エンティナ領編ー7
「オルメヴィーラ領、領主様。この度は突然の訪問にもかかわらず、お目通り賜り誠にありがとうございます」
黒衣を纏った身なりの良い老齢の紳士は部屋に足を一歩踏み入れるなり、そう言って十秒ほど深々と頭を下げた。
格好もそうだが、その立ち振る舞いや所作、言葉遣いからして彼がそこらにいる一般の領民でないことは俺にでもすぐにわかった。
「わたくしはエンティナ領主オバロ・ベータグラム様の執事をやっておりましたシエル・ホーエンハイムと申します」
エンティナ領主の執事。
頭を下げたこの男は確かに今そう言った。
「俺はオルメヴィーラ領主のラックだ。シエル・ホーエンハイムだったか、エンティナ領主の執事がわざわざこのような辺境の村まで足を運ぶとは一体何の用なんだ?」
「元・執事でございます、領主様。今は一介の老人に過ぎません」
「そうか。それで、その元・執事が俺に会いたいとはどんな用件なんだ」
「実はラック様に折り入ってお話ししたいことが……」
「どうした? シエル」
シエルは会話の途中で言葉を止めると、少し驚いた様子で俺の方を見ていた。
いや正確には俺の後ろにいたラフィテアに視線を送っていた、という方が正しいだろう。
「いえ、失礼しました、領主様。まさかここで懐かしい顔を見ることになるとは思いもよらなかったものですから」
「懐かしい顔? ……ラフィテアの事か。二人は顔見知りなのか?」
「はい、ラック様。わたしが以前エンティナ領主に仕えていた時に」
そう言ってラフィテアはシエルに向かって一礼した。
シエル・ホーエンハイムがエンティナ領主の執事なら二人が知り合いなのも当然の事か。
「ラフィテア殿、息災の様で何より」
「シエル様もお元気そうで。……しかし先代の領主様の頃から仕えていたシエル様がエンティナ領を離れるなんて何かあったのですか?」
「……実はその件で領主様にお願いがあり、無理を言って突然押しかけた次第でございます」
ラフィテアを見て久しぶりに会う孫の顔を見たかのような優しい笑顔になったシエルだったが、エンティナ領の事に話が戻ると先ほどとは打って変わって百戦錬磨の戦士のような鋭い顔つきに変わっていた。
シエルはなぜか数秒押し黙った後、それから意を決したようにゆっくりその重い口を開いた。
「――領主様、どうかエンティナ領を救って頂きたい」
「……はぁ?」
一瞬、俺の思考は完全停止した。
今のこの間抜けな俺の顔をノジカが見たら、腹を抱えて笑っていたに違いない。
エンティナ領を救う? この俺が?
シエルが何か冗談を言ってるのかと思ったが、その表所は至って真剣。
とても俺をからかっている様には見えなかった。
「シエル。すまないが、どういう事か詳しく説明してくれ」
「はい」
確かにドウウィンは大変な事になっているようだが、幾ら何でもそれだけでエンティナ領を救ってくれと見ず知らずの領主の所に乗り込む様な馬鹿な真似はしないだろう。
「わたくしは先代の領主ロメオ・ベータグラム様の頃からエンティナ領に仕え、今日まで長年にわたり務めてまいりました。
……先代の領主ロメオ様は稀代の名君でした。
若き頃からその類まれなる才能からユークリッドの剣王と呼ばれ、大軍を率いては数多の戦地を駆け、度重なる魔族の攻撃からこの王国を幾度となく守ってきました。
終わるこのない戦いに身を投じ武勲を上げ続けたロメオ様ですが、年を重ね一線を退いてからは、エンティナ領に戻り領主として荒廃していた領地の発展にお亡くなりになるその日まで尽力し続けました」
聞くところによると今あるエンティナ領はもともと王国の直轄地だったらしく、領地をもたない下級貴族のロメオに多大な功績を上げた恩賞として、当時の国王が彼の名を冠したエンティナ領を授けたようだ。
「そのロメオ様がお亡くなりになったのは、今から5年ほど前。彼には後継ぎとなる二人の子供がいました。……いえ、正確には現領主である実子のオバロ様と、養女のセレナ様でございます」
「……セレナ」
「ん? どうしたラフィテア」
「あっ、いえ、何でもありません」
「そうか。すまない、シエル。話を続けてくれ」
「……オバロ様は剣の腕こそ若き日のロメオ様には及ばないものの、勉学に非常に秀でたお方で幼い頃からマグレディーの秀才と呼ばれ、セレナ様は、……剣に愛され剣王の再来とまで称されていました」
マグレディーの秀才と剣王の再来ね。
「一つ聞いていいか?」
「何でしょうか」
「どうして実子がいるのにセレナって子を養女に取ったんだ?」
「セレナ様はロメオ様のご友人の忘れ形見なのです。わたくしも噂程度にしか存じておりませんが、戦地に赴く際の約束だったと、そう聞き及んでいます」
「なるほどな」
「二人は幼い頃から本当の兄妹の様に仲が良く、時には互いぶつかりながらもロメオ様の様になるべく切磋琢磨し剣や勉学に邁進しておりました。二人は将来を期待されエンティナ領の未来は明るいはずでした。……そう、あの日までは。あの日をきっかけに二人の間に大きな亀裂が走ったのです」
「あの日?」
「はい。ここでは詳しくは申し上げませんが、セレナ様は天性の才能を持っていたのです」
「天性の才能ね」
「それは我々凡人がどんなに努力しても叶わない神から授けられた特別な力。皆、そんなセレナ様を間近に見て、いつしか彼女こそがエンティナ領の次期領主にふさわしいと囁くようになりました。その頃からでございます。オバロ様が変わってしまったのは……」
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