ある日、僕の大好きなweb小説が現実になった世界でこの先の展開を知っている僕は無双します

赤井レッド

第1話 変貌

 いつからだったろう。

 僕の世界の色は灰色に褪せてしまっていた。何を見ても、何を聞いても、何をされても、何を嗅いでも、何を味わっても、僕は何も感じなくなってしまった。

 学校に行けば僕のことが目障りだと数名の男子達が僕を殴り、周囲のクラスメイトは自分が標的にされることを恐れて目を逸らし、担任は面倒事を避けて我関せず。

 家に帰れば両親から僕はまるでいない存在かのように無視され、代わりに両親は下の弟妹を溺愛した。


 そんな僕にも楽しみと呼べる趣味が一つだけあった。それがこのweb小説、“汝、世界を救うならば”だ。世間一般的に人気がある作品というわけではなく、前半部分の読者はそれなりにいたが、気づけば読者は僕一人になっていた。


 突如現実世界に舞い降りた災厄に立ち向かう主人公とその仲間たちの活躍を描いたローファンタジー小説で、その練り上げられた設定には小説を日々愛読している者でも舌鼓を巻くだろう。

 ただ、よく読めばとても面白いのだが、何年も前から毎日更新されているためその膨大な話数に途中で読むことを諦めてしまう読者が後を絶たなかった。


 学校からの帰り道、閑散としたバスの中で僕はいつものように更新分の小説を読もうとしていた。

 わくわくとする気持ちを抑えきれずに最新話のページに飛んで、その内容を読み、僕は驚きを隠せなかった。


 最後の闘いで結局主人公達は破れて終了。世界は成す術もなく異界の神々の手によって滅ぼされてしまうという何とも後味の悪いものだった。

 こんな終わり方があってたまるかと、スクロールしていくと丁度二分前にエピローグが追加されていた。

 僕はそれを慌てて開く。そして再びその内容に目を疑った。


『これにて“汝、世界を救うならば”は終了となります。これまで長い間ともに歩んでくださってありがとうございました。つきましてただ一人、この小説を読み続けてくれた“貴方”にささやかですがお礼として――』


「っ!?」


 キキィーッ!!っとタイヤを擦り減らす音を立てながらバスが急停止し、あまりに突然のブレーキに身体が前に投げ出されそうになるのを必死に前の座席の角を掴むことで抑えた。

 何事かと思っているとスマホの画面に新たにホップアップが現れた。


『只今を持ちまして第一フェイズが終了しました。間もなく、惑星地球は第二フェイズへと移行します』


 僕がそのポップアップに目を通し終え、見慣れない広告だとそれを閉じるのとほぼ同時に轟音が鳴り響いた。

 急停車するバス、静まり返る車内、突然電源が切れたように動かなくなるスマートフォン――。


「――窓の外には異形の化物が街を跋扈していた……」


 無意識の内に、頭を過った小説の一節を口に出していた。自然と視線は窓の外へと向かい、確信した。

 渋滞の中心に見えるのは緑色の肌をした人型の異形。そいつは確か、『緑の肌と鋭く尖った耳を持ち、黄色く濁った瞳は貪欲な奴等の性質を表しているようだ』と綴られていたはず。


「は……ははっ」


 乾いた笑いが自分の口から出たのだと気づくのには僅かに時間を要した。

 どうして笑ったのかは自分でも分からない。ただ一つ確かなことは、僕はこの展開を知っているということだ。

 この展開は僕が大好きな、さっきエピローグを迎えてしまったweb小説“汝、世界を救うならば”の一話、物語の冒頭の展開そのまんまだからだ。


 それならもしかしてこのバスの中に主人公も乗ってるのか!?

 僕が座っている席は最後部の端、幸いバスの全体が把握しやすい位置だ。ただ運転手と僕を合わせても乗客は八人。加えて男は僕を除けば三人。こちらからだと全員の顔を見れるわけではないが、とても小説内で描写されていた風貌に合致する人物はいない。


 そんなことを考えていると目の前にまるでゲームのようなシステムウィンドウが現れた。


『メインストーリー#1 “選別”

 目標:ゴブリン一匹、若しくはニンゲン二匹を殺害してください

 難易度:G

 報酬:第二フェイズでの生存権 500コイン

 制限時間:30分

 失敗:死亡』


「本当に小説の通りだ……」


 思わず独り言をこぼし、僕はリュックを背負うと即座に席を立ちあがった。


「これなんだろ?」

「分かんないけど何かの撮影とか?」

「も~折角写真撮っとこうと思ったのにどうしてこういう時に限ってバッテリー切れるかなあ」

「これは一体何なんだ!ゴブリンだのなんだのと全く」


 突然のことに混沌としてざわついている車内をすいすいと運転席に向かって歩いていき、運転手に言ってバスのドアを開いてもらう。

 ウィンドウを見てどうしたら良いのかと右往左往している乗客を後目に僕は早々にバスを後にした。


 もしこれがあの小説の通りなのだとしたら僕が今真っ先にやらなければならないことは決まっている。

 さっき渋滞の中心に見えたあの小鬼ゴブリンのもとへと駆けていく。僕が渋滞の中心へと走っていくのに対し、中心方面からは反対にこちら側へと走ってくる人で溢れていた。こちら側へ走ってくる人達の顔は一様に青褪め、焦っているように見えた。


 まあ、無理もないか……。

 小説の通りなら、小鬼ゴブリンは今の段階では殆ど倒すことが不可能に近い怪物。しかも僕達一般人は殺しなんてものとは無縁の生活を送っているのに対して、奴等は容赦なく僕達のことを狩り殺しに来る。きっと中心部はもう――。


「うっ……!」


 渋滞の中心に近づくにつれて強くなる悪臭と血の匂いに加えて、惨たらしい本物の人の死体を目の当たりにして限界を迎えた。堪えきれずその場で嘔吐すると、中心部で切り離した人の耳を眺めながらケタケタと甲高い笑い声をあげていた小鬼ゴブリンの瞳がギョロリとこちらを捉えた。


 胃の中のものを出し尽くした僕は小鬼ゴブリンを見据える。外見は小説に書かれていた通りだ。背丈は小学校低学年くらいで、全身の肌は緑色。黄色く濁った瞳に粗末な腰布を巻いている。


「キヒヒッ」


 ゆっくりと歩み寄ってくる小鬼ゴブリンの姿を確認して、僕は笑みを浮かべる。


「ひいいいいいいいい!? こっちに来るなあああああああああ!!」

「キヒヒヒッ!」


 逃げようとしたが、慌てていたために躓き、その場で転んでしまう。

 何とか距離を取ろうと後退るがゴブリンは一瞬で僕との間合いを詰めよるとそのまま僕の上半身に馬乗りになった。


「お願いします助けてください!! 命だけは!!」

「キヒヒヒヒイヒヒヒヒヒヒヒヒイイイイイイッ!!」


 心底愉快そうに歪んだ笑みを浮かべると小鬼ゴブリンは腕を大きく振りかぶり、僕の左腕目掛けて振り下ろした。


「キヒッ? イ――」


 小鬼ゴブリンの振り下ろした拳が僕の左腕を砕く直前、僕は水筒の中身を奴にぶちまけた。その行動に何が起きたのか分からない様子の小鬼ゴブリンだったが次第に状況が把握できてきたようだ。


「――死ね」

「キヒャアアアアアアアアアアアアアッ!?」


 水筒の中身を浴びせられた箇所を庇うようにしながら小鬼ゴブリンはその場でのたうちまわりながら絶叫をあげる。それもそのはずだ。


「何て言ったってそれはハーブティーだからな」


 小説の中で小鬼ゴブリン回復薬ポーションによってダメージを受けていた。回復薬ポーション然り、傷を癒す効果を持つハーブを使用したハーブティーにも一定の効果があると記載されていた。そして偶然、僕が今日学校へ持って行っていたのはハーブティーだったのだ。


 ただし、あくまでもハーブティーで与えられるのは微細なダメージだ。なのにも拘らず小鬼ゴブリンがここまで苦しんでいる理由は一つ、今回のメインストーリーではまだ小鬼ゴブリンが本来の力を発揮できていない、いわば弱体化されているからだ。


「そろそろか?」

「キ……ヒャ……」


 それまでもがき苦しんでいた小鬼ゴブリンは嘘のように静かになりピクリとも動かなくなった。代わりに目の前に再びウィンドウが現れる。


『惑星地球で初めて小鬼ゴブリンを討伐しました

 報酬:500コイン 称号“勇者”(伝説)』

『討伐報酬:200コイン』


「よしっ!」


 どうやら狙い通り上手くいったみたいだ!

 今の段階だと僕を除く殆どの人は現状を理解してない。そんな今こそ他と差をつけるチャンスだ。

 この称号、“勇者”は序盤で滅多に手に入れることの出来ない伝説級の称号。しかもその効果がかなり破格で絶対に取りたいと思っていた。


「ふぅ……」


 制限時間まで残り24分、まだまだ余裕があるな。

 今手持ちのコインはさっき獲得した700コイン、出し惜しみはしない。

 700コイン全てを使って体力をLv5に、筋力をLv3、敏捷をLv2にそれぞれ上げる。


 これで準備は完了だ。

 このメインストーリー#1を終えた後から本格的に状況を理解した人々が躍起になって強くなろうと、生き残るために必死になるはずだ。そうなる前に僕は力をつけなくてはならない。


 世界は灰色に褪せたままだ。でも、大好きな小説が現実になるなんて、これほどワクワクすることはこれまで生きてきた中であっただろうか?


 僕はこれまで小説を読む“読者”でしかなかった。

 でも小説が現実になった世界でなら。

 僕はこの小説の結末を知っている。これから未来に起こる全てのことを。

 この世界でなら僕も“主人公”になれるだろうか?


「そのためにも今は力が必要だ」


 メインストーリーが終わるまで残り時間は23分。ゆっくりしている時間はないな。


 小説が現実になった世界で僕は“主人公”になるため、この世界が迎えることになっているあの 結末エンディングを迎えさせないため、僕は強くなる必要があるんだ。

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