6話 元・陰キャ女子め!

 最初に米倉真智を意識したのはいつだっただろうか?


 恐らく小学校低学年の頃だったと思う。俺もアイツも学校の図書室に入り浸っていた。でもしばらくは……1,2年間はお互いを意識しつつも言葉を交わしたことは一度もなかった。




 俺たちが本当に本を読むのが好きだったか? というとそれは分からない。

 少なくとも俺は、家に帰ると親が「勉強をしろ!」だの「良い本を読め!」だの口うるさいもんだから、それから逃げるために図書室で時間を潰していたに過ぎない。家で読んでいたら怒られそうなマンガや娯楽的な児童書を気兼ねなく読めたのは安らぎだった。


 米倉も色々な本を読んでいた。勉強に役立ちそうな子供向け科学本や図鑑もよく読んでいたし、マンガも沢山読んでいたし、信じがたいことに名作文学にも自ら手を伸ばしていた。


 俺も米倉も読書感想文や作文コンクールなんかで毎回のように表彰された。

 毎日本ばかり読んでいたんだから、そりゃあ周りの子供たちに比べれば国語能力はお互い高かったのだろう。


 その点で言えば最初の頃は俺の方が彼女を上回っていたと思う。

 米倉が最初に話しかけてきたのも「今度は負けないから」といったライバル心むき出しの言葉だったように覚えている。

 

 だが中学に上がる頃から俺は彼女に明らかに差を付けられるようになった。

 さっきフラッシュバックしてきた中1の時の出来事はその象徴的場面だったように思える。


 やがて俺は、もうまったく米倉に勝てる気がしなくなると、そうしたコンクールに参加すること自体を辞めた。


「いや、いくら作文が上手くたって意味ないでしょ? それよりも受験に役立つ勉強に力を入れた方が効率的でしょ?」


 周囲の人間や先生方は俺に文章を書くことを続けるよう勧めたが、俺には何の未練もなかった。むしろどこか清々せいせいした気分すらあった。

 自分がこの分野で一番を取り続けていたならば、義務感から好きでなくとも労力を費やし続けなければならなかったかもしれない。だが俺よりも優れた米倉真智という存在がすぐ近くにあったのだ。

 俺よりも得意な人間がいるならばそれはソイツに任せれば良い。

 文章を書くよりも受験勉強に……という言葉も最初は負け惜しみだったかもしれないが、すぐに本気でそう思うようになっていった。

 そこには親の呪縛から逃げる意味もあったかもしれない。




 大学の講義をバックレた俺はほぼ無意識のまま帰り方向の電車に乗っていた。

 授業をサボるくらいのことは、健全な大学生の多くが普通にしていることだ。大学には来ているのに友達とダベっていて授業をサボってしまった……なんてのはあまりにありふれた話だ。

 俺も別に大学近辺で時間を潰せば良さそうなものだが、誰かに「授業をバックレたアイツ、友達もいないのに近辺をふらふらしてるよ!」と笑われるのが怖かったのかもしれない。だからほぼ無意識のまま帰りの電車に乗っていたのだろう。




(……ふう。まさか米倉真智まで同じ大学だったとはな……)


 電車に乗って一息吐いたところで、改めて米倉真智のことが思い出された。


 小中学生の頃の彼女は俺以上の陰キャだったはずだ。

 彼女は国語以外の成績も優秀だったが、彼女と同様の陰キャ女ばかりのグループに属しており、教室のすみっこでコソコソ話しているばかりだった。

 そのグループ内ですら彼女は本気で心を開いていたわけではないんじゃないだろうか? 俺は当時漠然と彼女に対してそんな風に思っていたことを思い出した。

 本ばかり読んでいると穿った見方をするようになる。

 それは周囲の人間に対してもそうだ。俺自身がそうだったからだ。


(……にしてもだ、あの見た目の変わりようはどうだ? 垢抜けやがって。高校であれだけ変わった、とは考えにくい。おおかた大学デビューというやつだろう。大学デビューなんて分かりやすすぎて逆に恥ずかしくないのかね?)


 小中学生時代の彼女は俺以上の陰キャだったはずだ。

 マンガに出てきそうな度のきつい瓶底メガネ。おさげの三つ編み。校則をきちんと守ったひざ下10㎝ほどのスカート丈。誰かに注目されるとすぐ赤くなり、ぼそぼそとした声でしか答えられない……正真正銘の陰キャ女子だった言えよう。

 それが何だ! 急にファッションモデルだか、アパレル店員だか分からないような風貌に急変しやがって! びっくりするじゃねえかよ! 陰キャを貫けよ! 緊張して余計に俺の態度もおかしくなっちまったじゃねえかよ!


(……いや、それにしてもアイツはなぜ俺に接触してきたんだ? )


 反感の次には疑問が浮かんできた。

 そして次の瞬間、さっき米倉が言った言葉が再び頭に聞こえてきた。


『大学の教室って後ろの方が高くなってて素敵よね。でも前の席の光景を自分だけが一方的に見ていると思っていると、自分もさらに後ろから見られているってことをつい忘れてしまうわよね?』


(クソ! ……相変わらずイヤミな言い方をしやがる!)


 それまで俺はずっと草田可南子くさだかなこ赤城瞳あかぎひとみにばかり気を取られていた。

 そして恐らくは俺のそんな様子も米倉真智は見ていたよ……という意味の言葉なのだろう。読書家らしい回りくどい文学的なイヤミだ。余計に腹が立つ。


 今はもう6月だ。大学に入学してから2か月近くが経つ。

 その間、俺が草田可南子と赤城瞳を密かに(いや、何もストーカーをしていたわけではなく授業がたまたま被っただけの偶然ではあるのだが!)見ていたように、いつからから米倉も俺のことを認識していのかもしれない。

 向こうが華の一軍JDとして変貌を遂げたのに対し、俺はほぼ中学生の頃のままの冴えない風貌。向こうからしたらあまりに滑稽でつい揶揄からかいたくなったとしても無理はない。そこには変貌を遂げた彼女の優越感が明らかに透けて見える。


(……ん? 待てよ? 『slt―1000』さん?)


 俺のことをたしかにそう呼んでいた気がする。


 ……これはマズイ! マズイだろ! 俺のカリスマレビュワーとしての地位が暴露されてしまうではないか! 米倉がどこから俺の情報を掴んだのかはとんと見当も付かないが、周囲に俺の活動をバラされたら俺の大学生活は破綻してしまう! 一体ヤツの目的は何なんだ!?


 ……いや、待てよ。別にバラされて困るようなことなんて一つも無くねえか?

 つーか、大学で俺に興味を持っているヤツなんか1人もいないだろ?

 俺のカリスマレビュワーとしての活動はなにも法に触れるような行為をしているわけではない。

 米倉が何を企んで俺に近付いてきたかは知らんが、俺には他に守るべきものなど何一つ無いのだ! つまり周囲にバラされて困ることなど何一つ無い。米倉が何か脅しを掛けてきたとしても言いなりになる必要は何一つ無いのだ!

 ひゃっほい! ぼっち最強! ぼっち無敵! ぼっちしか勝たん! ぼっちだけが生存戦略!

 

 ……うん、明日からも元気に大学に行きいつも通り1人で授業を受け、1人で昼飯を食い、スマホでネット小説の世界に没頭すれば良いのだ!

 そうだ……俺にはそれしかないのだ……。



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