第17話 鬼才建築家ノジカ編ー4
カツ、カツ、カツ、カツ……。
じめっとした空気が全身に纏わりついてくる。
まるで井戸の底にでもいるようだ。
ここには太陽の光もあのゴトーの灯も一切届くことはない。
足元を照らすのは壁に掛けられた小さな蝋燭だけだ。
俺は道先案内人の後を黙ったまま地下に続く階段をゆっくりと下っている。
ここはゴトーの中心街から遠く離れた場所にある地下収容施設。
まぁ、いわゆる牢獄だ。
「ノジカがいるのはどこなんだ?」
「あいつなら、一番奥の牢屋にぶち込んである。今は大人しくなったが、最初はやたらと騒がしくてな」
先頭を歩きながら俺と会話している男はこの施設で働いている守衛だ。
「それにしてもこんなところまで面会に来るなんてあんた余程の変わり者だな」
「まぁ色々あってね」
「そうか」
守衛の男は素っ気なく返事をするとそれ以上会話を続けるでもなく再び前を向き歩き出す。余計な詮索をしても碌な事がないと分かっているのだろう。そうしてしばらく黙々と地下牢を歩いていると、突然男の足がぴたりと止まった。
「……ここから真っすぐ行って突き当りがそうだ」
守衛が指している先はここからでは灯りが届かず目では確認できない。
「案内してくれて助かったよ」
そう言って守衛の手に金貨を握らせると、男は金額を何度か確認し満足気にその場を離れていった。
俺は暗く静まり返った通路を灯りだけを頼りに歩みを進める。
「ここがそうか」
一番奥の牢屋にたどり着くと、手に持っていたランタンで独房内を照らし、ノジカの姿を確認しようと目を細めた。
「――あんたがノジカか?」
膝を抱え座り込んでいた人影に声を掛けると、そいつはゆっくり顔を上げ不審そうに首をこちらに傾けた。
「ん? あぁ、そうだよ。そういう君は一体どこの誰なんだい?」
「俺はオルメヴィーラ領の領主――」
ん? 何かおかしい。
俺の記憶に間違いがなければ、確かノジカは男だとラフィテアが言っていた。
――しかし目の前にいるのはどう見ても女性。
正確には猫耳の生えた少女だった。
「ちょ、ちょっとすまん。もう一度確認する。お前が本当にノジカなのか?俺の聞いてた話だとノジカは男だって……」
「男? あぁ、それはきっとボクの親父の事だね。ボクは正真正銘のノジカだよ。ノジカって名前は代々子供に受け継がれていくんだ」
どうやら、ラフィテアの言っていたノジカという人物は目の前にいる少女の父親の事のようだ。
なんて紛らわしい。
「――それで、わざわざこんな所までボクに会いに来るなんて一体何の用?」
「お前、というか、お前の父親に用があったんだ。オルメヴィーラ領での仕事を頼みたかったんだが……」
「なるほど、そういうこと」
ノジカは両手を前に延ばすと、首を低く押し出し大きな欠伸をした。
「お前の父親はいまどこにいるんだ?」
「さぁ、どこだろうね」
「知らないのか?」
「知ってるよ」
「じゃぁ――」
ノジカは俺の言葉を遮るように静かに天井を指さした。
「あの世だよ」
「……なんというか、その、すまない」
「別に気にしてないから、謝らなくてもいいよ」
彼女はそう答えると無邪気に笑ってみせた。
それにしても困った。
折角ここまで来たというのに、鬼才建築家ノジカがもう亡くなっていたとは。
ここまで来たのに完全な無駄足になってしまったのか。
さて、どうしたもんかな。
……ん?
待てよ。
ノジカって名前は代々受け継ぐって言っていたよな。
なら、もしかして――
「お前、ノジカを名乗っているってことは父親の後を継いだんじゃないのか?」
「ん? まぁ、そうなんだけどね。色々あって、仕事はもう辞めたんだ」
「仕事を辞めた? それで今はこうして牢屋の中で余生を過ごしているわけか」
「あはははっ、君なかなか痛いところを突くね」
ノジカは極まりが悪いのか、猫耳の裏っ側をカリカリと掻いてみせた。
「冗談は置いておいて、どうしてお前はこんな牢屋に入れられているんだ?」
「ちょっと賭け勝負で負けちゃってさ。見上げるほどの借金の山が、ね。それでゴトーから逃げ出そうと思ったら見事に捕まっちゃって。
――あはははっ、にゃ♪」
にゃ♪ じゃねぇよ。
ギャンブル好きは父親譲りか?
呆れて思わずやれやれと首を振ってしまう。
「……あまり聞きたくはないが、どれだけ借金があるんだよ」
「んーと、金貨1万枚」
ほっぺに指をあて、ベロをぺろっと出し可愛い子ぶっている。
「金貨1万枚!?」
金貨1万枚ってよくもまぁそんなに借金をこしらえたもんだ。
――でも、俺にとっては都合がいいかもしれない。
「ノジカ、一つ交換条件といかないか?」
「交換条件?」
「そうだ。俺がお前の借金をなんとかしてやる代わりに、お前がオルメヴィーラ領で働いてくれないか?」
「うーん、それはちょっと……。
いや、でもなぁ、背に腹は代えられないか。
いやいや、一度辞めるって決めたのし、でもでも――」
ノジカはひょいと飛び起きるとあーだこーだ言いながら、狭い牢屋内をぐるぐるぐるぐると歩き回っている。
「なにをそんなに迷っているんだ? そんなに働くのが嫌なのか?」
ノジカは足をピタッと止めると、俺の目の前までスタスタと近寄ってきた。
「別にそういう事じゃないよ。ボクね、これでも自分の仕事に誇りを持ってるの。……だけど最近来る依頼と言えば、貴族様の自己欲求を満たす為だけのくっだらない仕事ばかり」
ノジカは落胆したような深いため息をついた。
「なんの為に今まで頑張ってやってきたのか、わからなくなったんだ。
――だからきっぱりさっぱり仕事を辞めた」
そう言って見せた彼女の笑顔が俺にはどことなく悲愴な面持ちに見えた。
なにがきっぱり、さっぱりだよ。
どう見ても未練あるじゃないか。
はぁ、やれやれ。
「本当にそれでいいのか?」
「え?」
「このまま本当に辞めていいのかって聞いてるんだ」
「……」
ノジカは黙ってうつむいたままだ
「ノジカには夢や目標はないのか?」
「突然なんの話?」
「俺にはあるぞ。まだ誰にも言ってなかったけど、ノジカには特別に教えてやる」
「 べ、別に頼んでないんだけど……」
俺はノジカに構わず話を続けた。
「俺のいるオルメヴィーラ領には村がたったの一つしかない。しかもユークリッド王や貴族どもにも見捨てられ、あまりの貧しさにほとんどの村人が逃げ出すような場所さ。俺はそんな寂れた村しかない領地を無理やり押し付けられた」
ノジカはいつの間にか、じっと黙ったまま話を聞きいっていた。
「最初は俺も仕方なく領主っぽいことをしてたけど、それでも本当に村を大切に思っている領民がそこにいて、俺のやったことを心から喜んでくれる人たちがいたんだ。
その時思ったんだ。こんな俺を慕ってくれる、ついてきてくれる人たちがいるのに、適当には出来ないだろって。
それじゃ、村を見捨てた王様や馬鹿貴族どもと一緒になっちまう。
それだけは嫌だった。
だから成り行きとは言え、俺が領主になったからには、村をこの国一番の大都市にしてやる、
ついてきてくれる領民たちを幸せにしてやるって思ったんだ。それが今の俺の夢であり目標だ」
真剣な眼差してで耳を傾けていたノジカは俺が話し終わるとゆっくりと口を開いた。
「随分とまた大きな夢だね」
「だろ? 俺一人じゃ絶対叶えられない馬鹿みたいな夢さ」
「でも、良い夢」
「ノジカ、お前の力を俺に貸してほしい。
――ダメか?」
俺は片膝をつくとノジカにそっと手を差し出した。
「君、ボクにプロポーズしているみたいだね」
ノジカは何がおかしいのかくすくすと笑いだした。
「なんか、君を見ているとボクの親父を思い出すよ。恥ずかしげもなく大きな夢を子供に語ってたあの馬鹿親父を……」
ノジカはどこか懐かしそうに顔をほころばせ俺の右手を取った。
「……いいよ、手伝ってあげる」
「本当か!?」
「その馬鹿みたいな夢を一緒に見てみたくなったんだ。君の夢が叶うまで付き合ってあげるよ」
「ノジカ、ありがとう」
「……あのさ、喜んでいるところ悪いけど、もう手を放してくれないかな」
ノジカは恥ずかしそうに顔を赤らめている。
「わ、悪い。つい嬉しくって」
「べ、別にいいんだけど。……そ、そうだ、まだ自己紹介ちゃんとしてなかったね。
おほんっ、ボクは猫人族のノジカ。ノジカ・コーニッシュ。よろしくね」
「俺はオルメヴィーラ領主のラックだ。
改めてよろしくな、ノジカ」
俺たちは鉄格子越しに握手を交わした。
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