2. 夜、月を眺める

 あー。お星様がきれいだわ。


 意識を取り戻した私は、地面に大の字で寝っ転がったまま、夜空を眺めていた。あっちこっち、やけに明るい星がキラキラ光っている。


 あれって彗星すいせい群だよね。近いな。しゅーって尾を引いて、大量の蛍みたい。生で初めて見たよ。きれーなエメラルド色。


 数メートル先の周囲には背の高い針葉樹がうっそうと茂っているのに、私が寝かされた場所だけは草もほとんど生えていない。細かい砂利石が散らばる固い土の感触が、ひんやりしていて気持ちいい。


 でも。異世界なんだよねー。


 ふう、とめ息をつく。今日はこれで何度目だろう。ネガティブ思考はよくないよ。それは解ってるんだけれども。けどさ。


 ――地球だったら、どこから空眺めたって、お月様が四つってことはないと思うわけ。


 なんかおかしいよね、ここ。電灯が一つも無いのに周囲が明るい。月光のせいだ。

 ラベンダーのような薄紫の月に、レモンみたいな黄色の月。葡萄ぶどう酒を薄めたような赤い月に、モルフォちょうなみに青光りしている月。

 何度数えても四つあるよ。……ははは。泣きたい。四つめでたく踊るぽんぽこりんだ。……私、ヤサグレていいですか。


 あ、いや。現代科学が感知してないだけで、地球からも四つの衛星が見えた時代があるのかもしれない。うんと遠い過去とか、うんと遠い未来とか。……って結局、別の世界と同じことじゃん。

 どこまで歩いたって、おじいちゃん家には戻れないよ。


 人間って落ち込んで底の底まで到達してしまうと、もはや何も感じないのかな。悲しみも絶望も怒りも湧いてこない。私、もうどうでもいいや。

 このままここに寝っ転がって、『即身仏そくしんぶつコース』を選択しよう。

 うむ。断食は何回かやっているし、食べないことは苦手じゃない。時々うちの親が食事とか食事代とか食糧とか用意し忘れることあるから、だいぶ慣れた。




 ぽとん!


「うきょっ!」


 何かが急に飛んできて、鼻先に着地した。びっくりして手で払うと、それはかすかな羽音をさせながら、ゆっくりと私の横で旋回している。

 痛みできしむ上半身を少しだけ起こす。小さな虫は私の目線を誘うように横ぎり、そのまま足元近くに置かれたリュックの上にぽてん、と止まった。


 ……そうだ、スマホ!


 両手で踏ん張って、ちょん、と丁寧に置かれたリュックのところまで根性で移動する。でももう痛くて無理。右腕を精一杯伸ばしてリュックの端をつかむ。そのまま地面をずずずとこすって、引き寄せた。


 おおう、貴方は黄色い天道虫さんでしたか。背中のチャームポイントは四星よつぼしさんですね、こんばんは。


 リュック上の雨蓋あまぶた部分にぽちっと止まっていた、先ほどの虫を至近距離でじっくり観賞させていただく。月明りに美しく照らされた天道虫をこれ以上刺激しないよう、リュックのサイドポケットからそぉっと携帯を取り出した。

 一応電源は入るみたいである。でも電波届いてない。

 そらそーだ。いくら携帯電話が地球を席巻しつつあるといっても、月が四つ見えるとこに基地局立ってる気がトンとしない。


 ふたたびめ息をついて、電源を切る。充電できない可能性のほうが高いし、これはホームシックでどうにもならなくなるまでは使わずにおこう。


 ……そのほうがいいよね?

 と四星天道虫よつぼしてんとうむしさんに話かけようとしたら、もうどこにもいないではないか。がぁぁぁん、貴重なお友達が消えた。私、世界に見捨てられた。




 現実逃避の一種なのか、感情のバロメーターがおかしくなってる。がっくり項垂れながら、スマホをリュックのサイドポケットに戻す……のも、紛失盗難の可能性を考えてよそう。

 雨蓋あまぶた部分の布をひるがえし、リュック本体のファスナーを開いた。そこで我が永遠の心の友と思わず目が合ってしまう。


 ミーシュカ! ……貴公きこうを忘れた私を許してたも! 会いたかったぞよぉぉぉっ。


 私は25cmほどの熊のぬいぐるみを取り出し、ぎゅぎゅぎゅっと抱きしめる。

 珈琲コーヒー牛乳色した自慢の毛並みはもっふもふで、両後ろ足の薄小豆あずき色した足裏生地には三色すみれと白いスノーフレークの花が大きく刺繍ししゅうしてある。


 誇らしげに首に巻かれた小鴨こがも色のチロリアンテープには、中央に金と銀の丸い魔除け鈴が1つずつ。くわの実色のおすましジャケットには、白い小花模様の縁どり。

 しかもこの子、動かすと不思議な音がするでしょ。5cm大のガムランボールが心臓の位置に入っているのだよ。


 六年前のクリスマス、おじいちゃんと一緒に私を訪ねてきたときははだかんぼうのすっぽんぽんだったのを、足の刺繍ししゅうも心臓音も含めて全部お手製アレンジしたのだ。


 月が四つあろうが、携帯の電波が届かなかろうが、ミーシュカと離れ離れになっていないのなら所詮しょせん些末事さまつごとである。

 私は愛熊の頭をなでなでしながら、夢オチかもしれない今日の奇怪な出来事をつぶさに語り聞かせようとした。


 ……んだけど、寒い! ここって何月よ? 


 これだけ立派な針葉樹林、冬の間は雪がたっぷり積るんじゃなかろうか。なんで熱帯雨林な世界にトリップしないのかね、私は。まぁでも、そうなったら今度は原因不明のウィルスとか熱病で、すぐあの世にスライド移動しそうなんだけど。

 風邪もしょっちゅう引く虚弱体質だし、万年インドア派の本の虫だし……うん、未知の世界でたくましく生きていける気がミジンコもしないわ。




 仕方ない。名残惜しいが、ミーシュカには隣で座って一時待機をお願いしよう。


 リュックから薄手のカーディガンと木綿のスカーフを引っ張り出し、今まで羽織っていた化繊のパーカーの下に着込む。下半身は同じく化繊のストレッチ・ジーンズと登山用と言えなくもない厚手の靴下に、がっしりした登山靴だから多少は寒さをしのげるだろう。


 あ、そういえば化繊のミニ巻きスカートも入れてたよね。お尻がかなり痛いんだけど動かせるかな。はりきって買い込んだ登山グッズ、いろいろと無駄に放り込んでおいて良かった。

 寝転がっているんだか、上半身ちゃんと起こしているんだか、よく解らない芋虫さん体勢で、巻きスカートをもぞもぞと腰に装着する。


 ……ふむ。これで多少は温かくなった。……なるはずだ、心頭滅却すれば、たぶん?







****************


 ※少しも、という意味の「とんと」を、「トンと」と誤変換するのは芽芽めめ語です。生き物好きなので。

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