第8章【月】

第一幕……「届かぬ祈り、人の願い」

第0-1話 箱根騒動

※長らくお待たせしてしまって、申し訳ありませんでした! 本日からまた、少しずつ更新を再開して行けたらと思います。推敲の時間の関係上、週1~2話くらいになってしまうかと思いますが、よろしくお願いします。


――――――――――


 箱根。芦ノあしのこを望み、源泉も数多く湧く。都心からのアクセスも“程よく不便”だったその場所には、数多くのホテルや保養所が立ち並ぶ。夏は避暑を、冬は温泉を求めて国内外から多くの観光客が訪れる場所でもあった。……7年前までは。


 改編の日から、もうすぐ11年になろうとしている現在。かつて観光地として有名だった箱根の町は、別の名前で知られている。それは――。




 人々が魔法を手にした改編の日から1年、世界で初めて魔獣が確認されて4年目。それまで増加の一途をたどっていた魔獣の数が、ようやく横ばいになろうとしていた時。日本で初めて、魔人と呼ばれる存在が確認された。


 身体能力が高く、体内に宿すマナが不安定。そんな、魔獣と同じ性質を持ちながらも、魔力持ち同様に強大な力を有する。否、魔力だけで見れば、人間や、ともすれば天人すらも凌駕りょうがするマナの総量を誇る存在だ。


 加えて、一定の知性を有する。マナの漏出を押さえることで長く生き、必要な時には策を講じて人や動物を襲う。


 ――人間の魔獣。


 それこそが、魔人を表すうえで適切な表現と言える。


 そんな魔人の存在を知った時。危機感のある者なら、誰しもが思ったことだろう。『一定の知性を持つ魔人なら、大規模な徒党を組むことができるのではないか』と。


 そんな彼ら彼女らの危惧きぐを体現した場所。それが、かつて観光地として栄えた箱根の町だった。


 切り立った山々に囲まれた地形。高低差の激しい道行みちゆき。かつて江戸幕府が関所を設けた箱根は、いわば、天然の城塞じょうさいだった。


 そんな箱根の関所跡に彼ら……魔人たちは居た。江戸時代の建物を復元した平屋建ての日本家屋。かつては観光客に関所の様子を教えていたその場所も、今は魔人の巣窟そうくつと化している。


 畳が敷かれ、イグサの匂いが郷愁きょうしゅうを誘う、その場所で。


「あーん……」


 天を仰いで大口を開けた男が、食料である人間の腕をかみ砕いた。腕の持ち主は、つい先ほど箱根から逃げ出そうとした親子のうちの母親の物だった。


「……ちっ。カラッカラじゃねぇか」


 天人に匹敵する魔力を誇る魔人の男が、腕に含まれていたマナの少なさに顔をしかめる。


 2mを超す上背に、魔人になることで手にした全身の筋肉。やや四角い骨格の顔は、阿修羅あしゅら像と似ていると言われることが多かった。


 黄土色という不健康な肌の色をしている点以外、外見はほとんど人間と変わらない。ただし、今着ているパーカーを脱げば、効率よく食事をするための大きな口が腹にあることが分かる。つい先ほど、逃げ出そうとした親子のうちの子供を1人、丸飲みにしたところだった。


 おやつのように人を食っては悪態をつく巨躯きょくの魔人。そんな彼をたしなめる声が、近くから飛んでくる。


「マエダさん。ただいま会議中です。静かにしてください」


 割れてレンズのなくなった眼鏡を押し上げたのは、会社員風の魔人だ。彼や巨躯の魔人を含め、この場所には13人もの魔人たちが居る。車座になって座る彼ら彼女らは、魔人の隠れ里とも言える箱根の中でも特に魔力の多い、ひいては強力な力を持つ魔人たちだった。


「そうは言ってもよぉ、カンベ。俺にゃ難しい話は分かんねぇし、暇なんだよ」

「だからせめて静かにしてくださいと、そう言っているんです」


 畳の上で大の字になった巨躯の魔人マエダを、会社員の魔人カンベがいさめる。それでも態度を改めないマエダにため息を漏らしたカンベは、早々に会議へと意識を戻すことにした。


 マエダとカンベ。2人の様子を見届けていたスーツ姿の女性魔人が、咳払いをして会議を進める。……のだが。


「コホン。それでは改めて話を進めるとしようか。議題は――」

「はいはーい! 議題は、なんでこんな寒いところで会議をするか、でーす!」


 元気よく手を挙げて会議を中断したのは、制服姿の女性魔人だ。


「アスハ。今はそんなこと、どうでも良いだろう?」

「えー? でもー、いつもみたいにホテルの会議室で良くなーい?」


 女子高生の魔人アスハの指摘を受けて、司会進行をしていた女性魔人が気まずそうに目を逸らす。今は11月の下旬。気温はぐっと下がり、寒いと思っているのはアスハだけではない。およそこの場にいる全員が、アスハと同じ思いを抱いていた。


「そ、それは彼が――」


 司会進行役の魔人が、会議の場所をこの場に決めた魔人を示そうとした、その時だった。


「よっ! 空いてるか?」


 箱根関所跡の日本家屋に、まるで居酒屋にでも入ってくるかのように、1人の青年が姿を見せた。


 乱雑に切りそろえられた短髪の黒髪に、吊り上がった眉。細い目の奥で神秘的に光る青い瞳。袈裟けさにも似た古風な格好をしたその青年からは、どこか粗野な印象を受けた。


 魔人の中でも屈指の魔力を持つ13人の前に突如として現れた14人目の青年。相手の魔力を肌感だけで知ることができる魔人たちは、目の前にいる青年が天人であることを瞬時に悟る。


 同時に、こうも思った。


 ――ご馳走が来た、と。


 ここで青年に飛びつくかどうかが、魔獣と魔人との違いだろうか。特に、この場にいる13人は、長く生き残って魔力を増やしてきた魔人たちだ。知性も高く、計算高い。


 だが、仲間も連れず無警戒に現れた天人を逃す手も、魔人たちには無い。


『天人を食えば至上の幸福感を得られる』


 それは、魔人たちの中でも有名な噂だ。また、天人を食えば、特別な力――啓示や権能――を得られるという噂もある。


 食欲。好奇心。生存本能。それらに屈した魔人の1人……フードを目深に被った根暗そうな魔人が、


「ぅらぁっ!」


 ついに天人の青年へと襲い掛かった。それに合わせて、他の魔人たちも、真っ黒な〈魔弾〉で援護を試みる。……しかし。


「原初よ、来たれ――〈水〉」


 粗野な見た目からは想像もできない、ささやかな声量で行なわれた祝詞のりと。あらゆる生物の根源を司る青年の権能が発動した瞬間、根暗そうな魔人の頭をボウリングの玉大の水球が包み込んだ。


 さらに、四方八方から飛んで来ていた黒い〈魔弾〉も、虚空に現れた水球に触れて爆発、霧散する。


 そうしている間にも根暗そうな魔人は空気を求めてもがき苦しむ。魔人も、歪ながら生物だ。生きるためには食べ物も空気だ。


「だから殺し方も色々あるってな!」

「がぼっ、ぐばぁっ!」


 手足を使って必死に水をかくが、文字通り神の力で創り出された水から抜け出すことは出来ない。溺れる仲間を助けようと、その場にいた魔人たちの半数に当たる6人が、根暗そうな魔人の頭を覆う水球を攻撃。残りの半数が天人の青年を攻撃する。


 しかし。


「悪いな、俺ぁラスボスなもんで」


 ラスボスを自称する青年が生みだした水が、そのことごとくを無力化する。遠距離が無理なら近接を、と、思う者もいたが。


 ――近づけば、根暗そうな魔人と同じ未来を辿るかもしれない。


 久しく忘れていた“恐怖”が、魔人たちの足を止める。結果、場が膠着こうちゃくすること2分ほど。


「がぼっ……」


 水泡を吐き出した根暗そうな魔人が、白目をむいて窒息した。

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