第30話 普通のことだ

「え、いない?」

「はい……フォルトは、チョーコ様の元へ向かったはずですが……」


 チョーコは転移した先で神殿長と顔を合わせ、フォルトの荷物を返しに来たことを告げた。

 すると、神殿長アメリアは困惑した表情を浮かべて言ったのだ。


 フォルトはここにはいない。 

 蝶子を追いかけ、森へ向かったはずだと。


「……そんな、でもフォルトさんは来てないし……手紙だって」

「手紙? ……失礼ですが、拝見してもよろしいですか?」

「はい、これです……」

 

 蝶子は、空間魔法でしまっていた手紙を取り出してアメリアに手渡した。

 さっと目を走らせたアメリアの顔がどんどん強ばっていく。


「チョーコ様、これはフォルトの手紙ではありません」


 手紙を蝶子に返しながら、アメリアは硬い表情で口を開いた。


「フォルトは……ひどい悪筆なのです。このような綺麗な字を書けるわけがありません」

「そんな……」


 断言されて、蝶子は青くなった。

 そういえば、自分は一度もフォルトの直筆を見たことがないと。

 だから、これがフォルトの手紙ですと言われればそれ以上疑いはせず――いや、気落ちしていたから判断力が鈍っていたかもしれない。


 フォルトにしては、事務的な手紙だと思って――でも、自分はそういう存在になったのだと目の当たりにするのが怖くて、逃げた。

 その結果が、コレ。


 紙一枚で終わった別れの挨拶を凝視し、蝶子は震え声で呟いた。


「だったら、これは……」

「フォルトを語る何者かが偽装した手紙ですね」


 なんだ、それは。

 蝶子はますます青ざめる。


「それって、誘拐……? どうしよう、私が手紙を鵜呑みにしたから……!」


 もっとはやく気付いていれば、もっとはやく勇気を出して神殿へ来ていれば。 

 こんなに後手に回ることはなかっただろう。

 悔やむ蝶子に、アメリアは頭を振った。


「恐らく、相手はチョーコ様が早々森からお出かけにならないと睨んで、このような手紙を偽装したのでしょう」

「…………私のひきこもり癖を知ってる人」


 自分がおおっぴらに動けば、余計な勘ぐりをする者がいる。

 蝶子はそれに気付いていたから、積極的に森から出ることはなかった。

 前回の神殿来訪だって、こっそり行って帰ってきたくらいだ――。


(でも、勇者がひきこもりなのは、わりとみんな知っていることだよね? ……でも、こんな手紙を寄こすなんて……)


 引きこもりなのを知っているのに、念押しのようなことまでしている。

 まるで、神殿に連絡を取られたら困るような――。


「……ぁ」


 蝶子の脳裏に、ある人物の顔が浮かんだ。

 ひどく冷たい目をした、自分の父親より年上の――。


「チョーコ様?」

「……フォルトさんは……私のせいで誘拐されたんだ……」


 手の中で、薄っぺらい紙がくしゃりと音を立てる。


「……チョーコ様、どうか落ち着いて。わたくしも、誰が我が神殿の神官を連れ去ったかは見当がついております」

「それじゃあ、すぐに助けに行くんですよね?」

「……残念ながら、裏付けなど調べが必要ですので、すぐには。……あそこに立ち入るには、相応の理由がなければならぬのです」


 神殿だって、ひとつの組織だ。

 なにかひとつを通そうとすれば、そのために外さなければいけない枷が無数にあるのだろう。

 蝶子にだってそれくらいは分かる。

 分かるが……。



(夢……フォルトさん、変だった)


 いや、アレは本当にただの夢か。

 アレは――あの空間にいたのは、本物のフォルトだったのではないか?

 

(もしくは……私がフォルトさんの夢にお邪魔した?)


 予知夢めいたものをたまに見せられたくらいだ。

 他人の夢に干渉出来たり、魂だけを夢空間に連れ込んだり――そういうことが出来ても、おかしくない。

 だって、蝶子に死なないための加護をたくさんくれた女神なのだ。


(私が、この世界で壊れないために加護をくれて……生かしてくれた女神様だから……)


 なんで、どうして。

 あの時はそう思ったけれど、冷静になればよく分かる。

 もしも記憶がハッキリしていれば、一般人である蝶子は死の恐怖に耐えられなかっただろう。戦えと言われても泣いてばかりで無理だった。


 だから今回も、きっとそうだ。

 やり直す機会を失った蝶子に、女神様がくれた最初で最後のやり直しの機会。

 見逃すな、諦めるな――後悔するなと。


「アメリアさん……私、行くよ」

「チョーコ様?」

「……私がフォルトさんを助けに行く」

「お待ちください、チョーコ様。それは危険です。むしろ、相手は貴方様が動くことを望んでいる可能性が……」

「うん。知ってる」


 勇者はもう、いらないから。

 不要品を、処分したいから。

 だから、色々な理由をつけてたくさんの人や魔族が送り込まれ、逃げていった。


「全部、知ってる」


 そして最後に、キラキラした割烹着の似合う神官がやって来た。

 彼は、他の誰とも違った。

 ――だから、知っていたけれど全部、些末なことなのだ。

 

 彼が自分にしてくれたことは、誰かが思い描く思惑なんてどうでもよくなるほど、大きなことだから。


 勇者としての立場。

 仮初めの平穏。

 

 そんなものと、フォルトを比べるまでもない。


「……大事な人を助けられないで、なにが勇者だ――!」


 言葉にすると、しっくりきた。

 そうか。

 自分はあの人のことが大事なのだと。

 

 ――だから、嫌われたくなかったのだ。

 ――元の世界に戻る方法が見つかれば、おかしな体も元に戻る……そうすれば、あの人のことを好きでもおかしくない、普通の女の子になれるだろう。


 我ながら、おかしなことを考えたものだ。

 フォルトは、ずっと言ってくれていたのに。


 蝶子はやはり自分を化け物みたいだと思っている。

 フォルトは違うと言ってくれた。

 優しい女の子だと。

 しかし、蝶子は加護持ちでやたらめったら色々できるし、やっぱり普通ではないと思う。

 

 だけど、今はそれに感謝した。

 だってフォルトを助けるだけの力が、自分にはある。

 この力は化け物だろうけれど――大事な人を助けたいと思うのは、普通のことだ。


 内凪 蝶子は、もう迷わない。

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