22 傲慢

 紫の集落に連行される道中、半月ほどで、数える程度しか食事をとっていない。さすがに水や駱駝の乳は与えられたものの、固形物を恋しがる胃部が、きりきりと痛む。だがしかし、今はそのようなもの、取るに足らぬ苦痛である。


 飢餓を覚える身体は、瞼を持ち上げるのも億劫なほどに重たい。それでもワシムは上体を起こし、真っ直ぐに伯父を見上げた。


「二度と戻るまいと思っていましたよ、こんな場所」

「何だと」


 気色ばんだのは、ニダールの側でこちらを見下ろす男。何と言う名だったか。二年前までは覚えていたような気もするが、もはやどうでも良い。どうせ小者だ。


 胸中きょうちゅうが顔に浮かんだのだろうか。男はワシムを睥睨へいげいし、苛立ちを募らせ拳を握り、一歩踏み出す。


「おまえ……自分の立場が分かっていないようだな」

「見苦しい」


 ニダールの陰気な声が割り込んだ。


 族長の淀んだ瞳でひと睨みされ、男は大人しく口を閉ざす。やはり大した人間ではないらしい。


 ワシムは男から視線を外し、伯父に目を向けた。相変らず感情の読めない顔だ。


「ワシム、あろうことか盗人と手を組み赤の集落を襲撃したらしいな」


 ワシムは口角を上げる。


「ええ、間違いありません」

「なぜそのようなことをした」

「砂竜族に、奴らを捕えさせるためですよ。砂竜が攫われ西方自治区に売られているんだ。マルシブ帝国の民として見過ごすことなんて出来ない」


 ニダールは何も言わずこちらを見下ろしている。束の間の沈黙を破ったのは、先ほどの男である。


「おまえがわざわざ身をていしてまで解決するほどの事案だろうか。自己中心的な理由から、氏族を追放されるほどの事件を起こした罪人の行動とは思えない」

「自己中心的か」


 ワシムは低く笑う。


「ああ、そうだ。僕は利己的な人間だ。だが、伯父の統治に不満を持つ者が多いのも確かだろう」


 首を巡らせ、周囲に目を向ければ、幾人かが気まずげに視線を逸らせる。ほら見たことかと、ワシムは胸の底に沈殿していたどす黒い思いを吐き出した。


「疑わしい者は容赦なく断罪。抒情酌量などもっての外。紫の氏族らしく厳格であると言えば聞こえが良い。だが、ニダール族長のせいで追放された無罪の者や、その家族がどんな気持ちで過ごしているか、想像できないとは言わせない」


 小さな騒めきが、集落を駆け巡る。囁き声が収まるのを待ってから、ワシムは続けた。


「義賊らしい高潔な思考から二年前のような事件を起こしたのではない。だが伯父が失脚すれば、結果的にこの集落は過ごしやすくなる。疑り深い族長の下で、気を張り暮らす必要もなくなるだろう」

「ゆえに、俺を排除する機会を狙っていたという訳か」


 ニダールは一切の心の揺れも感じられぬ抑揚で言う。


「結果、稚拙な計画で、全てを棒に振った。愚かしい。このような者が甥だとは」


 ワシムは、顔面に血流が集結するのを感じて声を上げる。


「皆が族長へ少なからず疑問を抱いているというのに、あなたは、己の行いを顧みることはしないのか!」

「無論、しない」


 ニダールの夜色の瞳が、ワシムを圧迫する。


「俺は常に最良の道を選び取る自信がある。決断を誤ることはない。倫理的に間違ったことでも、真実を捻じ曲げることになろうとも、氏族のために最良であれば後悔など不要。氏族を窮地に落とす決断をした日には、俺は死を以ち贖うだけだ」


 ワシムは、込み上げた憎しみに心を埋め尽くされて、歯ぎしりをする。


「傲慢だ」

「どちらにしても、二年前の断罪は終了している。必要なのは、此度の騒動に関する審議だ」

「僕の言葉など、誰も信じないのだろう。それならば、これ以上の弁明はしない。口を動かす労力が惜しいからな」

「そうか」


 ニダールは鼻を鳴らし、呆気なく頷いた。それから、顎で周囲の男らに合図を出し、冷酷に言い放つ。


「牢へ連れて行け」


 抵抗すらも愚かしく、ワシムはされるがままに、風化した日干し煉瓦の建物の一つ、罪人を拘束する一室へと連行された。

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