その悪性につき
死が隣にあって肉欲を感化する時代はとうに過ぎ、物を乞う風景に身をつまされるほど卑近な思いもない。手を伸ばせばティッシュがあり、ジャンクフードの空が転がるような満ち足りた時代だ。手持ち無沙汰を慰めるのに、音楽は格好だった。好きなバンドやアーティスト、音楽家の一人や二人、誰にだっているだろう? この町ではとりわけ、ブラック・メタルが好まれた。過激なパフォーマンスや思想が持ち込まれる音楽性は、当人も聴衆も巻き込む一体感を生む。
人は生まれながらにして平等じゃない。家柄と言い換えてもいいし、自身を構成する遺伝子という側面から見ても同じことがいえる。そしてそれが社会にどのように作用し、人生を築き上げるのか。楽観か、悲観か。僕の場合は、悲観だろう。母親は、病院から処方される一過性の安心を買っていた。降りるに降りられない高さまで積み上がった薬の山の上で、凍えるように、或いは溶けるように、母親は亡くなった。その気は勿論、僕にも受け継がれている。情緒不安定で、落ち着くまでに部屋はめちゃくちゃになる。こんな気分屋に蝿さえ集らない。問題を起こすたびに町を移り、数えれば、十六の州を渡り歩いた。この町でも、ホテルの部屋を追い出されるか、警察に御用になるかのチキンレースになるはずだった。こんなド腐れが三百六十五日を同じ場所で平々凡々と過ごすっていうのは、土に埋められる以外にあるか? 本当に驚いたさ。指導者の声を聞く耳がまだあったことに。
「外は騒がしいですよ」
規律正しく格子に並んだ長椅子を前から数えて二列目、そこが青い尻を赤くするホットな座り位置であった。キリストの仔細な表情はもとより、ステンドグラスの見事な細工を拝む上でも適した距離だ。
「そのようですね」
「悪魔崇拝、そう彼らは自称しますが、納得しがたい。ただの暴徒だ」
事の発端は、或るブラック・メタルバンドが、拳銃自殺したメンバーの死体をジャケットにし、売り出したことだ。非難の的になって当然の出来事なはずが、それを見聞きしたファンや同種のバンドは触発されるようにして、誰が一番邪悪かを競い合い始める。殺人、強姦、強盗、放火、上げればキリがないほどの凶悪事件が町を跋扈し、懐に忍ばせた銃口が次の瞬間には前後左右、どちらかを向いて硝煙を上げる。大人に限らず子供までもが悪の坩堝に放り込まれ、警察官や消防隊員は辛酸を舐めた。
「協会が燃やされたようです」
ゴシップ記事をめくるより信用のない伝聞であったが、悪魔崇拝を標榜する彼らにとって、神への信仰は敵対すべきありふれた仇相手なのだ。
「ほう」
神父様はえらく落ち着いていた。僕のような稚気な器量では、齷齪と蛮行者への対策に踊っているところだ。
「自衛の術はもっておかなければ」
精神疾患者に与えられる武器といえば、木の棒ぐらいだろう。それ以上の硬度を求めると、簡単に人を殺しかねない。その自覚がある。
「私はこう思うんだ。この際、焼き払って一から初めてみるのも悪くないと」
「?」
知見の欠けた僕ができることは、教え導きたる指導者の啓蒙を待つことのみだった。
「私たちは、神が与えた罪を自覚する知恵を付けなければならない」
「それから、どうすればいいのですか?」
「裁きを受け入れることかな」
神父様は屈託なく笑った。僕は悲しかった。この人もまた僕と同じ迷い人であり、通せん坊を受けた一人だということに。彼はまたこうも述懐する。
「君からすれば、私は初めからいる神父になるだろうが、そうじゃない。他所の教会を経てここに就いているんだ。簡単にいえば異動さ。それでも、この教会に限って言えば、もっとも長く在籍した神父になるね。十年前は二、三年で神父は交代していたから。本当に、おかしな話なんだ」
渡り鳥のような生活を続けていると、その町の悪い噂を聴くことが慣例になっていた。或る町では、孤児を保護する協会に於いて、性的虐待が日常的に行われていたと酒場で聴いた。公然の事実となる前に、犯行に及んでいたと思われる聖職者は勃然と姿を消したらしいが、点在する他所の協会を波止場とし、今も渡り歩いているという。
「……」
木の枝を折るような音が立て続けに鳴った。それは次第に、宴めいた大きさに肥大し、木そのものが鳴らす万雷の拍手へと変わる。終演の幕が閉じるまでのささやかな賞賛だった――。
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