第3話 その時、彼女は
その時、彼女――内凪 蝶子は、高校生になったばかりだった。
制服がとても可愛いと評判の学校で、気の合う友達も出来て、これからの生活に心躍らせていた四月のある日のことだ。
帰り道の途中、上から落ちてきた看板から身を守ろうとうずくまった所で、意識が途切れた。
次に目を覚ましたのは、病院ではなくゲームやマンガで目にするような、ファンタジーの世界だった。
『あぁ、勇者様、よかった――』
『召喚は成功だ! 女神様が応えて下さった!』
『よくぞ来てくれた勇者よ。頼む、世界を救ってくれ』
内凪 蝶子の人生は、訳が分からないまま激変した。
世界が変わるような経験どころか、そのままくるっと世界は一変してしまったのだ。
――蝶子の地獄は、そうして始まった。
以降、蝶子は女神の加護だの聖剣だのを与えられ、戦うことを求められた。
どこに行っても「勇者様、どうかこの世界を救って下さい」「勇者様、どうか哀れな我らをお守り下さい」と、戦うことを強いられてきた。
どこへ行っても、戦え戦えの連続で、それでも元の世界に帰りたいがために蝶子は戦ってきた。
女神の加護は、幸いにも蝶子の身体能力を高めてくれた。
戦えるだけの力を与えてくれた。
もっとも〝幸い〟だなんて思えたのは、最初だけだったが。
――けれども、そうやって異世界人に乞われるままに魔族と戦い続けた蝶子は、戦いの果てに元の世界へ帰れるはずだった。
そのはずだったのに。
蝶子は今も、知る人が誰もいない異世界で生きている。
◆◆◆
迷いの森の奥地にある家。
ここが蝶子の現在の住まいであり、主な行動範囲だ。
滅多に……というか、今まで家の中にまで上がり込んでくる人間など皆無だったのに、なぜか今日に限り来客がいる。
最初は、てっきり逃亡犯でも逃げ込んできたのかと思ったのだが……。
蝶子を「勇者殿」と呼んだのは、薄暗い屋内でもその色合いがよく分かる、きらきらした金色の髪の神官だった。
(金粉みたい)
やたらきらきらしている彼は、一体なんという名前だろうか?
聞いた気がするが、聞いていない気もする。
(まぁいいや)
どうせ呼ぶ機会もない名前だから、どうでもいいかと結論づけた蝶子は、ひとまず彼を金粉さんと呼ぶことにした。
本来なら、呼び名なども必要ないのだが、なぜか金粉さんは蝶子にこんな事を言ったからだ。
「私がこれから、勇者殿の身の回りのお世話をいたします」
――世話をされる事など、なにもない身としては、ありがた迷惑な提案だった。
正直、人と関わらない日々を求めている蝶子にしてみれば、今すぐ帰って貰いたいのだが、相手も仕事で来ているのだ。
となれば、一日も経たずに追い返すと彼の立場がなくなってしまうかもしれない。
(まぁ、明日には気味悪がっていなくなってるでしょ)
一日だけ、好きにさせておけばいい。
勝手にやって来た騎士達も、魔族達も、すぐに逃げ去った。
この神官だって、自分の生活を不気味に思い逃げ出すはずだと、蝶子は勝手に納得した。
――当の神官はと言えば、挨拶を済ませると大きな荷袋を家の中に引っ張り込み、締め切っていた窓を全開にし、食事も作れないと炊事場の掃除を始めた。
大変そうなので、そんなことする必要ないと言おうと思ったが、人は腹が減るものだと思い出し開きかけた口を閉じる。
自分は必要ないが、一日だけとはいえ彼には食事も、休息も必要だ。
それを思い出した蝶子は、客人が寝るための部屋を整えることにした。
――そろそろ向こうも終わっただろう。
そう思ったのに、蝶子が掃除を終えて戻ってくると、金粉神官は今度は違う部屋を掃除していた。
呆気にとられていると、神官が蝶子に気付く。
「どうしました、勇者殿?」
なんでもないと首を振りつつ、神官の格好を見る。
ローブ姿ではなく……元の世界で、おばあちゃんがよく着ていた割烹着……に似たものを身につけ、頭には三角巾をかぶっている。動作も格好にも慣れが見える。
そして額の汗を拭う彼は、やっぱりきらきらしていて、むやみやたらに金粉を振りまいているように見えた。
(光属性だ……)
こんな所でも、きらきらしいのだから、彼は相当光の属性が強く出たに違いないと、勇者期間の中で学んだ知識を思い返す。
光属性が強く出た者は、身のうちから輝きを放つと言う。
そういう人間は、総じて神官向きであるため神殿に引き取られる。
神殿は、質素倹約を旨としているため、子供の頃から育てられた者ほど、炊事洗濯裁縫など家事能力が秀でているのが特徴だ。
この神官の手際の良さ――おそらくは光属性の強さ故に、はやくから神殿に入ったのだろう。
あちこちを綺麗にしていく神官に感心しつつも、彼の足が二階に続く階段の方に向いた時、蝶子遮るように前に立ち、二階へ続く道を封じた。
「上は、いい」
「はい?」
「貴方の部屋は、一階の突き当たりに用意したから、好きに使って下さい。……というか、一階は貴方の好きに使って構いません。ただ、二階には上がらないで」
蝶子が心の中で勝手に〝金粉さん〟と呼んでいた神官は、眉を寄せた。
きっと、きれい好きな神官は二階もきっちり掃除したいと思ったのだろう。
けれど、二階はダメだ。
二階には蝶子が主に使っている部屋がある。
――あそこには、蝶子にとっての全てが詰まっている。
他人が見れば気味悪いかもしれない部屋だが、勝手にいじられたくないのだ。
「……わかりました。勇者殿のお望み通りに」
今までやってきた人達同様に、金粉神官も慇懃に頷いてみせた。
昔話の機織り鶴のように、後からどうせ覗き見られるのだろうが、言っておくのとおかないのでは、気分的に違う。
頷いてくれればそれでいいと、蝶子はそのまま二階へ駆け上がっていこうとした。
「あ、勇者様!」
慌てたような声が上がる。
振り返れば、金粉神官がこちらを見上げていた。
「夕食は、いつ頃召し上がりますか?」
「……」
その質問に、蝶子は笑いたい気分になった。
「私はいりません」
実際、表情筋は一ミリも動かなかったのだが。
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