エッセイ弱音かアヤシイNANIKA今日の王様は情緒不安定ねcrawler

 たま~に自分が嫌になる……。


 というのは誰にでもあるんだろう。

 哲学のアレの続きを頭空っぽで書いてたら内容が極めて攻撃的になった。その項をまるっとボツにした。やり直し。

 あれは演じている部分がたまにシンドイというのもあるし、読みやすくするために相当の技術的〝端折り〟を行っている。これは気付く人は気付いているし、勝手にさせてくれているのだろーし、文句が出たら考える。

 没にした文章はここに載せちゃうかもしれない。

 基本的にネタ帳でありゴミ箱? でもありのごった煮なので、ここなら僕は、あまり気にならない。なによりも僕は、僕が大事だ。いや程度問題なんだけれども。

 オエ気色ワルッと思ったら読者さんはさっさとブラウザバックなりスワイプなりできるので大丈夫。

 攻撃的な自分を条件なくそれで良いものとは、思っていない。

 で、よくよく考えてボツを読み返してみた。すると、まあ別に対象をマウンティングしたいとか、優位性を確認したいとか見下したいとかではなかったので、安心する。ちゃんと、こういうのは止めて欲しいし僕は嫌いだ、という本心から書いてある。

 だが、言葉で言っても書いても通じないし覆しようがない事ばかりなので「バカだと思う」という表現にした部分があり、そういう自分に辟易している。なんかうんざりする。

 それでも思うトコロがある。

 バカバカしく見えるものをバカと表現してナンカ悪いのか、ということ。


『あなたは何者ですか?』

『私は、私です』

 という問答は成り立つ。


 自分の存在や本質を問われたとき、すごくではないけども、一番正確で端的なのはこの回答である。

「たとえばこういう人はバカのように推察します。バカなんじゃないでしょうか? ばかだと私は思います」

「私はこういう行為はバカだと思いますのでばかと呼びます」

 と言ったところでどうかというと、別に実在の個人指して言ってるわけじゃないんだからその答えようもない『こういう』氏に対して何の問題もない。そして、精密じゃないけれども、正確で端的である。

 というか、どうせ自分の事だとも思うまい。思えるだけの分別があったら、ソレやらないのが普通だ。

 ただ、読んでる人が非常に気分悪いだけだ。あとは敵を増やす可能性があるぐらいだが、味方を増やす可能性もあるのでそんなん別にイイや。正確に言うと「敵の敵」なのでいつまでも味方とも言い切れないわけだが。考え方が近しい人の区別はつくから、そこから始まるものはある。

 でも中立なのに不快になる人が居るといけないよね。僕にだってそれくらいはわかる。

 じゃあ書かなければいい。

 頭に浮かんだことダイレクト書いてるモード! に入っちゃってるときに歯止めを効かせようとすると、毒にも薬にもならないものを書いてる気がしてくる。ムナシイ。そもそもストレスでしかない。何にためにキー叩いてるのか、ワケわかんない。

 

 そうだ。じゃあ、批判的なことを考えなければいいんだよ。


 褒めること、優しいことを考えていればいい。そういう風にほんわかしていると最高な人生なんじゃないか。あんまり自信ないのだが、僕にもできると思う。ええと、たまにはね。稀にね。過去に書いたものとか、いや今アップしてる文章だけでも、たまに優しくて綺麗なのはある……あるか? いやもう、読むひと次第ってことにする。でも、まったくそういう面がない、生まれながらの鬼ってことはない……少なくとも言い切れない。

 とはいえそんなものばかりがスラスラっと出てこないからKONOZAMA!!である。でも心温まる話とか優しくて美しい話を書きまくっている人がいる。本当にいる。

「こいつ本当に俺とおなじ生物だろうか?」

 とまで思う。ホント。

 憧れ……ないな。憧れではないが、うらやましくなる時はある。

 飛躍して思い返すと、なんか幼少のころから

「そんなことを絶対に人前で言ってはいけない」

 と家でさんざん怒られた気がする。

 これはTPOをわきまえていなかったのと、他人を抉り刺すような言葉をバンバン口にしちゃってたからだと思われる。

 しかしやはり共感能力が高いのかすごい周囲を読めてしまうのか、ほとんど言っちゃいけないを察する子供さんっているよね。スゴイ。こういうのを要領がいいっていうのかなと思う。

 とはいえ、時と場所をわきまえて発言しなさいってのはいきなり全部できる事ではない。子供にいきなりこれ100%完璧にやれってのは酷である。コク。


 コクで思い出した。昨晩に私の女が作ってくれたクリームシチューが今日の夕ご飯なのだが、ゴハンにはかけないよ。ぶっちゃけ何それ意味わかんないよと思ってたけど、いやいや鍋のあとにコメぶっこんで雑炊しまくってるわ俺と考えると、なんか同じじゃん? どっちでもアリだよね。という気がしてきたけど、でも断じてご飯にかけては食わない。

 

 話し戻してだね、時と場所を選んで発言する能力ってのは経験で埋められる。思っても言わなきゃいい。それで他人は傷つかない。

 それでも人前で言っちゃいけないようなヒドイ言葉をどんどん思いついてしまう人間ってのがやっぱり僕ともいえる。その場合僕はどうすればいいのかっていうか、有害なのかとまで思う。ただ役割ってのはあると思うんだよね。

 だってこういう人は、僕だけじゃないわけだから。多分ね。そうなった経緯ってのはここで一切考えない。ムダだ。生育環境だとか、いかにも他人が言いそうな仮説なんて山ほど立てられるけども、だからって変わるかどうかって人の勝手なわけだし、俺変わらないと思うし、変わりたくないしね。

 

 なんか役割あると思うよ。みんなが天国ばかり見てたら、足元に悪魔が来た時誰も警告できないわけだし、みんなが天上から下界を見てたら、隕石が落ちてきたとき誰もよけろと叫べないしね。

 ニーチェの箴言にあったやつで、詳しくは思い出せないんだけども、

『孤独な人はそれゆえに、時折の他者との交流に常ならぬ甘美を味わうことが出来る』

 みたいのがあったな。なんかニーチェらしいね。俺はそんなの「ギネスビールはたまに飲むのが美味い」程度のコトだと思うけど。孤高の意味を込めたかどうかは分からないけれども、そう読んでもなかなかニーチェらしい。

「すごい早口で言ってそう」というネットでの煽り文句があるけど、僕はあれをいう奴は自分を顧みるべきだと思う。自分の大好きなことを語るあまり、空気読めずに早口になっちゃうんだろ。可愛いというか、まあまあカッコイイんじゃないか。そりゃドン引きされるし周りが見えてないし、ひいてはもしかしたら性格に難ありかもしれない。けど、勢い付いたら早口が止まらない程に好きなことが自分にあるのか、なければ笑う資格があるのか。君はなんなんだ、俺はどうなんだと見るたび思う。微笑ましくて笑うのは、まあいいさ。

 とにかく、どんだけ針のような酸のような毒々しい文章を書いている人でもね、一個だけ確実だと思うけど、人間は好きなんだろうな。嫌いなら手記に書いて毎週燃えるゴミに出せばいい。

 もう犬みたいにさ、本能だよ。犬の化石を調べると、とんでもない昔より、今の犬は表情筋が発達してるんだってね。種の保存のためだとか、共生関係を強固に保つためだとか理屈はいくらでもいえる。けど、もう数万年やってんだろ。そりゃもう人間が好きなんじゃないか。おかげで困った顔とか笑顔に近い表情が出来ちゃって可愛い。ふてくされてる顔も可愛い。

 僕だって人から見たら鼻についたり、思い上がって見えたり、ひどく攻撃的なんだろうけど、人間は好きだ。つまり、君が好きだ。読んでくれている君が好きだ。僕から好かれるなんて誇っていいよ。滅多に言わないんだぜ、コレ。君は喜んでいいと思う。しけた顔やめて笑うべき。嬉ションしてもいいよ。


 最後で台無しにしたな。これ何だったんだろうな。キリがないからやめる。気が向いたら一言くれよ。君の綺麗な言葉が好きだよ。

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