第1話 神官の厄介事
――迷いの森に住まう勇者殿のお世話係を命じます。
尊敬する神殿長から告げられた、予想だにしなかった命令に、フォルトは目をむいた。
一呼吸置いて立ち直り、声を絞り出す。
「……冗談、でしょう?」
そうあってほしい。
だが、命じた張本人である彼女は穏やかに微笑んでフォルトの返答を待っている。
どうやら本気だと分かり、今度はたまらず大きく息を吸い、声を吐き出す。
「なぜ私が迷いの森に行かねばならぬのですか!」
声を荒らげるフォルトに、神殿長は笑みを崩さず答えた。
「命令です」
「では、私を名指しした理由は? 普通は、志願者を募るものでしょう!」
そう。
こういった仕事は、本来は自主的に手を上げた者に振り分ける。
一足飛びに特定の神官を指名などとは、まずありえない。
すると、神殿長は笑みを崩さないまま、しれっと特別にフォルトが指名された理由を答えた。
「王から、なるべく口が堅く肝が据わっている者を頼むと言われましたので」
「はぁ!?」
「でしたら、神殿長である私にすら食ってかかるほど図太く、肝が据わっている貴方が適任だと思ったのですよ」
冗談ではない。
これは、次期神殿長などと言われている自分がするような仕事ではない。
「嫌がらせですか」
「まさか。言ったでしょう。貴方が適任だと」
絶対に嘘に決まっている。
腹立たしくて、でもそれを表に出すのは癪で我慢した結果、フォルトは頬をひくつかせた。
「……だいたい、迷いの森にいる世捨て人の世話なんて……! 〝勇者〟でしょう? 好きで引きこもっている奴のご機嫌うかがいは勝手ですが、なんで神官がかり出されるのですか」
「棘のある言い方ですね、フォルト」
「それは当然でしょう。貴方も見たはずだ。あの時の傲慢な態度を」
一年前の謁見。
あの後の顛末も酷かった。
勇者は誰にも目をくれず、呼び止める人全ての声を無視し、どこぞへ消えた。
そして魔族との争いが終わり、次は復興だと人々が忙しなく動き回ってきた一年。勇者は何もせず森で悠々自適な引きこもり生活を送っていたのだ。
それを恥とも思わず、与えられる恩恵をむさぼり食っているだけの自堕落勇者。
昨今、勇者に対して聞こえる声は、失望に満ちたものばかりだ。
フォルトとて同じ心境で正直、いまさらアレにどんな用事があるのだと言いたい。
だが……。
「先入観は、禁物ですよ」
「え?」
笑みを打ち消した神殿長が、フォルトの内心を見透かしたように言った。
「フォルト、貴方は彼女と会話した事がありますか?」
「……は? あるわけありません。あの異世界からのお客人は、我々が大嫌いなようですから、あのお客人と話したことがある人間の方が貴重でしょう」
嫌味たっぷりに言うと、珍しいことに神殿長が細い眉を寄せた。
つねに穏やかな微笑みを欠かさない彼女が、真剣な表情でフォルトを見る。
「一度も話したことが無い相手を、こうだと決めつけるのですか? ――それは、貴方が最も嫌う行為ではありませんか」
「っ」
「神から癒やしの力を授かった聖人様は、老若男女貴賤を問わず、縋る者を拒まない。慈愛に満ちた笑みと優しい物腰で、瞬時に苦痛を取り除いてくれる神の代行者……でしたね」
フォルトは、自分を大仰に讃える噂をわざと口にした神殿長に閉口した。
癒やしの力を持ち、見目麗しい神官。
今でこそ余所行きの顔をうまく使えるようになったフォルトの人気は高く、能力と相まって次期神殿長候補の最有力にあげられるが、昔は――人を見た目だけで判断し、勝手な理想を押しつけてくる者たちに嫌気がさし、よくもめ事を起こしていた。
「実際の貴方は、図太く無愛想で、口も悪い……とんでもなく手がかかる問題児だったというのに……」
「~~っ! その節は、申し訳ありませんでした!」
当時、なにかと仲裁に入ってくれたりと面倒を見てくれたのが、現神殿長である彼女だった。色々とやらかした過去を持ち出され、フォルトは叫ぶように謝罪した。
すると、神殿長は「よろしい」と頷く。
「このように、意外と噂は当てにならないものです」
だが、フォルトにだって言い分はある。
「お言葉ですが神殿長……。神殿に入ったばかりの頃はいざ知らず……今の私は対外的には笑顔で愛想良くを心がけているし、礼を欠いた事はありません」
自分がこんな風に声を荒らげたりするのは、気心が知れた相手の前だけだ。
フォルトは相応の振る舞いを身につけた。
なにもしない勇者と一緒にするなと暗に言えば、神殿長は口を閉じる。
「…………」
「それに、今更勇者という存在が必要ないのは、本当の事でしょう?」
らちがあかない。
そう思ったのか、神殿長はため息をついた。
それから、少しだけ声を落とす。
「――フォルト」
「はい?」
なにかある。
調子が変わった神殿長の声に、フォルトも居住まいを正した。
神殿長は、ふと目を伏せた後しばし考え込んだが……やがて、意を決したように口を開く。
「フォルト。貴方の本当の仕事は、彼女の世話ではありません」
「…………は?」
「王は、こう命じておいでです。――元勇者を、監視せよ……と」
監視という言葉に、フォルトは眉を寄せた。
(それはまた……)
ずいぶんと、穏やかではない。
「彼女の力は、強大です。その気になれば、国一つを滅ぼす事も容易に出来るでしょう。……第二王子と魔王の娘が婚約し、事実上の和平が成された今、王はある懸念を抱いています」
「と、言うと?」
「――勇者として呼ばれたあの少女が、次の災いになるのではないかと」
「……それは、ちょっと……話が飛躍しすぎでは?」
「王は恐れているんです。ですから、その可能性を払拭したい。……王国の騎士や王の使者は、会ってすらもらえない状態の今、神殿にお鉢が回ってきたという訳です」
「……俺の仕事は、世話するふりして家の中に上がり込んで、腹に一物あるかどうか探る事ですか」
とうとう素が出てしまったフォルトは、金糸を思わせる髪をがしがしと乱暴にかいた。神殿長が否定しないということは――そういうことなのだ。
「なんだって、そんな……」
「勇者に叛意有りの場合は、速やかに報告するようにとの事でした」
「引きこもってるなら、害はないでしょう? わざわざ藪を突かなくても……」
「言ったでしょうフォルト。……王は、怖いのです」
神殿長の言葉に、フォルトは一度だけ見た勇者の姿を思い浮かべる。
覚えているのは、似合いもしない剣を下げ、鎧を着ていた冴えない少女だ。
顔の造作も、どんな声をしていたかも、正直あまり記憶に無い。
ただ――。
この世に、夢も希望も見いだせなくなったような……ひどく淀んだ目だけは、気味が悪いほど、はっきりと思い出せた。
「――っ、怖いって……褒美も与えて好きにさせているのに」
「いいえ、フォルト。我々はそれほどの事を、あの少女にしてしまったのです」
身震いしたフォルトは、思い出した残像を振り切るように声を張った。
だが、次に彼が耳にしたのは、悔いるような神殿長の言葉だった。
目を伏せ、両手を組んだ神殿長の姿は、まるで祈りを捧げるかのようだった。
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