第3話 『特殊現象研究会』
時刻は午前10時。第三校の文化祭が始まって、1時間が経とうとしていた。
優が主催者として参加するメイド喫茶は男子4名、女子5名の計8名で午前・午後のシフトを組んで経営されることになっている。裏方に男子2人。給仕に女子2~3人というのが基本の形だった。
そして、現在。朝の準備の流れのまま、裏方には優と
「家族席3番さん! コーヒー2、リンゴ1、サービスなしクッキー1!」
「了解です。由比さん、これ2人席1番さんのコーヒーとサービス付きクッキーです。絵を描いてあげて下さい」
由比のオーダーを優が手早く手元に書き込んで、作ったコーヒーとクッキーのセットを手渡す。
「中村くん。テラス席の4番、5番さんからコーヒーのお代わり。それとクラッカー」
「待ってくれ、琴浦。まずはこのクッキーを家族席2番に。サービス付きの物だ。コーヒーは僕が運ぶ」
「分かった。2番って言うと……なるほど、私のファンの子ね」
息つく間もないとはこのことだろう。メイド喫茶は、優の予想を……責任者である由比の予想すらはるかに超えて、大盛況になっていた。その要因は主に2つある。1つは、天人とモデル。2人の注目生徒を客入りが悪い午前中に配置したこと。また、責任者でもある由比が、誰がいつシフトに入っているのか、どのようなメニューがあるのかなどの情報発信をこまめにSNSで行なっていたからだ。
結果、シアと琴浦両名を目当てにした
「神代、加賀谷! 手伝いに来た!」
「まじか! 助かる、湯浅」
由比から連絡を受けた湯浅が来なければならないほど、大盛況になってしまっていた。
「早速で悪いが調理スペースでオムライスを1つ温めて来てくれ。あ、除菌ティッシュと使い捨て手袋、忘れるなよ」
「うっす。ついでに列は6組待ちだ」
優の指示に素早く服を着替えた湯浅が教室を出て1階の調理スペースへと駆けて行く。手元にある手書きのオーダー票を確認しながら、優と加賀谷も何とか調理を進めていく。この場に居る全員、普段は接客業などしていない。そんな彼らが慣れない接客業に食らいつけているのは、ひとえに、普段から特派員として多くの情報を処理し、優先順位をつけて行動してきたからに他ならない。
「やばい、神代。クッキーもクラッカーも、買い足さないと足りない……!」
「了解だが、どうするか……」
最初に言った加賀谷も、優も、この場を離れられないことは分かっている。かといって、増員の湯浅はオムライスを温めに行ったため、しばらく戻って来られない。
「……ここは素直に、お客さんに待ってもらうか。俺が買い出しに行ってくる」
「分かった。なら、僕がお客さんに説明してくる」
コンビニまでは往復5分ほど。レジの込み具合を考えると10分程度だ。客に事情を説明して待っていてもらおう。そう考えて優がひとまずエプロンを脱いだ時。
「アタシが裏方の方サポートするよ」
由比が裏方スペースに姿を見せる。そして除菌ティッシュで手を拭いて、青いゴム製の使い捨て手袋をはめた。
「神代君、エプロン貸して?」
「あ、ああ。接客の方は良いんですか?」
「良いの良いの。お客さんの目当てはアタシじゃなくて、あっちの2人だから」
暗幕の向こうに居るシアと琴浦の方を見て、由比が特段気にした様子もなく告げる。
「それに丁度いまはお客さんが食べたり飲んだりしてる時間。ここから会計ラッシュが来るまでにまだ時間あるし、それまでに買って来てくれると嬉しいかな? ……姫奈ちゃん! クラッカー出来た!」
口と手の両方を器用に動かしながら、盛り付けを済ませてしまった由比。最初こそギャルっぽいからと敬遠していた優だが、こうして改めて見てみれば、何と頼りになる責任者だろうか。早期から注目度の高い学生を勧誘し、SNSを活用した告知。それらを、まだ学生同士の関係性が浅かった6月から画策していたのだ。
事前の準備から含めて、優では出来ないような戦略を立ててもいた由比もまた、優にとっては尊敬の対象となる。
「了解です。じゃあ、加賀屋、由比さん、任せました」
「任せてくれ」「おっけー」
由比にエプロンを渡して手袋を取った優は、校内のコンビニまで焦らず急ぐのだった。
他方、シアはと言えば。
「『萌え萌えキュン』ですか?」
「ぐふっ! そうそう、メイド喫茶と言えばそれでしょう? こう、手でハートを作って……こう」
奇妙奇天烈な動きを所望してくる線の細い男性客に、困惑していた。シアも、そうした文化があることは各種物語を読んでいるために知っている。しかし、今回のメイド喫茶におけるサービス内容には含まれていない。何より、恥ずかしさを
「あ、えっと。お客さ――」
「ご主人様、ですよ?」
「ご、ご主人様。当店ではそう言ったサービスはしていなくて……」
「はぁ? メイド喫茶なのにぃ? 850円もするのにぃ? それって、どうなんですかねぇ?」
男性客が声高に叫んだことで、店内が凍り付く。
これまで魔獣や魔人を相手にしてきたシアが、高圧的な男性が相手だろうが怖がることはない。ただ、自身が招いた混沌とした状況に、戸惑っただけだ。しかし、シアがひるんだように見えた客の男性は口で弧を描き、高圧的な態度を強める。
「大体、このケチャ絵、何なんです? リス? 熊?」
「ね、猫です……」
「これが、猫? はんっ、へったくそな絵を描いてお金を取るなんて、それこそぼったく――」
「可愛い猫だね、シアちゃん?」
どうしていいか分からず
「天ちゃん? どうしてここに?」
「文化祭だから、シフトの合間に友達のとこ順々に回ってたんだけど……何、こいつ?」
シアに笑顔を見せた一方、汚物を見るような目を男性客に向けた天。
「これが猫だって分からないなんて。どこに目、ついてるの? ってか、ぷふっ! あなたみたいな人に、天人が、美少女が、嫌な顔一つせずに接客してくれた。それだけで私なら1万円払えって話なんだけど?」
「なっ?!」
「ちょ、天ちゃん?!」
店員でもないただの部外者だからこそ言える、率直で、失礼な言葉だった。
男の面食らった顔に満足した天は、冷静にあるべき場所に話の着地点を持っていくための算段を立てる。
「文句があるなら外で聞くから、来たら? みんな文化祭楽しんでるのに、あなたみたいな人が居たら
「おい、このクソガキ! 調子に乗るなよ?!」
「ぷくっ! この程度で怒るんだ? ガキの私と違って大人なのに? 兄さんもそうだけど、これだからこじらせたオタクは。
きっもっ。その言葉で、男性客の中で何かが切れた。同時に、全身から青みがかった光をこぼし、魔法使用の兆候を見せる。その場にいた客を含めた全員が身構えたのは、しかし、一瞬だ。なぜなら
静けさが満たす教室の中に、男が先ほどまで座っていた椅子が倒れる音だけが響く。
「はい、内地における理由のない魔法使用、現認。シアちゃん、多分近くに警備の人居るから、呼んで来て?」
「え、あ……え? は、はい」
一瞬の出来事。事態を飲み込めないシアの身体がそれでも動いたのは、指示にはとりあえず従うというある種の癖に近かったのかもしれない。巫女メイド服姿のシアが出て行き、扉が閉まったその音で。ようやく教室内に歓声が響き、賑わいが戻る。
開店直後と異なり、ここに居る客の多くは一般人だ。魔獣とも魔法とも縁遠い彼らだからこそ、目の前で繰り広げられた非日常に異様な興奮を見せる。それこそ、先ほどクレームによって緊張していた雰囲気を余裕でかき消してしまうほどだ。
悪くなった雰囲気を帳消しにする。それこそが、天の狙いだった。
「放せ……って痛い、痛い、痛い、痛い!」
天の下で、男が暴れる。しかし、人体の構造も学んでいる特派員ゆえに、小柄な天でも押さえつけるだけなら難しいことは無い。そうでなくても、最悪、関節をひねってあげれば痛みで集中力が途切れ、魔法も使用できなくなる。
「ほんと、なんであなたみたいな人が居るの……って、ん?」
呆れた目を男に向けていた天の茶色い目が、男が履いていたズボンのポケットから何か紐のようなものが出ていることに気付く。拘束が緩まないよう、天が慎重に取り出してみれば、どこかの会社の社員証のようだ。そこには男の名前と共に会社名、あるいは組織名のようなものが書かれていたのだが……。
――『特殊現象研究会』……? 第三校のスポンサーかな?
天がそんなことを考えていると、シアが特警を連れてくる。男の身柄引き渡しの際、天は「この人が落としましたー」と適当に社員証も渡したのだが。
「ご協力、ありがとうございました」
そう言った特警の顔が一瞬強張ったことを、天は見逃さなかった。
「特殊現象研究会。調べてみる価値はあるかも?」
昨日、体育祭の時に現れたという不審者との関連も考えながら、天は聞きなれない組織名を覚えておくことにするのだった。
相違して連行されていく男に申し訳なさ半分、困惑半分の目を向けるシアが、天にお礼を言う。
「天ちゃん。その、ありがとうございました」
「シアちゃんって結構気弱に見えるもんね。ああやって相手が調子に乗るのも分かる」
「……私、そんなに舐められやすいですか?」
「うん、天人なのにね。でも裏を返せば、親しみやすいとも言うかも。とにかく、お店、頑張って」
「あっ! ちゃんと言って無かったけど、そのメイド服、めちゃくちゃ可愛い! 巫女の感じがシアちゃんにピッタリ!」
「そ、そうですか? 実は私も気に入っていて……えへへ」
嬉しそうに身をよじるシアに、これなら心配ないかと天も胸をなでおろす。
「明日、また遊びに来るからその時に写真撮ろうね、シアちゃ……メイドさん?」
「はい! えっと……お待ちしております、お嬢様!」
普段とはまた違うメイド喫茶ならではの関係性で挨拶を済ませた天とシアは、笑顔で別れるのだった。
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