いでもらえますか」


 見張りは頷くとドアを数度、独特な符丁で叩いてから親指で入るようにと示す。中では計画立案の真っ最中だった。


「どうした」


「クリス様からの伝言が。強風を起こすことが出来るとのことです。私も雷撃ならば落とせますよ、あの人さえ居ればですが」


 実務的な協力の申し出だと解りモーントの険しい表情が多少は緩んだ、それに可能範囲の限界を明かしてきたことが信用に値すると。こういうタイミングの場合、何かしらの要求や追加の情報で不利になると思っていたからだ。


 直後、部屋の外から伝令が駆け込んで来る。報告に頷いて持ち込まれた一枚の巻物を机に広げた。


「トーレさん、あんたの申し出は一番価値ある時に先んじたみたいだな」


 言いながら巻物を差し出して来る。何が書かれているのか視線を落としてみた。そこには『風の聖女と雷の巫女が逃亡中。これらを差し出した者には相応の報酬を支払う。越境を許せば厳罰を与える』要約すればそのように書かれていた。


「俺はあんたらを信じた。一度信じたなら決して疑いはしない、その後にどれだけ美味しい話が来ようとな」


「……その巻物、関所にも?」


「あそこは夜間全てを拒絶する。伝令は外で日の出を待ってるだろうな」


 そこに勝機がある、確信じみた何かを言葉に感じる。鍵となるのは伝令、それが持っているのは命令書である巻物。内容が一致しているかはわからないが、凡そこれに書かれているのと方向性は同じだろう。ならば答えが見えてくる。


「視界を奪い、伝令を麻痺させる役目、私達で引き受けられると考えています」


「上等だ。こっちは偽の命令書と偽の伝令を仕立てる、夜明け前にやっちまうぞ。今のうちに仮眠しておけ」



 暗夜十人程が関所の側に忍び寄る、あたりは静まり返っていて城門の上にある篝火の光だけが揺れていた。微かな影を作っている姿、王都からの伝令が一人立っている。越境しようとする一般人が野宿をしているのも若干だが見られた。これらは馬車などに轢かれない様に関所から少しばかり離れたところに居るが。


「クリスさん、そこらの砂混じりで強風を起こしてください、それでトーレさんはあの伝令を気絶させるってことで」


 モーントが計画のあらましを再度説明し、何をすべきかの詳細を指示する。これだけやって貰えれば後は大地の風で上手い事やるということで。もし二人が居なければ、関所の側で不審な何かがあったと報告があがってしまうだろう。


 もし伝令が腕の立つ人物だったりしてもやはり不確定な状況になる。そういう意味では特別な手段を使えるのは互いにとってプラス、まさに理想的な協力関係。


「承知しましたわ」


 両膝をついて手を重ねると目を閉じて天に向かい祈祷を行う。何も起こらない、だが十分もするとそよ風が吹いてくる。次第に風が強くなってきて、関所の篝火が激しく揺れ始め、土や砂を巻き上げると軽めの竜巻が起こり城門に直撃した。


 伝令もその場でしゃがんで身をかがめる、それを見据えてトーレが雷神の加護を強制的に対象に分け与えた。小さな叫び声は風の音で消しさられてしまう。急いで大地の風の構成員が駆け寄って、ずるずると伝令を引っ張って来るとみぐるみを剥ぐ。代わりに偽物がそれを着て同じ場所で伏せた。


 気絶している伝令を抱えて速やかに関所から離れ、酒場に戻ると縄で縛り地下室に監禁してしまう。持ってた巻物を直ぐに確認すると『風の聖女クリスと雷の巫女トーレが関所に来たら拘束せよ。クリスは緑の長髪の若い女、トーレは短い金髪の若い女。捕縛したら速やかにアルフォンス殿下へ報告を行え』といったことが綴られている。


「想定通りだ、書式も素材も同じ巻物だな」


 酒場にやって来たあの巻物と同じのを使っている、発令者は同じ。つまりはアルフォンス王太子の手下が出したもの。つまりは多少怪しい部分があっても、簡単に無視や確認をし辛いということだ。正規の命令書ならば規定外のことは確認が入ることが多い。


「何があったかの罪状は一切触れられていませんね」


 触れるわけにはいかないので当然だ。ねつ造するか完全にスルーでいくかの二択ならば、後付け出来るように記載しないほうがやりやすい、それが悪手だったわけだが。


「聞いてもいいか?」


 トーレはクリスを見る、どうするかは預けたと言う意味だ。他人を詮索しないのは裏稼業の基本ではあるが、情報は一つでも多い方が有利に働くのも事実。


「アルフォンス様は私との婚約を破棄して、別の方と婚約をなされるご様子ですので」


 古い女が邪魔になった、つまりはそういうことだろうと勝手に想像を膨らませる。男達が王子に共感したか、彼女を不憫に思ったかは明らかだ。ここにきて完全にどちらに肩入れするかが確定する。


「それが次の国王になるやつがやることかってことだ。俺達は政府打倒の為に全力を注いでいる」


 専制政治、制度が悪いわけではない。有能な王が現れればドラスティックな改革が断行される。一方で無能ならば国は一気に傾き一般市民には不幸の連鎖が待っている。そしてここ何代かは、明らかな後者が続いていた。



 夜明け、関所の門が開かれるといち早く伝令が中へと駆け込んでいった。それを見届けてから、トーレとクリスが大地の風の幹部待遇を名乗る男と、関所を越えようとする者達と共に並んだ。幹部と言わないあたりに違和感を抱いたが、あの部屋に一緒に居たのでそれ以上は考えないことにした。


 三十代前半だろう人物、髪は黒くて短め、身体は筋肉がきっちりとついてはいるが、比較的柔軟そうなバランスの良い体躯をしている。ジャン・マリーとだけ名乗り殆ど喋らずに、二人の前に立っている。列が次々と通り抜けて行き、順番が回って来る。


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