バグチェッカーズ編4話 剣の道

 そこにはシドー先生が立っていた。


「話は手塚から聞いたぞ。他校の児童とケンカしてるんだってな」


 オサムは逃げたわけじゃなかった。シドー先生を呼びに学校に戻っていたのだ。今は先生の陰で照れくさそうにしている。


「アカネちゃんもいまーす。二人の様子が気になって見に来たよ」


 アカネも陰からひょっこりと姿を現した。


「お前ら、どこの小学校だ? 警察沙汰じゃ済まんぞ?」


 カゲロウは歯を食いしばった。ここでハチを逃してしまうと、二度とチャンスは来ないかもしれない。


「お前ら! 逃げるぞ!」

「わかったネ!」


 しかし、蝉丸は動かなかった。


「蝉丸! 何してんだ! 早く逃げるぞ!」

「足止めは僕に任せとき。二人はよ逃げ」

「でも――」

「子供一人抱えて大人から逃げ切れるわけないやん。僕を置いて二人はの所へ行き」


 カゲロウは心を決めた。


「行くぞリンリン! 蝉丸の意思を無駄にするな!」

「はいネ!」


 ハチは腕を引かれ、連れ去られてしまった。


「あ! コラ!」


 シドー先生の喉元に竹刀が突きつけられた。


「おっと、ここから先は立ち入り禁止ですよ」

「お前、こんなことしてタダで済むと思うなよ?」

「心配いりませんよ。あなた達は悪者ですから」

「なにぃ?」

「バグを使って人を困らせる、あの子は悪者。違いますか?」


 シドー先生は静かに答えた


「……確かに、熊田がバグで人を困らせているのも事実だ。ワシも何度アイツに手を焼いたことか」

「ほら見たことですか」


 先生は蝉丸をきっと睨んだ。


「だが、熊田が悪意を持ってバグを使ったことは一度もない! ワシはバグのことは一切わからんが、それだけは分かる! 熊田のことは他校の君たちよりもワシの方が詳しいに決まっとる!」


 シドー先生は竹刀の先をグッと掴んだ。


「手塚! 秋野! アイツらを追え! 熊田を連れ戻すんだ!」


 オサムとアカネは頷き、蝉丸の横をすり抜けて行った。


「待て! お前ら!」


 竹刀を強く掴まれ、蝉丸は身動きが取れなかった。


「貴様の相手はワシだ。指導の時間じゃ」




 ハチは右手で傘を引きずりながらカゲロウに左腕を掴まれていた。


てて……あんま強く掴むなよ」

「逃げるかもしれないからな」

「逃げないって」

「お前をのところまで連れて行かなきゃならないからな。逃げてもらっちゃ困る」

「さっきからって誰」

「……この網をくれた人だ」


 ある日の学校帰り、白衣を着たおじいさんに声をかけられた。


「君、表情が暗いね。子供はもっと元気な方がいいぞ」

「おじさん、誰?」

「私はこのあたりの異変を調査してる研究員だよ」

「イヘン?」

「もしも君の身近にバグがあったら教えて欲しいんだ」


 この人なら何か知っていると思った。あの日起こった出来事を話すと真剣に聞いてくれた。あれからもう六年が経っていたが、何かの手掛かりになるかもと、おじいさんは喜んでいた。


「もしかしたら、君の周りにはバグが集まって来るのかもしれない。ついてきなさい」


 おじいさんの後をつけると目新しい建物に着いた。自動ドアが開いた。


「入りなさい」


 最先端の技術という印象だった。ライトに照らされた壁や床が白く反射していた。


「ここで待っていなさい」


 おじいさんは部屋の中へ入り、虫取り網を手にして戻ってきた。


「これを持っていきなさい。これでバグを捕るんだ」


 ただの虫取り網かと思ったが、これを使うとバグを取り除けることがわかった。

 おじいさんもバグを無くしたいと思っているに違いない。その思いを俺に託したんだ。


「それがこの『バグ・キャプチャー』だ」


 カゲロウは左手の虫取り網を見せた。


「……小学生が一人で知らない人についていくのはどうかと思うよ」

「うるせえ。どうせ俺はいつも一人だよ」

「一人? 他にも二人いるでしょ?」

「あいつらは後から仲間になったんだ。俺と同じバグの犠牲者なんだとよ。あいつらの手前、詳しくは話せないが」

「そういえばあの女の子は?」

「あぁ? さっきも言っただろ。俺と同じバグの犠牲者だって――」

「いや、そうじゃなくて……さっきまで一緒にいたのにどこ行った?」


 カゲロウが辺りをキョロキョロ見回すと、確かにハチとカゲロウの他に誰もいなかった。


「……さては迷子になりやがったな」

「そう言えば『先に行く』って走っていってたね」

「あいつ、自分が抜けてんの自覚ないんだよなぁ」


 カゲロウは唸った。


「まぁいい、今はのところに行くのが先だ」

「……てことはこれから向かうのは――」

「――バグ研究施設だ」




「ハァ……ハァ……」

「体格差があるとはいえ、立ち向かってくるとはなかなか根性あるじゃないか」

「うるさい! ここは僕が止めなあかんのや!」


 最初に対峙した時から様々な技を繰り出してはいたが、全ていなされしまった。

 しかし、ひるんでいる暇はない。蝉丸は竹刀を構えた。見上げると大きな壁が立ちはだかっていた。身長もあり、筋肉も発達している成人男性は、小学生には山のように見えた。

 中段構えで相手の様子をうかがう。すり足で半歩下がると相手が前に出た。この瞬間を狙う。


「面!!」


 振り下ろした竹刀はあっさりと左腕で受け止められた。


「さて、そろそろ指導の時間にするかのう!」


 右手が頭上からグワァと襲い掛かる。蝉丸は目をつむった。


「お前は技を仕掛ける時に一度後ろに下がる癖がある。そこで思わず距離を詰めてきた相手を打つという魂胆だろうが、ワシにはお見通しじゃ」


 先生は膝を立ててかがむと、蝉丸の拳を大きな右手で包み込んだ。


「手首も使いすぎだな。もっと腕全体を使わないと手首を痛めるぞ」


 蝉丸は思い出した。忘れていた感覚だった。

 蝉丸が通っている剣道の道場では、小学生の中で蝉丸の右に出ることはなかった。しかし、中学生を相手にするとまるで歯が立たなかった。体格差があるのはもちろん、他にも自分では気付かない欠陥があるように思えた。

 師範も最初はよく見てくれていたが、最近は中学生以上の生徒ばかり見ており、小学生への指導はこちらに任せっきりだった。

 自分だってもっとうまくなりたいのにッ!


「あの……」

「なんだ?」

「もしかしてあなたは――田亀たがめ 源五郎げんごろう選手では?」

「……なんだ。知っとる奴がいたのか」

「はい。剣道の試合の動画をよく見るのですが、全国大会の決勝であなたが映っていました。まさか、優勝者だったとは」

「昔の話だ。今は生活指導のシドー先生だよ」

「もっと……もっと指導をお願いします!」

「ああ、もちろんだ」


 戦いはいつしか指導になっていった。いや、最初から戦いになどなっていなかったのかもしれない。


「あの、僕はそろそろ稽古にいかなくてはなりません」

「そうか。ところであの二人のことは追いかけなくていいのか?」

「ええ。僕は二人を信じています。二人が僕を信じてくれたように。それと――」


 蝉丸は頭を深く下げた。


「剣を向けてしまい、すみませんでした」

「頭を上げろ。ワシは児童を守るというワシの正義を、お前はバグを許さないというお前の正義を貫いただけだ。ワシは何も見ていないし、何もされていない」

「田亀先生……」

「呼び慣れない名前だと調子狂うなぁ……」


 シドー先生は頭をポリポリと掻いた。

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