15話 盗み聞き

「ね、アレって私が書いたものって言えるのかな?」


 草田可南子くさだかなこは少し悩んだ末に赤城瞳あかぎひとみに向かってそう言った。

 食堂の喧騒の中でそこだけが唯一シリアスな空間のように俺には見えた。


「……え、どうしたの? 小説、誰か他の人に書いてもらったってこと?」


 瞳も可南子を悩ますものが例のネット小説であることはすぐに理解したようだ。


「うんう。全部自分で書いた。……でもね、実は紹介文だけは他の人に書いてもらったの。タイトルの次に目に入るものだから読者の目を惹くものが良いって。……それで今日になって一気にPV数は増えたんだけどさ……だんだん私が自分の力でやったことって言えないような気になってきたの」


「そうなんだ。……まあ私は全然素人だから分かんないけどさ、可南子は初めて書いたんでしょ? 別に少しくらい違う人の力を借りたって良いんじゃない? 内容自体は全部可南子が考えて書いてるわけなんでしょ? どう考えてもアンタの力じゃないの! 立派なものだって!」


 特筆すべきは赤城瞳の包容力だ。と、その時になって俺は気付いた。

 今まではずっと一軍女子の陽キャらしいバカげたノリで過ごすことばかりだったはずだ。少なくとも俺の目にはそういった面しか見えなかった。

 それが可南子のこうした変貌にも突き放すことなく、すべて理解しようとしているのだ。これは誰にでも出来ることではないだろう。


「うん……ゴメンね、瞳。せっかく一緒にいてくれるのに、最近そっちのことばっかりで」


「何言ってんのよ、良いのよ。色んな表情の可南子が見れて私は嬉しいよ! とりあえずご飯食べちゃお! 食べなきゃ元気出ないって。特にアンタは」


「ちょっと、瞳! ……どういう意味よ!」


 瞳の一言でようやく可南子は表情を明るいものに変えた。




(……いや、紹介文を書いてもらったくらいでそんなに悩むかね? 純真というか潔白というか)


 ネット小説なんていうものは何でもアリな世界だ。

 露骨なパクリもまあ結構あると言って良い……と俺は思っている。

 というか読者もそれを求めている節がある。独創的な物語ではなく、自分が好きになった作品に似たものを多くの読者は求めているのだ。読み味も世界観も似ていれば似ている方が良い、という読者は実際のところ多い。

 筆者の側も当然そうした傾向を感じておりそれに沿った作品をどんどん提供してゆく。パクリという概念自体が変わってきているように思える。

 まあ可南子のようにあんなに性格が真っ直ぐでは、ネット小説家として人気になるのは難しいだろう。


「ね、でもさ、可南子に紹介文書いたのって誰なの? そんな友達アンタにいたっけ?」


「え? や、そ、それは言わない約束だからさ……」


「そうなの? んじゃ私もこれ以上は追求しないけどさ」


 2人はやがて食事を終えて食堂を後にしていった。






『私が自分で書いたものって言えるのかな?』

 そう可南子は悩んでいたが、あの作品はもちろん彼女独自のものだ。

 人気ドラマ『キミヒト』からインスパイアを受けたものではあるし、文章も構成も稚拙なものではあったが、それでも彼女独自の感性がそこには間違いなくあった。

 悲恋のお決まりのパターン。ロミオとジュリエットの時代からあるような作品だ。

 でも米倉が言ったように細やかな心理描写には見るべきものがあった。少なくとも俺はこうした作風の作品には長らく触れていなかった。

 悪くはないかもしれない。お決まりの流れが見えていたってラストまで追いたくなるような作品というものは間違いなくある。

 昨日更新された彼女の作品『君との永遠の時間』の3話目を読んで俺はそう感じた。


(いやいや、そんな訳はない!)


 俺は浮かんできた考えを自ら打ち消した。

 ……恐らくそう感じたのは、俺が長らくネット小説ばかりを読み感性が毒されているからだろう。

 ただ少し目新しい作風の作品に触れて驚いているだけだ! 何の経験も知識もない彼女の作品がそこまで読むに値するものであるわけがない!

 俺は俺のやるべきことに集中しなければ!

 俺は再び大量のブックマーク作品と向き直った。




「あ、いたいた。プロット幾つか考えてみたんだけどさ、ちょっと見てくれない?」


 昼食を終え、俺は構内の休憩スペースに来ていた。

 ……また米倉真智だった。大学で俺に話しかけてくる人物など彼女以外に存在し得なかった。


「お前な……さっき別れたばっかりだろ。少しは考えろ! 俺は1日1回しか会えない存在なの! 大抵のガチャも漫画サイトも24時間は空けなきゃいけないだろ? 同じ日に2回会うってことは無料じゃねえからな!」


「何? キミはレアキャラなの? まあたしかに周りの学生誰もキミのこと名前も知らないし、っていうか認識すらしていない……っていう意味では超レアキャラなのかもしれないわね」


「……うるせえ。レアキャラを無料で利用しようとするなんてバチが当たるぞ?」


「わかった、わかった。私の小説が100万部売れたらたんまり払うから。……何ならモテないキミのためにデートでもしてあげても」

「そんなことよりな! アイツ……結構真剣に悩んでたっぽいぞ? 大丈夫かよ?」


  俺の一言に米倉は若干怯んだ顔をした。

 ……まったく、これくらいのことで動揺するなら草田可南子に対して軽々しく手助けするんじゃねえよ。軽はずみなヤツめ。


「あら、そんなことに気付くなんてずいぶん目敏いのね? まさか彼女たちの話を盗み聞きしていた訳でもないわよね?」


「ちげえよ! 本当に偶然耳に入っちまったの! 昼休みに食堂でな…………」

「わかった、わかったわよ! 後で可南子ちゃんの方には私からフォローしておくから大丈夫よ!」


 米倉は草田可南子の話題をやや強引な口調で打ち切ろうとした。

 どうしてもネット小説用に考えたという自分のプロットを俺に見て欲しいようだ。

 ……いや、コイツは曲りなりにもプロと言って良い立場の人間だろ? それが本気で俺にアドバイスを求めるのだろうか?




 その時、不意に周囲の気温が下がった。

 いや、空調の効いた大学構内でそんなことはあり得ないことなのだが、俺はなぜか不意に寒気を覚えたのだ。


「あのさ、可南子に小説のアドバイスを送ったってのは、どっちなの?」


 振り向くとそこにはぎこちない笑顔を湛えた1人の少女が立っていた。タイトなジーンズにノースリーブの白いシャツ。ややギャルっぽい派手な髪色の少女。

 草田可南子の一番の親友、赤城瞳その人であった。



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