エンティナ領編ー8
「何事にもひたむきだったオバロ様から覇気失われ、全てを諦めるような目つきに変わったのはあの頃からでした。その事に当時どれだけの人間が気づいていたかどうか……。
人知れず努力し続け、それでも決して報われない。セレナ様と比べられる日々が続き、オバロ様の心は疲れてしまったのでしょう。
とは言え、決して人前で弱音など吐く方ではなく、それまでと変わらず気丈に振舞っておいででした。
きっと父親であるロメオ様の期待に応えたいという気持ちが唯一心の支えだったのでしょう。
……しかし、そのロメオ様も5年前、持病の病が悪化しお亡くなりになってしまいました」
偉大なる領主の死に領民すべてが涙を流し喪に服す中、オバロ様はまるで魂の抜け殻の様に呆然とし、ただただ空を見上げていたという。
「それでエンティナ領主が亡くなって、息子のオバロが後を継ぐことになったんだろ?」
「はい、そうでございます。ロメオ様の生前のご意向もあって、兄のオバロ様が次期エンティナ領主になられました。当時セレナ様はまだ学院に通っておりましたし、彼女自身領主になるつもりは全くなかったようでございます。兄オバロ様の剣となって陰からこの地を守るとおっしゃっておいででした」
「そうか」
「領主になって間もないオバロ様はロメオ様が亡くなり不安に暮れていた領民たちの期待に応えようと必死になっておいでで、わたし共もそんなオバロ様を微力ながら支えておりました。
しかし、先代領主の存在、その功績が偉大なほど、オバロ様に向ける領民の目は厳しく期待は徐々に失望へと変わっていったのです」
「オバロ様ではなくセレナ様が領主になってくださっていれば」
「領民の不満が募るたびにそんな声が何処からともなく湧き出てき、そんな心無い領民の声が若き領主の耳に届くのにさして時間はかかりませんでした。
……またセレナと比べられるのか。
きっとそんな思いだったに違いありません。
それからというもの、明るく優しい笑顔を見せていたオバロ様は次第に心を閉ざしていき、やがて自分の周りからどんどんと人を排除していったのです。しかし、それでもわたしを含め、信頼の置ける部下はまだ傍で仕える事も許されていました」
シエルはそこまで話すと何か悔やむように視線を落とし、僅かに震えながら右手の拳を強く握りしめた。
「……本当にオバロ様が変わられてしまわれたのは、それから数年後、あの女が屋敷に現れてからなのです」
「あの女?」
「はい。
不吉な黒赤色のベールを被った占い師メフィスト・フェレスでございます」
黒赤色の占い師。
如何にも胡散臭い話だ。
「あの占い師がどの様にしてオバロ様に取り入ったのかはわかりませんが、いたくあの女の事を気に入った様子でその日のうちにメフィストを屋敷に住まわせると、昼夜問わず傍に置くようになったのです。
それからというもの、オバロ様はその占い師の言を強く信じるようになり、次第に我々の言葉に一切耳を傾けなくなりました。それどころかメフィストと少しでも異なる意見を述べようものなら、幼い頃から苦楽を共にしてきた者たちでさえ容赦なく次々と切り捨てていったのです」
「つまりその女が元凶だと、シエルはそう言いたいんだな? いまのドウウィンの惨状もそのメフィストとかいう女が絡んでいる可能性が高いと」
「確証はありませんが、間違いなくそうだと確信しております。
ただ、最近はわたしもオバロ様に拝謁を許されてはおりませんでしたから、正確な所は掴みきれておりません」
「そのメフィストとかいう占い師、一体何者で何が目的なんだ?」
「わたしも方々手を回し調べさせたのですが、今もこれといった手掛かりは……。
ただ――」
「ただ、なんだ。」
「一度だけあの占い師の顔を間近で見たことがあるのですが、あの女の瞳のそれは、人間とはどこか違う感じがしたのです」
「人間と違う?」
「はい。血の様に赤く暗い深淵のような恐ろしい、まるで悪魔のような瞳でございました」
「まるで悪魔か」
「これはあくまで老いぼれの杞憂ではございますが……」
「なるほどな。悪魔に魅入られたエンティナ領主か。
……話は大体わかった、それでシエル・ホーエンハイム」
「はい」
「お前は俺にエンティナ領を救ってくれというが、俺は具体的に何をすればいい? 何を望む? まさか俺にエンティナ領主を討てと言うつもりじゃないだろうな?」
「それをオルメヴィーラ領主様に頼むのはお門違いと言うもの。いえ、そもそもこの話をしていること自体がお門違いでございました。……オバロ様を討つ、もしそのような判断をせざるを得ない時が来たら、このシエル・ホーエンハイムがこの命を懸け全てを終わらせる覚悟でございます」
「なら、お前は俺に何を望む」
「もし万が一の事態が起こった場合、前領主ロメオ様が愛したエンティナ領を、エンティナの民を守って頂きたい」
「万が一とは、どういうことだ?」
「……そう近くない未来に領民たちが一斉に武器を手に取り、反乱の狼煙を上げるはずです。
もしそうなった場合、今のオバロ様は容赦なく民を切り捨てるでしょう」
魔族との戦いが続いているというのに、内々でそんな事している場合じゃないだろうに……。
「それが分かっているなら、どうにかして止められないのか?」
「残念ですが、今の私にはそのような術はございません。」
「お前の話が本当だとしても、俺がお前の力になれるかは約束できないぞ。なんせ今のオルメヴィーラ領には何の戦力もないんだからな」
「それは、分かっております」
「なら――」
「もし領主様がこの老人の願いを聞き届けて頂けるならば、わたしと同じ志を持つ者たちが領主様の元に馳せ参じる事をお約束いたします」
「それはつまり俺が協力するならお前がオルメヴィーラ領に戦力を連れてきてくれると、そう言っているのか?」
「はい、そう思って頂いて結構でございます」
「そんな事が可能なのか?」
「わたしもこの数ヶ月、エンティナ領で黙って過ごしていたわけではございません。
このような事態を想定して信頼の置ける者たちに声を掛けて回っておりました」
「随分と手回しがいいじゃないか。それならシエル、お前がそいつらを率いて領主と領民の両方を止めればいいんじゃないか?」
シエルは目を瞑りゆっくり横に首を振った。
「いえ、わたしにその資格も器も到底ございません。……本来ならセレナ様が相応しいのかもしれませんが、それは彼らにとって一番酷な選択。甘いと言われるかもしれませんが、幼い頃からお二人を知る私にはどうしてもそれを選ぶことが出来ませんした」
「それを俺に押し付けようってのか。なんだ、それじゃ俺が酷く損な役回りじゃないか」
「……領主様。私自身なんと身勝手なお願いをしているのか重々承知でございます。
その身勝手を分かったうえで、どうか、どうか」
シエルはこれ以上曲がらないという程、深々と腰を折り曲げ頭を下げた。
いくらお願いされても、これはそう簡単に引き受けられる問題じゃない。
なんせ戦いになったら間違いなく領民に被害が出る。下手をしたら死人だって大勢……。
綺麗事かもしれないが、出来ればそんな事態は避けたい。
自ら燃え盛る炎の中に飛び込んで火傷するなんて愚か者のすることだ。
……とは言え、他領地の領民だからと言って目の前で死んでいくのが分かっているのに、傍観していることが本当に正しいと言えるのだろうか?
「ラフィテア、ラフィテアはどう思う?」
ラフィテアは俺の問いに珍しく押し黙った後、胸に手を当て十字を切りそれからやおらに口を開いた。
「何が最良の選択なのか、こればかりはわたしにも分かりかねます。今回の件に関わらなければ領民に被害は出ないかもしれません。が、罪もない多くのエンティナ領民が殺されるでしょう。そのような悪逆行為を平然と行う領主がエンティナ領にいればいつこのオルメヴィーラ領に災いが降りかかるとも限りません。結果、今回介入しないことで将来被害が拡大するかもしれないし、しないかもしれません」
「そうだな」
それこそ神のみぞ知るって所か。
「ただ――」
ラフィテアは俺の目を真っすぐ見つめると、確信に満ちた表情で言い放った。
「目の前の人々が助けを求めているのに、まだ起こるかもしれない未来に杞憂し、そこから目を背ける者に領主としての資格はない、とわたしはそう思います」
領主の資格はない、か。
「……失礼な物言い、大変申し訳ございませんでした」
「いや、いいんだ、ラフィテア。変な事を聞いて悪かったな。この選択こそ領主としての一番の責務だって言うのに」
人の上に立つって事がどれだけ責任重大か、今ようやく実感したよ。
さて、どうする。
――どうするよ、オルメヴィーラの領主。
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