第17話 抑止力
5分後、『おまえ一人の体ではない』というのは、流歌を育てていた両親も含まれるんですよ、という屁理屈極まりない弁解をしたが、渚沙はなんとか納得してくれた。
「……なるほど。そう言う意味だったのか。すまん仁、私の早とちりだった」
屋上で巨大なタッパーに詰め込まれた弁当を頬張りながら、渚沙は謝罪した。
「いや、いいよ。誤解を招くことを言った僕の責任でもあるんだし」
「それはそうだな。もし誤解でなかったら、あやうく実力行使していたところだったぞ、まったく」
「何をする気だったんだ本当に!?」
「言わせるな恥ずかしい」
照れるポイントを絶対に間違えている。
まさかさっきの言葉の意味が、今黛のメイン人格はキャンサーであるということを知られたら、本気でシャレにならない。
「……」
一方ブランカは黙って、焼きそばパンをもにゅもにゅ食べていた。
『なんだって、この女と一緒に食事をしてるのよあたし達』
なんでって……そりゃあナギに誘われたからだろ。
たまには一緒に昼食でもどうだ? と誘われたので、それに乗ったらブランカはそれがお気に召さなかったらしい。
『こいつACTなんでしょ? あたし達の敵じゃない』
どっちかって言うと同業者的な立ち位置であって欲しいなー……って思ってるんだけどな。
それを抜きにしても、渚沙は僕の友人なんだ。断る理由がない。
強いて言うのならば、ここで渚沙とブランカの衝突が起こらないか心配だけど。
「それにしても驚いたな……話には聞いていたが、まさか黛がこんなことになっているとは。垢抜けた……とでも言うのか?」
「まあ、そんなとこなのかな」
まさかキャンサーが中に入ってるんですよ、なんて言えない。
一方ブランカは、渚沙の視線にふんっとそっぽを向くことで答えていた。
「ごめんナギ。黛の奴少し機嫌悪いみたいでさ、なんでもかんでも悪いように捕らえるのが癖になっちゃったっぽい」
まるでブランカがひねくれているみたいな言い草ではあるけど、人間視点で言えば充分妥当な評価だろう。
「むう……あまり愉快ではないが、多感な時期だ。そういうこともあるのだろう。黛は今……厨二病なのだな」
「あー……まあそんなとこ」
地味な生徒だった黛がたった一日でイケイケなギャルに変貌した様を、そのように捉えていてもおかしくないか。
もっとも、彼女の体にはマジでシャレにならない怪物が宿っているのだが。
「ふふっ、懐かしいな。仁も数年前は――」
「それ以上いけない」
人間には誰しも掘り起こしてはいけない過去を持っているものだ。
そんなことを考えながらスマホを弄っていると、
「……ん。あー、駄目だこりゃ」
小さく嘆息した。
「どうした?」
「いや、さっきの一部始終を録画したんだけどさ。ブレブレで全然使えそうにない」
まあ、屋上から飛び降りればそうもなるのは分かっていたが、予感というのは悪いモノほど的中するよね。
「録画? 意味があるのそんなの」
ツイストドーナツの袋を開けながら、ブランカは首を捻る。
ようやく会話に入ってきてくれたことにホッとしつつも続ける。
「そうだな……一部始終を録画なり録音したのを、ネットにバラまかれたくなければ関わるなってメッセージを添えて送れば何もしてこなくなるぞ。あとそれ僕のだよな」
いつの間にか仁の手元から、菓子パンが一つ消失していた。
「細かいことは気にしないの。でもそれ回りくどくない? 物理的に再起不能にしてやればいいじゃない」
「少年マンガじゃないんだぞ。ボコボコにして『いじめっ子
「は? 武器は使ってナンボじゃない。宝の持ち腐れでしょ、それ」
「危険なのは分かってるけど詳細が分からないっていうのがキモなんだよ。いつ使ってくるか分からないっていうのもね」
「そのくせ使われたらヤバいってことは確実なのよね……さすが仁。陰湿ね」
どうやら僕イコール陰湿という方程式がブランカに出来上がっているらしい……少し異議申し立てをしたいんだけど。
「抑止力って言ってくれよ。まあとっくに削除してるんだけどね」
「結局削除すんの?」
「スマホの容量は無限じゃないし、入っててもあまり気持ちのいいものでもないだろ? けど相手はそんなこと知りようもないから、存在しない影にずっと脅え続けるってこと。ま、今回はそれっぽい文だけでいいか」
もっとも、あんな根性焼きじみたお灸を据えられれば、二度とブランカにちょっかいをかけようとも思わないだろうけど。
「詐欺師ね」
「策士と言ってくれ」
ちなみに今回の映像が使えない理由はもう一つあって、ちゃんと映ってるのはブランカが首を締め上げた部分のみ。
これではどっちが加害者か分かったもんじゃない。
「相変わらずだな、仁は。私はぶん殴って職員室なり生徒指導室なりに引き渡すことくらいしか出来ないと言うのに、大したものだ」
ふふっと柔らかく微笑む渚沙。
「水戸で一番人類の未来に貢献している奴が何言ってるんだよ」
「私がやっているのはキャンサーを殺すことだけだ。人を救うことはできん」
いや、間接的に救ってるんじゃないかと思うのは僕だけだろうか?
『はんっ、殺せるもんなら殺して見なさいっての。ばーかばーか』
凄まじく安っぽい挑発だったけど、テレパシーに留めてくれたので良しとしよう。
「しかし映像で脅迫か……淫らな響きだ」
「しみじみとすさまじい誤解を生む発言するのやめてくれない?」
いい感じの雰囲気だ思ったらこれだ。
「僕自身の名誉のために言っておくけど、これあくまで穏便に厄介事を解決するための手段にであって、私利私欲のために使ったことは一度もないぞ」
「まあ、おまえ相手ならばやぶさかではないぞ。常に準備は万端にしてあるからな!」
「こっちはやぶさかでもあるんだよ」
どんな準備かは、あえて聞かないでおいた。
油断するとすぐにアレなことを言うのは渚沙の悪い癖だ。
中学校あたりからこんな感じだから、最早どこまで冗談でどこまで本気なのか分からなくなっている。
キリッといつも以上に凜々しいキメ顔をしている渚沙に、ブランカは割と本気でドン引いていた。
「うっわ、なにこいつ。色ボケ? 万年発情期?」
「舐めるな、私が欲情するのは仁だけだ。それに人類の繁栄には必要なものなのだぞ。それを考えれば、エロいものは逆に健全と言うべきではないか?」
凄まじい暴論である。
「……こいつっていつもコレなの?」
「まあ、そんな感じ」
僕は苦笑しつつ肩をすくめることしか出来なかった。
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