第二幕・後編……「堕ちる女神」

第0話 逆行

『自分が春野を殺したのではないか』


 シアがその可能性に思い至ったのは、優が魔力不全に陥った翌日のことだった。いや、正確には、


『なぜ運命の女神である自分が見定めた2人――優と春野――の関係が、こうもあっさりと崩れたのか』


 という疑問は、春野の訃報を受けた時からあったのだ。ただ、女神としての自身の直感すらも凌駕するほど、闇猫という魔獣が規格外だったのではないか。そう考えることで、シアは一定の納得をしていたのだった。


 だからその日も、はたから見れば暢気のんきに、シアは優のお見舞いに行こうと買い物をしていた。




 魔獣災害。そして、何よりも、春野の死。2つのことが重なって、優が魔力不全になったと思っているシア。一緒に買い物に来てくれた友人たちのアドバイスも受けながら、落ち込んでいるだろう優に夕食でも作ってあげようかと張り切っていた。


「じゃあシアさん、今から神代くんの所に行ってあげるんだ?」


 栄養バランスを元に献立を考えていたシアに、一緒に買い物に来た福原ふくはら七星ななせが尋ねる。


「はい! 先日の魔獣災害で優さんも心の傷を負っているので、元気づけられないかと思いまして……」

「や~ん、シアちゃん、ほんと健気けなげ! うちの弟と結婚してよ~」


 弟をシアに押し売りするのは、文化祭でクレープ屋を一緒にしようと言っていた羽鳥はねとり梨央りおだ。クラスメイトからは苗字と名前の終わりと頭を取って「りり」と呼ばれている。


「りりさんの弟さん、まだ小学生でしたよね?」

「そうだけど~」


 福原ふくはら羽鳥はねとりの話からも分かる通り、シアの恋路はおよそクラスメイト全員が知る所になっている。そして、シアに想いを寄せる、いわゆるガチ恋勢と呼ばれる一部男子を除いて、全員がシアの恋を応援していた。


 だからこそ、と言えるかもしれない。少し空気が読めないマイペースなことでクラスでは知られている女子学生、安田やすだ杏奈あんなが、クラスの誰も言えなかったことを口にした。


「あれ? でも、シアさん、チャンスなんじゃない?」


 一瞬何を言われたのか分からなくて、シアはサラダに伸ばしていた手を止めた。


「チャンス、ですか……?」


 いったい何のどこがチャンスなのか。本気で分からないシアは、しゃがんだ姿勢のまま、安田を見上げて聞き返す。


「そうそう。その神代くんって人。彼女さんが亡くなって、傷心中なんでしょ? そこで献身的にしてくれる女子にグッと来ない男子なんて、いない……むぐっ!?」

「ちょっと杏奈あんな! 不謹慎でしょ!? ごめんね、シアちゃん」


 すかさず安田の口を塞いだ福原。だが、時すでに遅し。しかも、言いたいことは最後まで言うのが安田の信条だ。軽やかに福原によるお口チャックを振りほどくと、言葉を続ける。


「ぷはっ。……え~、でもでも。彼女さんも居なくなって、これでシアちゃんの恋の障害もなくなったじゃんっ。アンナ、シアちゃんには幸せになって欲しいよ~」

「それは、私だってそうだけど……。でもタイミングは考えよう? ね、りりちゃん」

「ま、まぁ、ね。それより……」


 と、無理矢理話題の転換を図る羽鳥。しかし真面目なシアは、改めて現状について考えることになった。


 春野が死んだ。その事実に、シアが深く傷ついたことは事実だ。ただ、そうして生まれた現状が、あまりにも自分にとって都合が良すぎるのではないだろうか。


 1つ。春野という、優の運命の相手が居なくなったこと。これにより、確かに安田の言うように恋のライバルが居なくなった。シアにとって最大の障害とも思える人物が、居なくなった。


 また、1つ。優が、魔法が使えなくなるほどの心の傷を負ったこと。それは同時に、これまで一度も折れることが無かった彼の心が折れ、隙が生まれていることを意味する。友人の言う通り、今の優を支え、立ち直るきっかけを作る人物がもし居たとすれば。シアの知る神代優という人物は、恋愛感情、あるいは好意……最低でも、多大な恩義を抱くことは間違いない。


 なぜなら、優にとって、魔法が使えるようになる……ひいては特派員になる夢を諦めないで済むことは、人生そのものを救うことになるのだから。


 そんな優のもとへと向かおうとしている、自分。手料理を振る舞い、元気づけようとしている自分の存在に気付いた時。


「……あれ?」


 シアはようやく、冒頭の疑問を抱くことになった。つまり……。


『他でもない。天人である自分が、啓示・権能の力で春野を殺したのではないか』


 というものだ。


 ――それに、優さんの運命の相手であるはずの春野さんが亡くなった理由にも、これで説明がつきます。


 これまで外れたことのない“運命の相手”の直感。その直感を超えられるのは、同じ天人しかいないとシアは考えている。これまでは天人を凌駕する力を持つ闇猫のせいだと思っていたが、ふたを開けてみれば。何を隠そう自分が、運命を捻じ曲げてしまった可能性があった。


 しかも、シアには1つだけ、心当たりがあってしまう。クリスマスイブの夜、身の程知らずにも、優との未来を夢想してしまったのだ。もしその時に、無意識で権能が発動してしまっていたのだとしたら……?


「……うっ」


 シアは自分が犯した罪の重さと、それに気づかずにいた自身の暢気のんきさに吐き気を覚え、その場にうずくまってしまう。


「シアちゃん!? 大丈夫!?」


 彼女の心配する羽鳥たちの声も、シアには届かない。


 もし、今、自分が優のもとを訪れたとして、仮に優が立ち直るようなことがあれば……。


 ――私、は……。“恋のライバルを殺して好きな男性を奪った女”ということに……。


 その考えがよぎった瞬間、シアは自分が恐ろしく汚れて見えた。優に差し伸べようとしていた手が、優を助けようと動いていた足が、優を支えたいと思うこの心が。「自分シア」を構成する全てが、不気味で、気持ちの悪いものに思えてしまった。


「すみません、皆さん!」

「あ、ちょっと、シアちゃん!?」


 シアは羽鳥たちの制止を振り切って近くのトイレに駆ける。そのまま個室に逃げ込むと、嘔吐感のままに胃の中身をぶちまけた。しかし、どれだけ吐いても、どれだけ涙を流しても、一向に自分に対する嫌悪感がぬぐえない。


 たった一度、気を抜いてしまった。たったそれだけで、1人の人物の命を奪ってしまった。西方にしかた春陽はるひの時とは違う、正真正銘、自分のせいで人が死んだ。その重荷に耐えられるほどシアの心は強靭きょうじんではなく、また、気にしないでいられるほどお気楽な性格でも無かった。


「し、シアちゃん、大丈夫~?」


 心配した羽鳥たちが、扉の向こうからシアに声をかける。が、シアは自分が、友人たちに心配してもらえるような人間ではないように思えてしまう。と、そこまで考えたところで、シアはと思い出した。


 ――そもそも、私、人間じゃないんでした……っ。


 甘い日常にどっぷりと浸かり、勘違いをしていた。自分が、彼女たちと同じだと。親友である天と同じ、人間なのだと、思ってしまっていた。


 しかし、そうではない。自分は天人であり、人間ではない。何かを想えば、世界に影響する。何かを願えば叶ってしまう。そういう存在だと、分かっていたつもりだった。


「分かっていた、つもりだったのに……っ」


 個室の中。悔しさのあまり、嗚咽おえつが止まらないシア。気づけば身体からは白いマナが漏れている。そのマナの輝きが、またしても自分の願いを叶えようとする世界の意思のように思えてしまう。


「ねぇ、ほんとに大丈夫、シアちゃん!」

「杏奈! アンタがシアさんに変なこと言ったからじゃないの!?」

「え、アンナのせい!? ご、ごめんね、シアちゃん~!」


 友人たちが優しくしてくれることすらも、啓示と権能のせいに思えてしまう。


 そうじゃない。彼女たちは心から心配してくれる、優しい人たちだと証明したくて、必死にマナの漏出を抑えようとするシア。それでも、そんな彼女の心をあざ笑うかのように、マナは輝きを増していくばかりだ。


「なんで……。なんで、消えてくれないんですか!?」


 混乱の中、悲鳴混じりに呟きながら肌を撫で、それでも止まらないマナの漏出。


 ――私が、恋なんて、したから。春野さんが……っ。優さんがっ!


 自分が、2人の人物の人生を台無しにした。優から、大切な人を奪ってしまった。そんな自分が、どんな顔で優に合えば良いのか。もう、シアには分からない。いや、優だけではない。こんなにも利己的で、いやしい自分が、どんな顔をして扉の向こうにいる友人たちに会えば良いのか分からない。


 これから先、どう生きていけばいいのか分からない。


 この日から、シアは極力誰とも話さず、失礼にならない程度の付き合いしかしなくなる。その姿・精神性は、奇しくも。優と出会う前……中学・小学校の頃の彼女と、同じものだった。




 そんな状態で迎えた、久しぶりの外地演習。運動場の端にいる優に、どう接すれば良いのか分からないシアが、逃げるようにして森へと足を踏み入れると。


「……?」


 ねっとりとした空気の膜をくぐるような、肌を撫でる気持の悪い感触があった。


「シアちゃん、これ……」


 シアの後を追って森に入った天が、丸く茶色い目をスッと細めて周囲を警戒する。天の持ち前の直感も、何かあると囁いていた。


「どうかしたか、2人とも?」


 境界線付近で足を止めた女子2人に、春樹が尋ねる。優が居ない現状、男子は彼1人。美人2人を侍らせる形になり若干肩身が狭い思いをしているものの、セル内の人間関係における緩衝材となれるよう、積極的に天、シア両名と話すようにしていた。


「春樹くん。今日、なんか変だ」


 天の言葉に、一瞬だけ自分の格好や態度について“変”と言われたのかと、全身を見回した春樹。しかし、すぐに森の雰囲気や授業の雰囲気についてだということに思い至る。


 そうして、改めて注意深く周囲を観察する春樹。


「……悪い。オレは何も感じられない」


 天やシアと感覚を共有できないことを口で詫びつつも、春樹は警戒のレベルを引き上げる。彼は自分の感覚よりも、天やシアが感じる“何か”の方を信じていた。


「なにこれ。ほんとに気持ち悪い」

「は、はい……。まるで〈領域〉の中に居るみたいな、そんな感じです」


 辺り一帯を薄く、薄くマナが満たしている、というのが天、シアの感想だ。ただし、その正体が分からない。


「……とりあえず、何かあった時に優の所に行くためにも、運動場から離れないようにするか」

「は、はい」


 一応返事をしたシアとは対照的に、むっつりとした顔で押し黙る天。先日の兄妹喧嘩が尾を引いている形だ。


 喧嘩について、春樹は優からも天からも話を聞いている。だからこそ、幼馴染の兄妹には、一時いっときの感情で一生の後悔をして欲しくない。


「天も。……良いな? 優に死んで欲しいわけじゃないだろ?」

「あ、当たり前じゃん……」

「じゃあ、ヤバいかもしれない今、オレ達はどうするんだ?」

「…………。……一応、兄さんの所に行ける位置に、陣取る」


 唇を尖らせた天の言葉に、春樹も苦笑と頷きを返すのだった。

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