第20話 ジャグラー
「はぁっ……はぁっ……」
小脇に抱えているのは、明らかに彼の服装には不釣り合いなブランド物のトートバッグ。
顔中にこれでもかというほど汗を垂らした姿は、みっともないことこの上ない。
だがそれでも仕方ないくらいにひっ迫した状況に晒されていた。
恭二は所謂コソ泥である。
実家を叩き出され、水戸に来て早半年。
ロクに働こうという気概もないまま、酒とギャンブルに明け暮れる日々。
親に土下座して工面して貰った金も、あっと言う間に底を尽きた。
人間は二つのタイプがある。
貯金が無くなったとき、働こうと決心する人間とそうでない人間だ。
恭二は後者だった。
親の仕送りがないことに毒づきながら、小さな犯罪に少しずつ手を染めるようになった。
特にキャンサーが出現して、もぬけの殻になった街は格好の獲物だった。
運がいいときは、数十万は下らない大物を手に入れることもあった。
やがて恭二の心に一つの慢心が生まれる。
これくらいの高級品でも、俺は難なく盗めるんだぜへっへっへ、と言う訳である。
が、先人は言った。
柳の下に二匹目のドジョウはいないんだよアホンダラ、と――
そんな格言知ったことかと、今日も恭二はお気に入りの狩り場に向かったのだが、いかんせんそこには先客がいた。
補足するとその先客は人間ではなかった。
もっと補足すると、先客はキャンサーだった。
蟷螂型のキャンサーは、営利な鎌をちらつかせながら恭二を追っている。
本来であれば一瞬で仕留めることも可能のはずだが、キャンサーは獲物を恐怖させ、追い詰めるプロセスを楽しんでいるようだった。
「ひいいいいいい――! 神様、もう盗みはしません真面目に働きますから助けてくださーい!」
苦しい時の神頼みのお手本とも言える懇願も虚しく、恭二は脚をもつれさせて転倒した。
キャンサーのキィキィという鳴き声が、恐怖心を嫌でも増大させていく。
まさしく絶体絶命――と思ったその時だった。
「――そのバッグ、君にはちょっと上品すぎない?」
軽い調子の声が、頭上に降ってきた。
「うるへー! んなの大きなお世話――って、なんだぁ!?」
顔を上げると、丸くて青いアイレンズが、驚愕の表情を浮かべる恭二の姿を映し出していた。
背後にいたのは、異形の怪物――キャンサーだった。
だがその姿は、ACTが公開している従来のカテゴリーの全てに当てはまらない。
狼のように尖った耳、逞しい銀色のボディ、青い血管のようなものが張り巡らされた右腕。
キャンサーとRCユニットのあいのこのようなデザインだ。
それが、恭二の目の前でしゃがみ込んでいた。
「ひいいいいいいい――!」
『何やってんだか、結局怖がられてるじゃない』
と、先程とは声音もテンションも違う声が発せられる。
「おかしいな……このデザイン、結構自信あったんだけどな」
最初に聞こえてきた声は、少しがっかりしているみたいだった。
汗まみれの頬を引っ張ってみると、確かに痛い。
それがいやにフレンドリーな口調でキャンサーに喋りかけられたのが現実であると如実に語っていた。
「た、助けてくれぇ……!」
恭二は別に目の前の怪物に助けを求めたわけではない。
だが、
「もちろん。その為に来た」
銀色の怪物はこくりと頷くと、立ち上がり、追ってきたキャンサーと対峙した。
「はぁ……?」
まさか、銀色の怪物が自分の危機に颯爽と現れたスーパーヒーローだと思うほど、恭二もお気楽脳天気野郎では無かったのである。
しかし彼の予想はいい意味で次々と裏切られることになる。
「セァ――!」
銀色の怪物はその拳をキャンサーに叩き込んだ。
その一撃でキャンサーは大きく後退。
完全に怪物を敵と認識としたキャンサーは、両腕の鎌で反撃する。
怪物は避けられるものは避け、それ以外のものはアーマーの表面で滑らせるように受け流す。
攻撃の後に生じた隙を見逃さず、追撃を加えていく。
その動きはキャンサーではなく、人間のそれだった。
怪物が繰り出した回し蹴りが、キャンサーの側頭部を撃ち抜く。
「とどめに新機能、使わせて貰うよ……!」
怪物の右手の輪郭が僅かに歪み、手の甲から両刃の剣が姿を現した。
振り下ろされる鎌を受け止める――どころか、一気に根元から切り飛ばした。
ここでようやく、キャンサーは目の前の敵が自分の手に負えないものだと認識する。
地面を蹴って後退するが、怪物はそれを追おうとしない。
正確には、その必要が無い。
動かずとも、キャンサーがいる座標は既に彼の間合いだ。
怪物が右腕を水平に構えると、刃が等間隔に分離しながら、撃ち出されていく。
一本のワイヤーのようなものに繋がれているそれは、属に蛇腹剣と言われる武器だ。
剣の殺傷力と無知の柔軟性を併せ持つこの武器は、RCユニットにも搭載されている機体はあるものの、好んで使う隊員はほとんどいない。
その理由は何と言っても、扱いの難しさだろう。
二つの武器の特性を持つという事は、同時に二つの武器を使いこなさなくてはならないと言うことに他ならない。
何より蛇腹剣は、自分に当たったら鞭以上の大惨事を招きかねない。
だが怪物は、とあるアイディアによってその弱点を克服した。
なんてことはない。
体を動かす意識と、蛇腹倹素の者を動かす意識を分けてしまえばいいと。
キャンサーは弾こうと試みるも、蛇腹剣はぐにゃりと機動を変え、鎌と腕の関節部を切り飛ばした。
それだけでは止まらず、鎌首をもたげた蛇腹剣はその刃を武器を失ったキャンサーの胸を貫いた。
コアを砕いた感触を確認すると、怪物は蛇腹剣をキャンサーから引き抜いた。
蛇腹剣は怪物の右手に溶け込むように同化し、元の腕のカタチを取り戻していく。
「やっぱり凄いな……名前はどうしよう。蛇腹剣ってだけじゃ味気ないし……百連刃ってのはどうかな」
『百も刃ァないでしょ』
「それだけ沢山あるよってことだよ。万里の長城みたいなさ」
そんな風に謎の声と会話をしていた怪物だったが、やがて恭二のことを思い出したらしく、
「――あ、大丈夫だった?」
特に気にする様子もなく、恭二に歩み寄ってくる。
「お、おう」
目の前の怪物もキャンサーであるのだが、恭二は素直に返事をしてしまった。
「ここら辺のキャンサーは僕達があらかた片付けたけど、念のためシェルターに避難してくれ」
「あ、あんたは……」
「僕? 名前はまだ決まってないんだ。まあ、新人ヒーローってところかな」
そう言って肩をすくめてみせる。
何というか、動きがいちいち人間臭かった。
「そ、そうかい……じゃあ俺はここら辺で――」
「あ、そうそう」
ついでとばかりに、ひょいと恭二の手からトートバッグを奪い取った。
「盗みはもうしないんだろ? これは僕が本来の持ち主に返しとくから。いや、タグ付いてるしお店かな」
ブツブツ言いながら、銀色の怪物は去って行った。
数分後にACTに保護された恭二は、自分の身の起きたことを(盗み云々以外のことは)包み隠さず証言した。
記録上彼は、水戸に現れた謎のキャンサー――コードネーム〈ジャグラー〉の、最初の目撃者とされている。
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