第21話 姉と狐

 〈ポルポル〉と言えば、水戸市の住民にとっては知らぬ人がいないくらいのケーキの名店だ。

 広々としたイートインスペースでは、お一人様から家族まで、様々な人達が色彩豊かなスイーツに舌鼓を打ち、日々の疲れを癒やしている。


「――こんな休日に呼び出すとは、何のつもりだ貴様」


 ……だが、波沢渚沙にはそれは当てはまらなかったようである。

 凄まじいくらいの不機嫌オーラを周囲に――否、目の前に座る狐目の男一人にぶつけていた。


「随分と不機嫌なようだね。ちゃんと糖分をとったほうがいい。糖分は全てを解決してくれる」

 そんな怪しげなキャッチコピーと共に、柊望我ひいらぎぼうがはシュークリームをかぶり付いた。

長身を高級スーツに身を包んだ狐目の彼は、渚沙とただならぬ関係である――という訳ではない。


 ただの仕事上の関係だ。

 それ以上も以下もない――むしろ仕事でなければ、渚沙はこの胡散臭い金髪野郎を視界に入れることすら御免だった。


 しかしこの胡散臭い男はただ胡散臭いだけではない。

 柊望我は大学在学中にHFI(ヒイラギフューチャーインダストリー)を立ち上げ、世界で初めて第四世代――完全人型RCユニットの実用化に成功し、五年足らずで瞬く間に世界シェアの大半をかっさらったという冗談みたいな経歴を持っている。

 そんな世界的企業の若き社長は、その整った容姿も相まって浮ついた話題にも事欠かない。


 その証拠に、店内にいる何名かの女性はちらちらと望我に好意を含んだ視線を送っている。

 ちなみに渚沙は目の前の男に不快感こそあれど、そのような好意とは一切合切無縁の感情を抱いている。


 それは草部仁という可愛い弟にして心に決めた男がいるからでもあるのだが――そうでなかったとしても、目の前に座ってシュークリームと格闘している狐の具現化みたいな男に好意を抱くことは、天地がひっくり返ってもありはしないだろう。


「御託は後だ。さっさと用件を言え」

「そう焦らないでくれたまえ。すぐに突っかかってくる君の態度は好ましいが、ここはケーキ屋だ。まずはケーキを食べないと。そうだろう?」


 渚沙の前に並んだケーキは、全て魅力的な輝きを放っている。

 何度か食べているので、その味は折り紙付きだいう事も理解している。

 が、目の前にいる男と一緒に食べるのは凄まじく嫌だった。

 いっそのことそのニヤけ面にケーキを投げつけてやろうかと思ったが、ケーキに罪はない。


 罪を背負っているのは目の前の望我だけである。

 罪状はイラッと罪というのはどうだろうか。

 はあと嘆息しながら、フォークでカットしたガトーショコラを口に運ぶ。


「――む」


 やはりうまい。

 ふにゃりと口元が緩む。

 満足そうに頷いている望我が非常にムカつくが。


「食べたぞ、さあ言え」

「……まあいいか。ここに呼び出した本題は他にあるが、それより前に君の意見を聞きたいんだ」

「意見?」


 それならば電話やチャットで充分だろうと思ったが、続けて望我の口から飛び出す多言葉が、その選択肢を奪い取った。


「ああ、今この街を騒がせている、ヒーローについてね」

「……!」


 瞬間、渚沙の手の中でフォークがぐにゃりと曲がった。


「……なんだと?」


 無論聞こえなかった訳では無い。

 聞こえていなければ、フォークは未だに職務を全うできただろうから。

 渚沙の言葉の意味には、これ以上馬鹿なことを言ったらただでは済まさないことも込められている。

 望我もそれは了承しているが、言葉を引っ込めるようなことはしなかった。


「ヒーローだよ。君達がジャグラーと呼んでいる彼のことだ。元〈ビスクドール〉と言った方が馴染み深いかな?」


 ぶつんと、フォークの頭部が本体から切り離され、テーブルに転がった。

 後で弁償せねばなるまいと頭の片隅で思いながら、目の前の男を睨み付ける。


「なぜ、その情報を知っている? それはまだ外部に――」

「おいおい馬鹿にしてもらっちゃ困るな。ジャグラーの信号を検知することくらい我が社の製品であればどうという事はない……その信号が、ビスクドールと完全に一致したってこともね」


 ギリッと歯噛みをする。

 ビスクドールの情報は一般には公開されていないが、HFIのようにACTと繋がりが深い機関には情報が公開されている。


 その情報もいずれは発表される予定ではあったが、既に情報は掴んでいたという事か。


「気に入らんな」

「それは僕のことかい? それともジャグラーかな?」

「両方だ」


 舌打ち紛れに吐き捨てて、手づかみで残ったガトーショコラにかぶり付く。

 大胆ではあるものの、その動きには下品さを感じさせない。


「ジャグラー……」


 二週間前に、突如この街に出現した謎のキャンサー〈ジャグラー〉。

 その正体も、動向も、渚沙にとっては悪い冗談以外の何ものでもない。

 キャンサーのコアが活性化した際に発せられる信号は個体ごとに異なるが、ジャグラーから発せられる信号は二年前に出現したビスクドールと完全に一致している。


 分身体のようなもので無い限り、そのような現象はあり得ない。

 つまりジャグラーの正体は、二年前に出現しACT水戸支部を破壊したビスクドールだという事が確定している。


 最初は認めたくなかった。

 ビスクドールが生きていたのならば、何のために仁は右腕を失ったのか。

 彼が右腕を犠牲にしたのにも関わらず、ビスクドール改めジャグラーはのうのうと生きている。


「ヒーローだと? 馬鹿にするのも大概にしろ……!」

「だが、多くの人間を救ってるのは事実だ。今日もひったくり犯を撃退したみたいだよ」


 ほらと望我がスマホの画面を渚沙に見せた。

 SNSに投稿された映像では、ジャグラーはひったくり犯を軽くあしらって、盗んだ物を持ち主に返却している一部始終が収められていた。

 コメント欄には、様々な憶測が書き込まれている。


 ただのポイント稼ぎをしたいだけ、偽善者、新しい侵略の形だなどの否定的なコメントから、彼こそがヒーローであるとする肯定的なものまで様々だ。

 賛否両論とはまさにこのことだろう。


 ジャグラーが行っているのは破壊活動などではなく、その逆――人助けだった。

 キャンサーを倒したりするだけでなく、ひったくりを捕まえたり迷子の子どもを親元に連れて行ったりと、規模の大小に関わらず困っている人の前に現れては救いの手を差し伸べるその姿は、確かにヒーローと言えなくもない。


 が、ジャグラーには二点致命的な部分がある。

 一つはキャンサーであること、そしてもう一つはビスクドールと同一個体であるということだ。


「彼はこの姿では人を殺していない。それどころか、キャンサーを殺して人を救ったことさえある。まあビスクドールの時も人は殺していないんだけどね」

「そんなのただの結果論だ。あいつのせいで、仁はACTを辞めざるをえなくなってしまったんだぞ……!」

「清々しいまでに私情なのはさておき、むしろそれくらいの犠牲で済んだとも言える。弟さんのことは残念だが、ACTにいれば必ずしも起こり得ることじゃないか。そうだろう?」


 望我の言っていることは間違っていない。

 が、その言葉が、いちいち癇にさわる。


「……おまえはキャンサーの肩を持つのか?」

「人間だって善人と悪人がいるんだぜ? キャンサーが全て悪とは限らない……もっとも、連中が善悪の概念を持ち合わせているかは疑問だがね。以前そんなことを公の場で言ったら非難囂々だったな」


 肩をすくめるが、当然だ。

 キャンサーがこの世界に出現してから十二年。

 これまで億を超える人間が、怪物達の犠牲になっている。

 渚沙の愛する両親も、彼女を守るために目の前で怪物達に切り刻まれた。

 渚沙が愛する弟も、右腕と夢を奪われた。


 そして奪った張本人は、弟が憧れていたヒーローのように振る舞っている。

 そんな屈辱、到底認めることが出来なかった。


「なるほど。薄々分かっていたけど、やはり君はそうなんだね」


 紅茶を口に含みほうと息をつくが、その声音に失望の色は感じられない。


「巫山戯た質問はこれで終わりか?」

「ああ、ここはケーキが主役だからね、スマホはさっさと引っ込ませてケーキを味わうのが先決――おや?」


 スマホの通知に望我は眉を潜めながらタップすると、ほうと息を漏らした。


「随分と大変なことが起こっているみたいだね」

「何……?」


 再び見せられたスマホ画面には、銀行強盗がこの近くで発生していることを報じていた。

 それも、大勢の人々を人質にして。


「……!」


 反射的に立ち上がる――が、踏みとどまり、すぐに再び座った。

 銀行の様子をリアルタイムで放映しているニュース番組をつけっぱなしにしながら、スマホを横に置いた。

 食事中はその手の機械を出すことを好まない望我だが、今回は状況が違うようだ。 


「いい判断だね。この件で君が出来ることは何もない。大人しく座っているのが一番だよ」

「……黙れ」


 分かっている。

 あくまでこれは警察の領分であり、ACT隊員である渚沙の出る幕ではない。

 いくらRCユニットがあれば、強盗犯達を一掃できるとしても。

 キャンサーが出現する以前の世界では、最強の兵器といえば満場一致で核兵器だった。


 大国のみが独占し、それ以外の国にはその危険性を訴え所持や使用を禁じるという、矛盾に満ちた制度がかつて存在していたが、現在では核兵器は全て破棄されている。


 ハザードデイの際、某国の核兵器製造工場にキャンサーが出現し、爆発事故が発生。

 甚大な被害をもたらし、十二年経った今でも、爆心地近くは未だに立入が禁じられている。

 このような惨劇は他の核保有国でも起こっていた。


 キャンサー殲滅兵器として核兵器を使えないかという議論があったが、周囲の影響も馬鹿にならないので、キャンサーを殲滅する前に人間側が限界を迎えることになるなんて喜劇なのか悲劇なのか分からないオチを迎えかねない。


 そのような背景によって世界に存在する核兵器は全て廃棄され、現在人類が持つ最強の兵器の座はRCユニットに明け渡されることになった。


 余談だが、今まで絵空事だった核廃絶を実現したとして、キャンサーがイグ・ノーベル平和賞を受賞するという珍事が発生した。

 尚、受賞者は授賞式に出席しなかった。(するつもりもなかったかもしれないが)。


 だがRCユニットはあくまでキャンサーを駆除するという名目で作られており、装備されている兵器の中には人間に使うことを禁じられているものもザラにある。

 そのような背景からRCユニットは、どんな理由があろうと――それこそ犯罪者を撃退するためであろうと、人間に使う事は固く禁じられている。

 分かっている――だが、渚沙の手は硬く握られ、震えていた。


「愚かなこととは言わないけど、やはりRCユニットの使用をACT以外が禁止されているというのは、やはりこのような弊害は起こりうると言うことだね」

「そうだな……」


 そればかりは同感だった。

 救える力があるのに、何も出来ない。

 これ程歯がゆいことがあるだろうか。


「だがここは、感情を抑えることをオススメするよ。今度前のようなことをやったら、謹慎じゃすまない。ACTにいられなくなってしまうだろうからね」

「……っ」

「まあでも、これは放っておいても大丈夫なんじゃないかい?」

「中にいる人達を見捨てろというのか?」


 あれだけ大量の人質を取られた状態では、いくら優秀な警察であろうと迂闊に動くことは出来ない。

 こんな状況を鮮やかに解決出来るとしたら、それこそヒーローのような存在しか――


「いやいや、いるじゃないかこの街には。困っている人がいればすぐに駆け付けてくれるヒーローがね」


 望我が何を言わんとしているのかを理解した瞬間、瞬間、銀行のガラスが派手に割れた。

 中から人質と覚しき民間人が大量に外へなだれ込んでくる。。

 その一瞬、銀行内で暴れ回る一体の怪物が映り込んだ――


「――!」


 その姿を見て、渚沙は残ったガトーショコラを一口で平らげ、弾かれたように立ち上がり、テーブルに千円札を叩き付けた。


「釣りはいらん」

「え? 今日は私の奢り――」

「貴様の施しなぞいらん!」

「あとまだ渡すものが――!」


 望我が止めようとするが、これ以上答える義理はないとばかりに、渚沙は店を飛び出した。

 望我はスマホをしまい、紅茶を口にしながら足下のスーツケースに視線を落とす。


「やれやれ、まるで赤いマントを見た闘牛の如しだ……けど、やっぱりこうでなくっちゃあおもしろくない」


 世間ではHFIと言えばRCユニットのメーカーと認識されているが、それ以外にも幅開く事業を展開している。

 例えばキャンサー被害で需要が増えた、義手、義足の生産もその優れたテクノロジーを存分に活かしている――


「――見つけましたよ、社長」


 頭上から振ってきた声に、余裕に満ちた笑みが固まる。

 たらーりと、頬に冷たい汗が伝う。

 ギリギリと壊れたブリキのロボットのように顔を上げると、そこにはパンツスーツに身を包んだ金髪の女性の姿があった。


 春日井明日葉かすがいあすは

 望我の秘書兼ボディーガード――そして、今一番会いたくない相手でもあった。


「や、やあ。明日葉君。どうしたんだいこんなところで」

「それはこっちの話です。あと十分で会議が始まるのをお忘れですか?」


 明日葉は表情の緩急が少なく、人によっては常に無表情に見えるが、学生時代からの付き合いである望我には分かる。


 マジギレだ。

 しかしここで引き下がるのは、社長の沽券に関わる。


「私無駄な会議には参加しない……というか潰す主義であることを忘れていないかい? そうポンポンとやられちゃ、本当に見当すべきことが埋もれてしまうものさ。会議は重要なことを煮詰めたようなものでなくてはならないんだ」

「今回の会議は、その重要な事柄を煮詰めたものなのですが」

「……」


 しばらく考えた後、


「よし、役員達に伝えてくれ。社長が不測の事態に遭遇したため会議は一時間延長とする」

「そんなワケありますか。さっさと行きますよ」

「ああ! せめて、せめて全て食べてからにしてくれ――!」


 悲痛な叫びを上げながら、襟首を掴まれてズルズルと引きずられていく。 

 あまりこの店に馴染みのない客はぎょっとした表情で引きずられていく望我を見ていたが、常連客の大半は特に気にも止めていなかった。

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