第8話 続・疑惑は深まった

 しかし、かかりつけ医などいるはずもない。しかも、GWの真っ只中である。開いている病院といえば救急病院くらいなものだろう。


 さて、病院へ行くとなれば必要なものは保険証だ。

 滅多に使うことのない保険証を手に取り、何気なく裏面を見た。


 何だ? これ。


 唐突に現われた四字熟語に目が止まる。

 ずっと知らずに生きてきた。そこに臓器提供に関する意思表示についての記載があったとは。


 臓器提供……!?


 考えてみたこともなかった。

 人生で初めて死を意識した時に遭遇した新たな概念だった。



1.私は、脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植のために臓器を提供します。

2.私は心臓が停止した死後に限り、移植のために臓器を提供します。

3.私は、臓器を提供しません。



 以上三つの選択肢があった。

 次に、



1又は2を選んだ方で、提供したくない臓器があれば、×をつけてください。

【心臓・肺・肝臓・腎臓・膵臓・小腸・眼球】



 とある。


 ほ~ぉ。提供できるのは、この七種類の臓器なのか。


 迷うほどのことでもなかった。

 そもそも、抜け殻となった死後の己の肉体に未練も興味もありはしない。

 人の役に立ちたいとか、犠牲的精神とか、閻魔大王からのお目こぼしを期待するとか、そういう崇高な(?)思惑はないまでも、1を選択し、署名することに何の異議があろうか。

 

 かくして、1の番号を〇で囲み、記入年月日を書き込み、署名したことにより、自分は臓器提供の意思を示したことになった。

 小難しい手続きを要するものと思っていたが、保険証の裏に記入するだけという意外にも簡単な行為で済むことに驚きを通り越して、むしろ呆れた。


 簡単すぎるが故に、もしかしたら……と、一つの疑念が湧いて来た。

 もしかしたら、この裏面に何の意思表示もしていなかった人が何らかの事由で死に至った際、第三者が記入することによって強制的に1を選択させられることもあるのではないか? と。

 もしも、3の意思を持っていた人がそういうことになったら、気の毒な話だ。


 肉体は仮の宿り、とも言うが、考え方は人それぞれ。



 新たな概念の毒気(?)に当てられ、思いのほか消耗し削られた神経は、病院へ行こうとする気力を萎えさせた。

 その後、保険証を握り締めたまま倒れ込むようにまたしても身体を横たえ、目を閉じると……それからのことはあまり憶えていない。おそらく、昏睡に似た状態に陥ったのだろう。


 

 原因不明の体調不良との闘いは、嵐が過ぎ去るのをひたすら待つだけのような持久戦の様相を呈した。滅多に経験しない症状を珍しがる余裕など、二日目に突入した頃にはとっくに失せていた。それでも、自然治癒力に期待する気持ちはあった。


 やがて、言語に絶する不調の三日間が過ぎ、四日目の朝を迎えた。


 台風一過。


 そんな言葉が浮かんだ。

 目覚めは平常だった。平常の尊さを実感した朝だった。


 いったい何が原因だったのか? 本当に例の流行病に罹っていたのか? 


 結局、疑惑は疑惑のままで終わった。

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