4話 響野憲造

 饒舌だった秋が、不意に深く嘆息して黙った。


 響野は秋の正体を知っている。

 中華街の悪魔。地獄の人材派遣業。

 初対面の際に秋は自らそう名乗った。なんなら少し誇らしげでもあった。にとって、自分がであるということは、誰に恥じることもない、崇高で素晴らしいことなのだとその際響野は思った。

 その秋がまさかの。

(これはマジで)

 稟市に嫌われたくないという発言は本気だったのか。彼の家族を引き摺り出す権限まで得ておいて、まだ躊躇するほどに。

「秋さん?」

 稟市が訝しげな声を出す。秋がはたと顔を上げ、おろおろと視線を彷徨わせる。藍色の目が少し潤んですらいる。

「市岡さん、絶対にわたしを嫌わないでくださいね」

 稟市が静かに肯く。秋が大きく息を吸い、吐く。

「わたくしどもはこの土地で、人材派遣業を営んでいます」

「人材、派遣?」

「所謂ハケンとはまったく違いますよ。わたくしどもが扱っているのは──」

 秋の声が分かりやすく震える。怯えている。それでいて尚、秋は、いつも通りに傲慢で誇り高く見えた。いっそ滑稽なほどに難儀な生き物。

「──殺し屋です」

 両目を大きく見開いた稟市が息を呑み、それからぽつりと、

「なんとなく、予想は」

「していましたか。市岡さんは察しの良い方ですね」

「殺し屋を派遣──果樹園の話を聞く前の俺だったら、きっと、信じなかった」

 座ったままで会話をするのが億劫になったのだろう。稟市がぴょいと席を立つ。秋と稟市はだいたい同じぐらいの背の高さをしていた。響野はふたりよりも頭ひとつと少しぐらい大きい。

「秋さん。俺は弁護士です。守秘義務がある。ここで聞いた話はたとえヤクザに拷問されても絶対に吐かない」

 稟市が大股で秋に迫る。その細い手を両手で掴み、ぐいと引き寄せる。藍の瞳が宝石のように輝く。あ、今、俺、完全に邪魔、と響野は思う。だってバーター抱き合わせ商品だもん。部屋を出ていた方がいいような気もするが、あの長い廊下をひとりで玄関まで歩くのは怖い。沈黙する七つの扉をひとりで見たくない。だって俺アングラっていってもヤクザとかそういう生きてる連中専門の記者だもん。無理無理。

「だから教えてください。殺し屋専門の派遣業。果樹園とどうつながってくるんです?」

「市岡さん、情熱的ですね……戸惑ってしまいます。あなたみたいな人に会うのは初めてだ」

 すっかり初恋に浮かれる少女或いは少年の面持ちで秋が言う。一方稟市は至って真顔だ。

「わたくしどものである職業殺し屋というのは──たとえばそこで俺邪魔者だな〜みたいな顔をして煙草を吸おうとしている響野憲造の祖父である逢坂一威おうさかかずいのような人間のことを示します」

「俺はその逢坂さんに会ったことがないのでなんともいえないのですが」

「逢坂一威はその筋の人間のあいだではもはや伝説ですね。1000人殺した男ということになっていますが、正確にはもっとでしょう。半世紀も昔の話です」

 俺やっぱ邪魔だな〜と思いつつ響野は煙草に火を点ける。おじいちゃんが有名人だと大変だ。おじいちゃんが有名人なお陰で響野はライターとして仕事をしていられるし、本来ならば絶対に立ち入ることのできない木野ビルディング、さらにその最深部である秋の部屋でこうして煙草を吸うことも許されているのだが。

「逢坂と立花タチバナ。有名どころではこのふたり。東の逢坂、西の立花、彼らは戦後のこの国を散々に荒らし回り、殺しまくり、やがて勝手にその仕事を辞めました」

「……辞められるんですか? 殺し屋って」

「原則的には不可能です。逢坂は玄國会、立花は東條組の飼い犬でしたので、もう殺したくないと言って許されるような立場ではありませんでした。ですが、そこで登場したのが──わたくしどもです」

 稟市の手を丁寧に解き、優雅に一礼して秋は笑った。

「わたくしどもの始祖である人物が、逢坂、立花両名と深い親交を持っていまして。彼らが辞めたいというのなら辞めさせてやれと、玄國会、東條組に交渉を行ったのですね」

「……その結果?」

「わたくしどもが介入したところで玄國会と東條組の仲が良好になる訳もなく。彼らは今後も殺し合うという未来は見えておりました。そこで始まったのがわたくしどもです。逢坂、立花両人の首輪を外す代わりに、必要な際はわたくしどもが殺し屋を用意するという契約をして話は終わりました。ちなみに関西圏にはフユという集団がおりまして、まあやってることは同じですね、地獄の人材派遣業」

「逢坂さんと、立花さん? を救うために始まったのが、秋さん……ということですか」

「イグザクトリィ。まあ、救うには救うなりのメリットがあったのですがね。それはさて置き、わたくしどもはフリーで活動する殺し屋を取りまとめ、おもに関東圏のお得意様からの依頼に応じて的確な人材を派遣します。冬も同じことをしています。秋と冬の殺し屋がぶつかって血みどろの争いになることなどしょっちゅうですが、アフターケアはきちんとしているのでご安心ください。そうして、」

「果樹園」

 秋の言葉尻を奪うようにして稟市が言った。秋は途端に神妙な顔になり、こくりと首を縦に振る。

「果樹園もまた広義の意味では殺し屋です。先代の頃に幾度か共に仕事をしたことがありましたが、何せ──やり方が醜い。果樹園のあるじは絶対に前線に出てこようとはしません。人を殺すのも、殺した後に自死或いは呪い返しで命を落とすのもすべてと呼ばれる若者たちです。わたくしどもは──秋は人道に背いた真似をする集団ではありますが、果樹園を、受け入れることはできなかった。むこうのことは知りません」

 稟市が黙って煙草を取り出す。秋がそれに火を点ける。優雅な光景だった。

 だが稟市の中には明確に怒りがある。傍から見てもすぐに分かるほどに、烈しい怒りだった。

「分かりました。いや。正確にはあんまり良くわかっていないんですけど」

 稟市が静かな口調で言った。

「果樹園。とやらについては、俺の実家も巻き込んで調べた方が早そうな感じですね」

「そう……もしかしたら、何か接点を持ったことがあるかもしれません」

「ありがとう秋さん。俺たちのためにこんなに時間を割いてくれて」

 憤怒と苛立ちを腹の底に抑え込んでも尚、稟市は優しく微笑むことができる人間だった。秋の言う通り、彼は正義の味方ヒーローなのだろう。根っから善良な男なのだ。

「あとは、俺らでどうにかします」

「市岡さん」

 煙草を灰皿に押し込む稟市の手首を、秋がそっと掴んだ。

「この先も秋が必要になったら、いつでも、遠慮なく声をかけてください」

「本当にいざとなったら、にしておきますよ。今回は逢坂さん割引みたいだけど、普通に依頼をしたら高そうだ」

 冗談めかして微笑む稟市の耳元に、秋が桜色のくちびるを寄せた。

「ここだけの話、永年パスもあるんです──」

 秋が稟市に告げた言葉を、響野には聞き取ることができなかった。だが真顔を決め込んでいた稟市の顔が一瞬強張り、それから呆気に取られた様子で秋を見て「考えさせてください」と掠れ声で応じるのだけは、見た。


 秋は満足げに笑っていた。さようなら、市岡さん、響野くん。またのおいでをお待ちしております。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る