7. 自己紹介する

≪う……うん! そうだよね! 最後まで諦めちゃダメだよね! ボク、頑張るっ≫


 竜の体に力がみなぎる。最初に出会ったときの泣きそうな様子とは大違いだ。こっちがきっと本来の姿なんだよね。


≪頑張ろう! 私も協力する!≫


 私は竜の右腕を目の前まで優しく引っ張ると、竜の小指にそおっと自分の小指を絡める。


≪これね、私の国の約束のしるし。小指と小指で約束を結ぶの≫


 そして竜のつぶらな瞳をじっと見つめる。


≪人間が最低なことしてごめん。私一人じゃ償いにならないだろうけど、出来ることは全部、精一杯する≫


 竜も私の瞳を見つめ返した。


≪ボクもごめんね。ボクのせいでこんなところに呼ばれて。ボクに出来ることは、全部する≫


≪あ、そこは別にいーよ。私、竜に会えて『我が人生悔いなし』になったから。もういつ死んでもオッケー≫


≪えええっ! だめだめだめっ≫


 なぜだ、なぜそんなに焦る。いや、悔いはないけど、きみを逃がす手助けは全力でするよ?


≪じゃなくて! 美味しいもの食べたいとか、したいこととか、行きたいとことか≫


≪うーん。特にない。私、そういうの、こだわりないから≫


 ぬいぐるみミーシュカが話せるようになったらワクワクするだろうけど、心は通じていると信じているから出来なくてもいい。というか本人の自主性を尊重したいからね、無理強いはしない。


 海外生活長いけど、親みたく和食がどーのとか、アジアの食材がスーパーに無きゃどーのとか、一切ない。逆に日本帰国したら、小麦粉ゼロの西洋料理ゼロでも平気だし。断食に近い粗食でも問題ない。

 父親の転勤とかおじいちゃんとの旅行で、結構いろんな国も巡ったから、行きたい所も特にもうなし。


 したいこと……あー、それが一番ないかも。勉強するのは好きだけど、だからって今日死んじゃってもまぁいっか、な人生だからねぇ。将来なりたいもの? いやまったく全然思いつかない。思いついた試しがない。




 ……お。一個『まぁいっか』じゃないこと、あった。


≪なに?≫


≪きみの名前、知りたい!≫


≪ボクの名前は……あれ? ……そーいえば、ない、かも≫


≪え。お母さんはきみをどう呼んでたの?≫


 で、竜の雄たけびを初めて聴きました。当然、発音出来ません。つか、どっから音出してるんだ? 哺乳類の喉でも作れる音なの? 周波数、人間の聴覚を超えてない?


≪ご、ごめん。努力する以前の問題で丸っと無理っぽい≫


 私の唯一の野望、打ち砕かれました。生ドラゴンの生名前は難易度高かったよ、ぐすん。


≪でも、本物の名前じゃないよ?≫


 さっきの雄たけびは、人間の親が子どもに向かって『わたしの愛しい子』とか『可愛いバニーちゃん』とか『マイ・リトル・パンプキン』とか『モン・シェリ』とか呼びかけるのと一緒らしい。


≪竜って、固有名詞の名前は付けない主義なの?≫


≪うーん、どうかなぁ。ボク、お母さんしか知らないし……あ、でも、お母さんから時々竜の大陸のお話聞かせてもらってね、その時にいろんな竜の名前が出てきたよ?

 ……そっか、だからあるよね、竜に名前≫


 を、一頭付け忘れとるぞ、竜の一族よ。付けたのかもしれないけど、本人が知らないぞー。可愛がるのはいいけど、正式名称も記憶させたげよーや。頼むで、母よ。


≪戸籍は? 確認する手段ってあるの?≫


≪わ、わかんない≫


 どおしよう、と竜が頭を抱え出す。ごめんよ、そんな深刻な話に発展するとは完全予想外だった。


≪じゃあ、いつか! 結界とか全部解決して、そしたら竜の大陸行って、きみの名前を調べよう!≫


 ……登録されているのか、いまいち自信ないけど。


 でも、当座の希望は必要だと思うの。それに万が一名前は判らなくても、お母さんの知り合いとか昔の友人が見つかるかもしれないし、きみに新たな竜の友達が出来るかもしれないし。

 そしたら素敵な名前も付けてもらえるかもしれない。


 名づけて『そうだ竜の大陸、行こう!』作戦。


 戸籍の存在にあんまり責任持てないので、私がいろいろ付け加えると、竜は楽しそうに笑いだした。


≪じゃあねぇ、まずはきみが付けてくれるとうれしいな、名前≫


 あら、私にお鉢が回ってきましたわ。うーん、でもなー、私にとって竜はパフなんだよねぇ。パフしか思い浮かばない。

 でもパフとこの竜は別人格で。そこは尊重したいけど、マジック・ドラゴンの歌が頭の中をぐるぐるリフレインで当分止みそうにない。


≪きみの名前はあるの?≫


  緑の小竜がこてん、と首を傾げてみせる。人里での人間観察の賜物だそうだ。ラブリーを狙い撃ちとは、まっこと正しい観察眼だ。


≪あるよ、あ。こっちが熊で友達の――≫

「ミハイール・ミハイロヴィチ」

≪なの。天使の名前なんだよ。しかも愛称が≫

「ミーシュカ」

≪なの。熊々くまぐましてて、可愛いでしょ。洋服とか刺繍ししゅうとか、全部自分で作ったんだよ? そいで、振るとすごくいい音がするの≫


 私はミーシュカをリュックから取り出し、しゃかしゃかと降ってみせる。クワララン、コロロン。ミーシュカの心臓はいつ聴いても宇宙の神秘の音がする。


≪きれー! 音も自分で作ったの?≫


≪う゛……鈴は買った。でも中を切開して移植手術したのは私≫


 そいで私ですか? ありますよ、『もりめぐみ』って戸籍上の名前がね。でもおじいちゃんが最初に付けてくれた名前のほうが好きなんだ。

 キラキラネームだって両親に却下されたらしいんだけど。英語圏だとつづりが『私が、私が!』の自己中ミーイズムになっちゃうんだけど。仏語圏だと音的に『お祖母ちゃん』に勘違いされるんだけど。


「めめ」

≪って言うの≫


「め」

≪って音はね、私の国の文字で、草を表現する記号に、牙を表現する記号を組み合わせた字なの。

 こう……植物の種が草原で発芽して、あちこち芽が出るでしょ、ギザギザが小さな牙みたいでしょ≫


 き火用に集めた枝の一つを握り、『芽』の字を地面に書いて、もう一度「め」と発音する。


≪芽芽。覚えた。小さなギザギザ、可愛いね≫


 ……ホントはキラキラネームじゃないんだよ。『モリ・メメ』、西洋風に苗字を後ろにして、『メメント・モーリ』。ラテン語で『死を忘れるなかれ』。

 おじいちゃん、インテリゲンツィアだったのさ。私の自慢のね。


『芽芽、メメント・モーリだ。この格言は真逆の解釈が引き出せるんだよ。

 どう足掻あがいても生ある者は結局死んでしまうと全てあきらめるのか。

 だからこそ今この瞬間を完全に生きてみせるとせいむさぼるのか。

 いつだってお前自身に選ぶ自由があるってことさ』


 久しぶりに思い出して夜空を見上げた。


≪カッコいいおじいさんだねぇ≫


 おじいちゃん、聴こえてる? 隣に座る竜に、しみじみ褒められちゃったよ。




 ほいで、名前かぁ……。

 うーん。Puffでしょ、ということはPuffy。パフィ、フィ……Fio、かな。英語式にOをフィオゥと読むか……いや、やっぱり本場のイタリア読みでいこう。


≪で、きみの名前なんだけど、愛称がね――≫

「フィオ」

≪そして、正式名称が――≫

「アルフィオ」

≪というのは、いかがでしょう?≫


 イタリア語で『花』を意味するフィオーレ、略してフィオ。そしてアルフィオは『白』。うろこの本当の色、けがれなき浄化の色。


 ――幾千もの花が天から降り注ぐように、祝福された日々をこの白い竜に。


≪お花で、白色? ふふっ、とってもとってもきれ~い≫


 竜が自分の名前をぶつぶつ唱えているのが念話で聴こえてきた。本人も気に入ってくれたみたいで何より。


≪ではフィオさん、改めてよろしくお願いいたしましてよ≫


≪はい。芽芽さん、ミーシュカさん、改めてよろしくお願いいたします≫


 三人で向かい合って握手。フィオの爪はちょっと鋭いので、ミーシュカと私が優しく軽く触れたままで、にぎにぎにぎ。


 その後私たちは、き火を囲んで夜が明けるまでいろいろと語りつくした。家族のこと、住んでた場所のこと、小さかった頃の思い出。失敗談や面白い話、大好きなもの、大好きなこと、大好きなひとの話。


 異世界だとか、魔法だとか、トンと解らん展開なのだけど、フィオが隣にいてくれるから私は平気。


 元いた世界じゃ、大切な家族はもういないしね。友達もいなかったし。


 だからかな、こんな状況なのにフィオに出会えて心が弾む。

 フィオがいてくれてすっごく幸せ。







****************


 ※ロシア語の「ミハイール・ミハイロヴィチ」は、「ミカエルの息子のミカエル」という意味。大天使ミカエルが大元なので「天使の名前」。

 「ミーシュカ」は、ミハイールの愛称なだけでなく、『子熊』という意味もあります。なので、芽芽めめ的に「くまぐましている」のではないかと思われます、多分。

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