プロローグ(ヴァーレッフェ王国)

 コマドリだろうか。どこかで「ピョロロロ……」と喉を転がせるような高い声が聴こえる。愛熊と二人ぼっちで空港行って、日本に戻って数日後。

 ひんやりした森の中まで太陽の光が優しく降り注ぎ、清々しい朝の空気で満たしていく。


 残念ながら、ここは日本でも地球でもない。さっきの歌声はコマドリどころか、鳥でない可能性もあるときた。


 いつもの癖で感謝をこめつつ、頭部の周りに配置した四つの小石をお手製の巾着袋に回収する。小学校に上がる前、河原で一番きれいな色して、一番握り心地が良いのを、おじいちゃんと一緒に何日もかけて探した思い出の品だ。


≪おはよ~≫


 闇夜を溶かしこんだような勝色かついろローブの中から両腕をうんと伸ばして、首だけ回す。そして左隣に寝そべる白い大型犬と、右隣にちょこんと座り込んだ緑の小さな竜に、年齢順で挨拶した。


 声には出さない。頭の中で意味をこめて、言葉を投げかける――念話だ。


≪あ、芽芽めめちゃん。ボクお腹が空いちゃって……ご、ごめんねっ、食べる?≫


 すでに朝食を開始していたらしい。手に握った花や葉っぱをもしゃもしゃと口に運んでいた竜のフィオは、気まずそうに固まってしまった。

 私と同じ背丈だが、横に広がるずんぐりむっくり体形。ぽちゃカワの美竜びりゅうなのに、すぐ遠慮して縮こまる。


≪食事、本当に盗って来なくていいわけ? やせ我慢してみっともない≫


 別に気にしないよ食べんしゃい、とチビ竜に軽く手を振って促していたら、犬のカチューシャがあきれた声をワザと出す。これでも心配してくれているんだと思う。

 真っ白いもふもふの毛並みをでながら、私は苦笑した。サモエド犬おねえさんは、口は悪いが面倒見はいいのだ。


≪パンの一つくらい、ふもとの民家から失敬しても問題はなかろう≫


 年老いた男性の声が脳裏に響く。これはじじ様。私の大切な熊のぬいぐるみを住処とする困った幽霊だ。魔術にすっごく詳しいくせに、『ただのしがない教師』だと自己申告中。


≪朝はお水だけでも平気だってば。今日は街に行くんだし≫


 せめて白湯さゆが作れるといいのだけど、とつぶやいたら爺様がやり方を教えてくれた。

 なるほど。爺様の青い指輪で水を作って、赤い指輪で沸騰させるのね。自信がないのでコップを地面に置き、少し離れた場所から体内の魔力とやらを指輪に注ぎ込む。


 本当にお湯が出来てしまうのだから、不思議な世界である。しかも二晩続けて野宿しているけど、虫に刺されることもない。果たして夢に迷い込んだだけなのだろうか。




≪そうだ。フィオが隠れやすくしなきゃ≫


 猫舌なので、冷めなきゃ飲めない。待っている間にリュックにのぞき穴をいくつかつけよう。

 スイスナイフを取り出し、帆布はんぷのような布地の織り目の間をぐりぐりと広げる。

 荷物を下に敷き詰めて、タオルを畳んでクッションにして。

 あとは、つっかえ棒を……うん、爺様の魔杖まじょう二本が前腕くらいで丁度良い長さ。横に落ちてた木の枝や、針金みたいな細いつたも使ってバッテンに組もう。


≪魔杖でつっかえ棒じゃと!≫


 熊のぬいぐるみの中で、何か面倒臭い幽霊がもんどりうってる気がする。気にすまい。きっと気のせいだ。地震列島の出身者として大いに誇れる筋交すじかい工法ではないか。


≪フィオ、この中って居心地どう?≫


 緑の竜がリュックをのぞき込んで、延々えんえん首を傾げてる。真剣に考えてくれているのは伝わるんだけどさ。そいで昨日も極小サイズをちょこっと見せてもらったから、スペース的には大丈夫と思うんだけどさ。

 とはいえ今日からは長時間の隠密行動。弟分の君が心配なのですよ。


≪……実際に試してみよっか?≫


 それが一番早いと思うよ、とリュックの口を両手で広げてあげる。

 くるりと空中で回転した竜は、あっという間に私と同じ身長からバスケットボールくらいに小さく変化すると、すぽんと中に入り込んだ。


≪落ち葉とか敷いたほうが柔らかい?≫


≪んー、これでも大丈夫だよ、多分≫


 のほほんとした少年の声。角のはえた緑頭をリュックからちょこんと見せて、ちびうさぎみたいな耳をひょこひょこひょこ。つぶらな瞳と目が合った。


 はう、めっちゃ癒される。


 じじいわく、許可申請しないと街に竜は入れてもらえない。かといって迷い竜のフィオの場合、登録された騎竜のように外の宿場に預けるわけにもいかず、こうして荷物の中に隠すより他ないのだ。

 もういいよ、と頭をでると、ふたたび私と同じ背丈に戻り、旧街道と落ち葉の境い目でごろごろ転がって遊びだす。こんな無邪気な子を、自分たちの利益のために狙う人間がいるなんて。


 でも地球も同じだ。象牙やサイの角の密猟といい、ハンティング・ツアーといい、一体何が楽しいのだろう。

 白湯を少しすすりながら、元いた世界にしばし思いをせた。


 スイスナイフを握りなおし、リュックの表面についていたナイロン製のタグを取り外す。肩ひもの調整部分のプラスチックは、二枚常備していたハンカチでそれぞれ巻いて、ぎゅっと結んでみる。

 かどっこにカモミールやミモザの花がちょこっと刺繍ししゅうされているけれど、生成りだし、リネン地だし、この世界でも目立つまい。


 すると、わきへ置いた熊のぬいぐるみがワザとらしくごほんとせき払いのを寄越した。


≪ワシの肩掛け袋も、大樹の刺繍を外しておくのがよかろう≫


≪えー、可愛いのに!≫


≪これは校章じゃ。すぐに怪しまれるぞ≫


≪~~~~取る≫


 多分、目をくってことは有名な学校なんだ。ナイフの刃先で薄緑の糸を引っ張り、袋の中央に施された複雑なステッチをぷちぷちと解く。青空を濃くしたはなだ色の布地によく映えて、密かに気に入ってたのにな。


≪なんの学校?≫


≪まぁその、王都のとある魔術関係の学校といったところかの。えーとその……そう、人からもらったのじゃ!≫


 またそうやって誤魔化す。バッグの中にも同じ紋章つきの巾着袋があったじゃない。あ゛ーもー、『しがない教師』像が完全に崩壊していくよ。




≪あ、そうだ。こっちの袋はフィオが隠れるから、じじ様は外に出てもらわなきゃ≫


 爺様の肩掛け袋はどちらか一頭でも入るには小さすぎるし、私のリュックに力づくで二頭押し込んだらフィオがへちゃげちゃいそう。


 街でいろいろと買い物するのに、ぬいぐるみを抱えて片手が塞がっているのも困る。自慢のテディベア、我が愛熊のミーシュカ殿には、すっぽんぽんで首からぶら下がっていただくしかない。

 手作りの豪華絢爛けんらんなジャケットを脱がして、リュックの底に仕舞った。


 ついでに裁縫さいほうセットを引っ張り出し、首の周りの小鴨こがも色のチロリアンテープを、ネックストラップとして熊の背中側にいつけることにする。

 花刺繍を切断するのが勿体もったいなくて、二重に巻きつけていたから長さは十分。


≪痛い?≫


≪いや。全く感じん≫


 試しに針で熊の前脚をつつくと、中の爺様が返事をしてくれた。もうちょっと思い切ってぶすりと刺しても平気らしい。そこまではシンクロしていないのかな。ほっとすべきなのか、幽霊の不自由さに同情すべきなのか悩むところだ。


≪もっとざくざく刺しなさいよ≫


 いや、そういうプレイじゃないからね、お姐さんや。白い犬がのぞき込んではやたらとあおってくる。スプラッタよりも、リボンの可愛らしさに注目しておくれ。

 白のエーデルワイス、赤のアルペンローゼ、そして青のエンツィアン。アルプスの可憐かれんな花々が刺繍されたお気に入りのチロリアンテープなんだよ。


≪ボクのせいだよね……ごめんなさい≫


 急に向こうでフィオががっくりと項垂れた。先のとがった金属で何をするのか、じっと観察していたらしい。


≪え、いやそういう問題じゃなく。こっちのほうが動きやすいだけだから≫


芽芽めめちゃん一人だったら、すぐに街に行けたのに……≫


≪――逆に一生無理だったと思うよ。捕まって牢屋ろうやでしょ、今≫


 最悪は口封じで『お片づけ』されていたんじゃないかな。だからフィオのおかげだよ、と慰めるのだけれど、竜はすっかりしょげ返っている。いい子なんだけれど、ちょいちょい後ろ向きだ。

 落ちつきんしゃい、と丸まった肩を優しくたたく。


 それにしても。なんでこんなことになっちゃったんだろう?


 エメラルドのように輝くうろこで心地を堪能しながら、一昨日からの怒涛どとうの展開を頭の中で逡巡しゅんじゅんしてみた。

 二晩寝て、目が覚めて、やっぱり竜が脳内で話かけてくる世界が続く。熊ジャックした正体不明のじじ様幽霊と、相棒の変な犬『もどき』までもが普通に脳内でしゃべってる。

 おまけに現在の私たちは、狂気の魔導士集団から絶賛逃亡中。


 正直、現在地も行き先もよく解っていない。私、これからどうなるんだ?







****************


 ※「スイスナイフ」はアーミーナイフのことです。言葉にこだわる子なので、仏語のun couteau suisseという呼び方を採用しているのだと思われます。

 「熊ジャック」は芽芽めめ語。じじ様は、ハイジャックやバスジャックならぬ、熊乗っ取り犯なので。

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