第9-2話 芽吹くために

「お願いですから、春野の件であおらないで下さい、モノ先輩。……殺したくなります」


 いつも以上に感情の見えない表情で見下ろしてくる優の目を、モノもまっすぐに見返す。そして、【断罪】の啓示を司る天人として、純粋無垢だった優の奥に宿った罪の意識を正確に見抜いた。


「……いいね、優クン。ようやくキミの中にも罪の感情が芽生えた。あの子の死を受け入れたんだね?」


 自分の弱さをようやく自覚したんだね。そう言って、優の頬に優しく触れる。


 ベッドの上。優とモノの視線が交錯する。


「何が、望みですか?」

「……このまま優クンに滅茶苦茶にされること♪ きゃっ、言っちゃった♪」


 男に組み敷かれてもなお、おどける様子がある先輩に、優としては呆れを通り越して感心するしかない。


「はぁ……。茶化さないで下さい」

「え~? 優クンになら、良いよ? ほらほら。私、いわゆるロリ巨乳だし。体つきはあの子……春野楓ちゃんにそっくり――」

「じゃあこう聞きます。俺は『どうしたらいいんですか?』って」


 確かに、今の優にとってモノ存在は大きい。しかし、彼は、かつて初任務で魔人をけしかけた人物がモノであり、彼女が春樹を殺そうとしていたことを忘れてはいない。しかし、今、優が弱音を……この先、どうすれば良いのかを聞くことができる人物は、モノしかない。天にも、春樹にも、シアにも。優はこれ以上、情けない姿を見せることができなかった。


 モノに頼るしかない状況を作られたのだと、今なら分かる。今もなお、この天人の手のひらの上で踊らされていることも分かっている。それでも優は、強くなりたかった。


 そんな優の真剣な眼差しを受けて、モノもおどけることをやめる。


「……さっきも言ったよ。――必殺技。それが、今の優クンには必要だと思うの」


 必殺技。モノが言ったその言葉が冗談ではないことを、優は察する。どんなヒーローも必殺技と呼ばれるものを持っている。それはヒーロー自身の自信の表れであると同時に、守られる人々の希望の光ともなる。


「ヒーロー大好きな優クンが喜ぶかなって思って必殺技って言う陳腐な言葉を使ったけど。決め手、努力の証とも言えるかも」

「努力の証、ですか……?」

「そう。これを使えば、どんな相手も殺せる。この技を習得するために頑張った。そんな絶対的な努力の証が1つあるだけで、自信……少なくとも、どんな相手にもひるまない安心感を得られるって、お姉さんは思うの」


 モノに覆いかぶさることをやめて、ベッドに座り直した優。


 正直、彼としても、必殺技というその響きに心が躍らなかったわけではない。しかし、自分が数多思い浮かべるヒーロー達の必殺技を使って、他でもない“自分が”魔獣を倒す姿を、優は残念ながら思い浮かべることができない。


 ベッドの上。腕を組んで考え込む優の隣に、モノも座り直す。


「何も、腕から宇宙的光線を出したり、ライダーなキックをしたり。ましてや昇竜しょうりゅうとか、戦隊ハリケーンをしろって言ってるんじゃないよ?」


 今まさに考えていた必殺技たちを次々に言い当てられて、優としては恥ずかしい限りだ。


 じゃあ、と、思考を切り替えた優が真っ先に思い浮かべたのは、やはり天の姿だ。先日も、どん欲に新しい魔法の開発・習得に励んでいた。しかしそれはあくまでも使用者が“魔法の申し子”神代天だからできるマナ操作技術であって、やはり、自分には出来ないと優は結論づける。


 そうして、またしても考え込む優を隣から愛おしげに見ていたモノだったが、このままでは埒が明かないとさらなるヒントを出す。


「もっと現実的に。魔力が低い優クンのためにあるような必殺技。それを使う人を優クンはもう既に知ってると思うなぁ、お姉さんは」

「魔力が低い、俺のためにあるような技、ですか……?」

「そう。普段なら優クンが絶対に接点を持たない子。なのに優クンは“彼女”と初任務の時に接点を持ってる。これがシアちゃん【運命】の力だとしたら……」


 いやはや、お姉さんは敵わないよねぇ。感慨深げなモノの呟きなど、もう優には届いていない。初任務。そして彼女と言うヒントはもはや、優にとっては答えでしかない。


 先日の魔人襲撃事件において討伐された魔人は3体だと思われていた。


 しかし、後日。天人でも魔力持ちでもないとある一般女子学生が単身で、魔人1体を討伐していたことが確認された。天が行方不明となった今、9期生期待の星として徐々に名前が上がり始めた女子学生のことを優はようやく思い出す。


「補足すると、今の今まで忘れていた優クンと違って、シアちゃんとその子は今もちゃんと“お友達”だそうだよ?」


 モノに皮肉たっぷりに言われた優だったが軽く受け流しつつ、すぐにシアに連絡を入れる。多少強引でも、この春休みを充実したものとするために、当該女子学生に連絡を取ってもらうためだ。


 必死になってメッセージアプリの文言を考える優の顔を覗き見ながら、モノの唇が薄く弧を描く。その形はちょうどいま夜空に浮かぶ、新月を前にした月とそっくりだった。




 同じころ。糸のように細い月が照らす、京都南部の森の中。影の中を疾走していた闇猫が、静かに足を止める。成猫サイズに戻った闇猫は、負傷した右前足をいたわるようにして舐める。怒りに飲まれた優が闇猫に与えた深い切り傷は、まだ完治からは程遠い状態にあった。


 ――おかしい。


 闇猫が、あまりの治りの遅さに首をかしげる。もう既に魔人マエダを捕食した後のマナの不安定さは無く、万全に近い状態だ。そのため、通常であればこの程度の傷、瞬く間に治ってしまう。だというのに、傷の修復が遅々として進まない。


 さらに言えば、闇猫の右前足の異変は今に始まったことではない。あの日――きらびやかな町の中心で大勢の人間を捕食したあの日から、闇猫の右前足には言いようのない違和感があった。そして、日を追うごとに、少しずつ、少しずつ、右前足の違和感は広がっている。


 その違和感のせいで先日はわずかに動きが鈍り、本命だった天人シアの捕食に失敗した。


『ニャァオ……?』


 一体何がどうなっているのか。闇猫が右前足を見つめて首を傾げた、その瞬間。不意に、闇猫の右前足がブクブクと膨れ始めた。


 特派員であればそれが、魔獣が姿を変える現象『変態』の予兆であるとすぐに分かっただろう。


 しかし、闇猫にはその正確な知識が無い。数万という人間を捕食し、魔法を扱えるほどに高い知性を獲得している闇猫だが、知識があるわけではない。いま自分の身に何が起きているのかを正確に把握することは出来なかった。


 ただし、異変が起きていることは目で見て理解できる。また、右前足を中心に“自己”が変容されようとしていることを野生の勘だけで悟った。ゆえに、闇猫の行動は早かった。


『ニ゛ャッ』


 自らの爪で右前足を斬り落としたのだ。ぽとりと地面に落ちた闇猫の右前足が、黒い砂になることは無い。いまもなお、まるで意思を持っているかのようにうごめき、膨張を続ける。


 その奇妙な光景に気味の悪さを覚えた闇猫は、本能のまま逃げることにする。幸いにも、斬り落としたことで右前足にあった違和感はきれいさっぱり無くなった。瞬時に修復された右前足の調子を確かめた闇猫は、早々にその場を後にする。


 その場に残されたのは、切り離されてもなおうごめき続ける闇猫の前足だけだ。最初はこぶし大だった肉片は表面を波打たせながらどんどんと膨れ上がり、ものの数秒でバランスボール大の球体になる。そして、今度は風船が膨らむように張り詰めた様子で膨張していき――破裂した。


 そうして割れた球体の中から、1体の人型生物が現れる。身長は150㎝に届くかどうか。やや内向きにクセのついた、こげ茶色の髪。大きく垂れ目がちな目元。胸と腰は美しいS字の曲線を描き、闇夜に豊満なシルエットを映す。


 やがて立ち上がった“彼女”は、周囲を見回す。


『オオ……オオ? アアイ、アンエ……。オエイ、オエオ……。ッエ、アアア!?』


 喉の調子を確かめるように視線を落とした彼女は、自身が裸であることに気付いてうずくまる。


『アンエアアア!? ウウオオ!? ……アエア、オウオウエウエイイエオーーー!』


 闇夜の森に、少女の声が虚しく響き渡るのだった。




 こうして、魔人と闇猫に振り回された厳しい冬が終わる。2年生になれば、春には遠征が。夏や秋には短期インターンシップが控えている。


 雪が解け、日の目を浴びた小さな種が花を咲かせられるか否か。それは春を迎えるまでに、種がどれだけ栄養をため込むことが出来るかにかかっていた。





※これにて【月】の章は完結です。ご覧頂いて、ありがとうございました。来週には閑話として、天とアスハの戦闘の模様を2話に渡ってお届けします。楽しんで頂ければ幸いです。

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