第5話 先輩、礼はしたい。

 急かされるように、急かすように。


「蘭先輩!急いで……ちゃんと足を動かして下さい!」

「うむ!しかし、何やら愉快だな!」


 廊下を、たったったっ!と駆ける蘭と颯太。

 背中を押される蘭が楽しんでいる為に速度は遅い。


 女子の背中に触れている事と、早く先輩を移動させないと!という葛藤の中。

 颯太は内心で悲鳴を上げる。


 皆に二人が驚きや好奇心、悲鳴とともに見られている為だ。


 焦りながらも、まだ耐えられる!いざ、中庭へ!などと颯太がひとりヤキモキしていると、


「おお!赤ブレ!すごく高そうな緋色の天鵞絨びろうど……あれ?青空君?!」

「……遠鳴さん!」


 ちかとすれ違った。

 

 蘭の背中を押しながら、返事をした颯太。

 む?と蘭は進む足を緩めて、ちらり、と近を見る。


「遠鳴……遠鳴?む、そこにいるのは昨日颯太と乳繰」

「わー!蘭先輩は黙ってて下さい!中庭に向かいます!ごめん、またね!」

「うわ、何か大変そうだね。はーい、またねー」


 颯太の切羽詰まった様子に、ゆらゆら、と手を振る近。

 

「うむ。今日は私が肌と視線を合わせて存分に乳繰り」

「最後まで言わせません!」


 うおおおおぉぉぉぉ!と裂帛の気合を放つ颯太と、楽しそうに笑いながら背を押される蘭が近から離れていく。


「うーん、先輩に振り回されちゃっているみたいだねー。助けが必要かな?」


 近は自分のスマホに目を落とし、ロックを解除して画面を操作する。


”中庭、騒がしくなりそう。注意して”

”仰せのままに”


 用を済ませたスマホをブレザーのポケットに、ぽい、としまった近。


君をこっそりと見てるの、楽しみだったんだけどなー。まさか『由布院』と絡んじゃうとは……そーた君、全くもー」


 そう呟いた近は肩を竦めつつも、くすくす、と苦笑いをした。



 そんなこんなで、いつもの特等席に着いた颯太、そして蘭。


 先に蘭に座ってもらい、颯太は蘭と体が触れるか触れないかのギリギリのラインでベンチに腰を掛けた。


 先にこの距離で接していれば、触れ合わなくても蘭が満足して話が進められるのではないか、と先手を打ったのである。


 その結果は、横から覗き込んできた蘭の態度で知れた。


「颯太、うむ……近いな」

「あっ……ああ!そ、そうですよね!ごめんなさい!」


 顔を赤らめて、恥ずかしい!やらかした!と慌てた颯太。

 その言葉にそそくさと腰をとす、とす、と横にずらした。


 そんな颯太に、蘭は唇を尖らせる。


「颯太。遠いな」

「何なんですか!」

「台詞を言う時の息遣いが聞こえないだろう」

「ああ……よくわからないですけど必要なんですか?どのくらいまで近づけば?」

「これくらいだな」


 そう言って近寄ってきた蘭。

 昨日と同じ密着態勢である。


「さっきより近いじゃないですか!」

「近いのは心、遠いのは距離だ。わからんのか」

「何ですかその禅問答みたいなの……」

「そうか、わからんか」

 

 ふ、と一瞬だけ目を座らせた蘭。

 颯太はそのしぐさを見て瞠目した。


 蘭だ!


 颯太は、その言動の一端が少しだけわかったような気がした。

 が、まずは差し当たっての問題を話し合う事が先だった。


 

 校舎や周りは意外な事にいつもと変わらない雰囲気だった。

 そして怪しい動きを垣間見せた常連達の姿が見えない事にホッとした颯太。


 変わらず涼しい顔をしている蘭に物申した。


「あの、蘭先輩!僕に何か恨みでも?!わざわざクラスにきたと思ったら、説明不足極まりない話をし始めて……僕の高校生活が早々と崩壊しそうですよ!」

「ありのままに説明しただけだろう?それにだ。礼もまだ済ましていない」


 不思議そうに真っ直ぐ見つめてくる蘭。

 むむむ……とその顔を見つめた颯太は、ふう、と溜息をついて言った。


「はあ、もう。悪気が全くないですもんね。誤解された部分はみんなに説明を頑張るとして……お礼は必要ないです。何もしてません」

「そうはいかん。初めに聞いた台詞といい、綾乃の台本の台詞といい、大いに感じ入るものがあった。今も颯太の台詞を思い出すだけで尾てい骨がゾワリ、とする程だ」

「どう突っ込んでいいのかわからない……とにかく!お礼は気持ちだけで」


 すると。


 ぺちーん!


 また、音の鳴る方向を思わず見ようとした颯太。

 今回は直前で視線を逸らす事に成功し、蘭の目を見て語り掛けた。


「蘭先輩。お礼はひざ枕とか、また言うつもりではないですよね」

「綾乃に、『うんうん!台詞が、おゆうぎ会から学芸会になったね!続けて指導してもらいなよ!え?ひざ枕嫌がる男子なんていないと思うよ?』と言っていた。颯太のお陰だ。私の無骨な腿で興覚めかもしれんが、どうか受けてくれぬか」


 ぺちん!


 そう言ってまた太ももを叩いた蘭。


「……確かに男子の夢と言っても過言ではないかもしれませんが、ひざ枕って恋人同士や結婚した夫婦、家族がするものだと思います」

「……?私が良い、と言っているのだから問題ないのではないか?」

「有りまくりですよ!」


 身体を逸らせつつ、もう!と身もだえする颯太を見て蘭は、むむう、むむむう、と唇を尖らせる。


 数瞬の間。


 右腕の肘を折り曲げて胸元を、ぽより、と叩いた蘭は。


「心得た。男子の夢はこればかりではないと聞いている。趣向を変えよう」


 そう言ってカバンの中をゴソゴソと漁りだした蘭は目指すモノを引っ張り出した。

 颯太はそれらの品物を見て、絶句する。

  

「蘭先輩。全く心得ていないと確信しましたが、まずその手のモノをどうするつもりなのか説明してください」

「綾乃が言っていた。『男子は薄手の服にエプロン、喜ぶよ!もちろん中に何も着ないのも、あり!これも男子の夢のひとつだね。ただ、人によっては引かれちゃうから代用品……水着とかありかも?』と言っていたのだ。すまんが、裸身は勘弁してくれぬか」


(皇城先輩、悪魔の申し子か?!蘭先輩も少しくらいおかしいと思わないの?!)


 とりあえずツッコめるところからツッコんだ颯太。


「スクール水着にエプロン、しまってもらえますか!ちょっと!ブレザー脱ごうとするの止め……!少し皇城先輩の言った事を咀嚼してから行動して下さい!今先輩がやろうとしている事、全部やめてくださいね!」

「蘭と呼べと言っているだろう。颯太は聞き分けがないのだな」

「どっちがですか!」


 赤いブレザーを脱ごうとしている蘭を必死で押しとどめながら、颯太は『うちに帰りたい……』と心の底から思ったのであった。

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