24 決断は誤らぬ

 伯父の瞳が暗く光っている。あの頃と何一つ変わらぬ眼光である。


「伯父上がここにいるということは、僕はとうとう水に還るのか」

「ワシム様、そんなこと!」


 ドゥラが声を上げるが、ワシムとニダールは睨み合ったまま、僅かたりとも視線を外さない。しばしの沈黙の末、口火を切ったのはニダールだった。


「赤の集落襲撃の立案者は、おまえだと聞いた」


 捕らえられた闇商人の誰かが証言したのだろう。そう、赤の集落を襲い砂竜を奪うようにと彼らをそそのかしたのは、ワシムだ。


 抜け穴だらけの本作戦。砂竜族であれば対抗できると考えたからであり、決して悪人を助けるために行ったことではない。だが、頑固な伯父にそれを説明したとしても、理解してはもらえぬだろう。


 口を開かないワシムに、ニダールは言葉を重ねる。


「以前も赤の氏族を害そうとしたな。恨みでもあるのか」


 約二年前、巡礼の途中で紫の集落に立ち寄ったアイシャと子竜を崖から蹴落とした。迫害されるべき性質を持つアイシャが、赤の氏族で受け取った大きな愛をひけらかす度、憎しみが募ったのは確かである。


 衝動から、人としてあり得ぬ事件を犯した自覚はある。ゆえに、二年前この身に下った集落追放の判決も反発することなく受け入れた。しかし、今でもアイシャや赤の氏族を憎んでいるかと問われれば、答えは否だ。


 ワシムは伯父の暗い色を宿す瞳を観察した。どのような感情の揺れも窺えないが、少なくともワシムを救済しようとしている訳ではなさそうだ。


「憎くはありません。伯父上ほどには」


 あからさまな挑発に、ドゥラが息を吞んだ。一方ニダールの頬はぴくりとも動かない。じっとワシムを見下ろしたまま言った。


「ではなぜ南を襲った」

「何度も言ったでしょう。砂竜族に、不届き者を始末させるためだ」

「贖罪のつもりか」

「贖罪?」

「砂竜族を助ければ、かつて犯した罪が消えると思ったのか」


 ワシムは口を閉じ、自身の心の奥底を覗き込む。


 ワシムは罪を償いたかったのだろうか。良心などというものが、果たしてこの身に宿っているのだろうか。己の心が読み解けない。確かなのは、ワシムは何かに突き動かされるように砂竜誘拐犯らを追っていたということ。そしてもう一つ明白なのは、今後いかなる善行を積もうとも、伯父は決して、かつてのような温かな眼差しを寄越しはしないということだ。


 不意に、狂気じみた笑いが込み上げてきた。ひくつく腹に力を込めて痙攣を押し止めてから、ワシムは溜息交じりに言った。


「罪は消えません。そもそも伯父上は、贖罪を認めるような人間ですか。一度あやまちを犯せば即座に追放。疑わしきすら罪。あなたのせいで、いったいどれほどの無実の同胞が砂漠を放浪することを余儀なくされ、どれほどの親族が悲しみに沈み肩身の狭い思いで暮らしているか、考えたことがあるのか」


 ニダールは一切表情を変えずに甥を見下ろしている。ややしてから、平然とした声音で言う。


「無論、そういった不満が生まれているのは承知している。だがそれは、罪人には皆平等に降りかかるものだ。俺にもな」

「伯父上にも……?」 


 ワシムは言葉に詰まる。もしや、親族であるワシムが追放されたことにより、伯父も等しく肩身の狭い思いをしたとでも言うのか。まさかニダールが他者からの視線を気にするとは到底思えぬが、事実としてはなるほど、そういうこともあるのだろう。だが、それならばむしろ。


「僕のせいで冷ややな視線を浴びることになったと言うのなら、少しは行いを改める気にもなったでしょう」

「改める?」


 ニダールは鼻を鳴らす。


「その必要はない。俺は何も誤ったことはしていない」

「僕は罪を犯した。罰を受けるのは当たり前だ。だが、他の者らがそうであったとは限らない」

「だから何だ」


 ニダールの眼球がぎょろりと動いた。


「おまえに何の関係がある」


 改めて問われると、答えに詰まる。ワシムはなぜ、このことに執着していたのだろう。幼少の頃を思い出す。


 怒りに我を忘れ、子供の喧嘩にしては血なまぐさ過ぎる騒動を起こし、伯父の失望を誘った。その頃から、周囲の不満に同調し、伯父を憎むようになった。


 思えばワシムはいつも、伯父に認められることばかりを考えて来た。無論、この陰気な顔が心底憎い。しかしその裏側には今も、昔のように甥として愛してもらいたいという歪んだ感情が隠れているのではなかろうか。そして、その伯父が、皆にとって敬愛すべき族長であってほしいと切望しているのではなかろうか。


「僕は、伯父上が集落の皆から恐れられ、憎まれるのを見るのが嫌だったんだ」


 ニダールの頬が、初めて感情を乗せて微かに動く。ワシムは言葉を続ける。


「伯父上に認めてもらいたかった。そして、誰もが伯父上を認めるようになって欲しかった。だが、もう砂竜族ではない僕には、それを願う資格もないのでしょうね」


 今回の動機の奥底には、もう一度ニダールとまみえたいという淡い願望もあったのだろう。素直にそう認めることができたことに、ワシムは驚きを覚える。靄がかかったような思考の中、むしろ己の心と正面から向き合うことができのだろうと思えた。


 淀んだ色の瞳でワシムを見下ろしていたニダールはやがてきびすを返し、扉の外へ出てから肩越しに振り返る。


「……出て来い。氏族会議の判決を言い渡す」


 ドゥラが小さく悲鳴を上げた。バンヤが低く唸り、ニダールへ飛びかからんばかりに身体を沈めた。


 ニダールは一切動じた様子もない。ただ、冷淡に急かすだけ。


「待たせるな。時間の無駄だ」

「ワシム様、私達と逃げましょう」


 顔面蒼白になり囁くドゥラの肩を軽く押しのけて、ワシムはふらつく脚を伸ばし、立ち上がる。


「ワシム様!」


 悲鳴じみたドゥラの声が背中を打つ。ワシムはただ微笑んで、彼女を見下ろした。


「僕は正しいと思うことをする。君は赤の集落へ行き、彼らの仲間にしてもらうと言い。そしてバンヤ」


 白き砂竜は、知性に満ちた漆黒の瞳でワシムを見つめる。


「白の集落へ帰り、家族と共に暮らせ。君にとってもそれが一番良い」


 古びた日干し煉瓦の壁面が、まるで回転しているかのように歪んで見える。強烈な立ち眩みを覚えたが、どうせこの後処罰を受けるのだ。この身の不調など、取るに足らないことである。


 一度追放された罪人が、再度罪を犯したのであれば、その先に待ち受けるのは死のみ。他氏族ではどのような法があるのか知らぬが、少なくとも伯父ならば、慈悲ある決断はせぬだろう。


 眼球が痛むほどに降り注ぐ黄金色の光に向かい、足を進める。日差しの下へ出ると、頭頂を激しい熱が刺し、軟禁生活で衰えた身体に残ったなけなしの気力を奪い取るかのようだった。


 ワシムは重力に負けそうになる膝を叱咤して、まばゆい光の中を歩む。遠巻きに、氏族の同胞らがこちらを眺めていた。


 数歩離れた前方で、ニダールが待っている。急かすでもなく、静かな視線を注いでいる。


 ワシムは強烈な陽光に目を細めつつ、やっとのことで伯父の側へとたどり着く。駱駝が二頭並んでいた。 


 もしや、駱駝に繋がれ引き回されて、砂と水に還ることになるのだろうか。かつて、そうやって罪を贖った者らを、ワシムは知っている。


 ニダールは髭に覆われた口元を蠢かせ、不愛想に言った。


「さあ、乗れ」


 ワシムは駱駝の背側に目を遣って、首を傾ける。罪人を引き回すための縄や鎖は見当たらない。熱さと衰弱で靄がかかったかのような思考の中、ワシムは理解が追い付かずに動けない。ニダールが、苛立ちを滲ませた。


「乗れと言っている。聞えぬか」

「乗るって」

「わからんか。駱駝に乗って早々に出て行けと言っているのだ」


 ワシムは耳を疑い、伯父の顔を凝視する。背後から、ドゥラとバンヤが駆け寄ってきた。ニダールはそちらを一瞥してから、甥に視線を戻す。


「あの娘と砂竜も連れて行け」

「ドゥラと……バンヤも? だが白き砂竜は」

「白の族長ラシードに話はつけて来た。あの砂竜は頑固者だ。おまえを断罪した者の手からは砂を食べないだろう」

「ですが僕は、もう砂竜族では」

「砂竜が認めた人間が、真の砂竜族だ。無論、おまえはもう紫の氏族の人間ではない。ゆえに、ただのさすらいの砂竜族だ」

「伯父上、つまり、僕を許すというのですか?」


 ニダールは鼻を鳴らす。


「許すも何も、おまえは二年前、赤の小娘を蹴落とし俺を陥れようとした罪で追放されたのだ。許しもなく出戻った罪人を追い出すのは当然のこと」

「今回の赤の氏族襲撃は」

「あれは、砂竜族のために行ったことだと弁明したのは自分だろう」

「信じてくれるのですか?」

「おまえをではない。あの娘と、白き砂竜を信じるのだ。さあ、無駄な時間を使うな」


 ワシムは混乱したまま、追い立てられるように鞍に上る。もう一頭の駱駝にドゥラが跨った。その茶色い尾を追う様に、白銀がついて来る。


「伯父上、後悔なさいませんか」

「後悔? するものか。俺は、決断を誤ることはしない。おまえがこれ以上砂竜族に害なす存在であった場合には、死をもって償うだけだ。失望させるなワシム。少なくとも、他氏族には迷惑をかけるな。……どうしても助けが必要ならば、青でも赤でもなく、俺を頼れ」


 不器用なニダールの最後の言葉は、誰の耳にも届かぬまま、砂塵に溶けて消えていく。


 二頭の駱駝と一頭の砂竜。そして二人の人間は今、茫漠とした砂色の世界へと旅立った。


 待つのは過酷な暮らしだが、信頼で結びついた彼らの旅路はこの瞬間、再び始まったばかりである。

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