第7話 もう1人の遺族

 プログラム9番、特別プログラム。明かされた内容は、スポンサー企業の用品を使用して行なわれる対人の模擬戦だった。


「よしっ!」


 運動場で1人拳を握りしめるシアは、張り切っていた。カメラがあり、自分の姿を全国に見せられる。人々に自分の存在を知らしめ、アピールする場にもなるからだ。逆を言えば、下手なことをしてもその醜態がさらされることになる。今日の体育祭は、人々を導く女神になるための試金石になると踏んでいた。


 ――それに、もしかすると……。


 シアと同時期に生まれ、そしてどこかで受肉しただろうに届くかもしれない。自分は元気だと。人々を守る特派員を目指して、頑張っているのだと。に届けば良いと思うシア。


「元気にしていますか、フォルさん」


 白い髪に真っ赤な瞳で愛嬌を振りまく。【歌】と【踊り】を司るその女神は、シアにとっての初めての友達でもあった。

 今でも思い出せる太陽のような笑顔に、シアもつい思い出し笑いをしていると、


「着替えた学生は、もう一度集合してくださーい。競技の説明を行ないまーす」


 教員からの指示が飛ぶ。


「っと。急がないとですね」


 元のジャージの上下を脱いで、半そで半ズボンの運動着姿になった後。秋の寒空に身体を冷やさないよう、急いで試供された黒のジャージを着る。


 ――わっ、軽い!


 肌ざわりと吸汗・吸湿性が売りのスポーツ用品メーカーが出している最新の服は、なるほど。シアが普段着ている安いものと違って、冗談抜きに着ていないような軽さと着心地だ。試供品として貰ってしまうのが怖くなるほどに、高級なものだと分かる。


「……帰ったらタンスの中に大切にしまっておきましょう」


 両親に負担をかけないようにと染み付いた貧乏性を発揮しながら、シアは集合地点へと急ぐのだった。




 対人模擬戦は、仮免許試験の時と同様に行なわれる。400mトラックの内部にある運動場に白線で4つの大きな円を描き、その内部で模擬戦を行なう。集められた学生は各学年を代表する男女16名だ。9期生からは、シア、ザスタの天人両名、魔力持ちの首里しゅり朱音あかね、そして、欠場した天の次点として、超絶技巧の持ち主――常坂ときさか久遠くおんが出場する。上級生からも、天人や魔力持ちを中心に5名ずつが選出されていた。

 衣服に付いても色が落ちる。肌に付着しても問題ない。そんなタレコミの赤い新型ペイントボールを装着したシアは、抽選で決まった対戦相手と相対する。

繰り返すが、シアは張り切っていた。多くの友人を得て望む初めての学校行事。テレビ中継の存在。さらにチラリと遠方を見遣れば、優たちが応援してくれている。それら多くの要因が、シアに今までにない高揚感を与えていた。

 目の前に現れた対戦相手は、シアの知らない人物だ。つまり、かなりの確率で上級生ということになる。


「初めまして、シアです。天人です。よろしくお願いします」


 艶やかな黒髪をさらりと揺らし、折り目正しくお辞儀をしたシア。たとえ相手が上級生であっても、今なら善戦することが出来る自信がある。闘志と呼ぶべきものが、シアを包んでいた。


 しかし。


 シアの目の前に立った女子学生が、口を開く。


「そう。貴方あなたがシアね? 司る概念は【運命】と【物語】で合ってる?」


 シアをただ真っ直ぐに見る瞳は左右で少しずつ色が違う。右目が茶色く、左目が黄色に近い色だ。虹彩異色症こうさいいしょくしょう。あるいはオッドアイと呼ばれる瞳だった。

 どこか神秘性を秘めた瞳に吸い込まれそうになりつつも、シアは持ち前の真面目さで質問に答える。


「え、あ、はい……」

「なるほどね。8月始め。お盆辺り。任務ですぐ近くの調査に6人で行った。それも合っている?」


 決して長くない茶色い髪を短いポニーテールにしながら、女子学生は質問を続ける。


「は、はい」

「そこで1人の男子学生が殉職じゅんしょくした。……合っている?」


 自分は何を聞かれているのか。眉をひそめたシアだが、それでも女子学生の言うことが正しいと頷いて見せる。


「そう……。貴方あなたという天人が居ながら。しかも、仲間を5人も連れて行って。何なら魔力持ちまで連れて行って。魔人3人ぽっちに苦戦した挙句、アタシの弟を殺したのね?」

「あなたの、弟さん、ですか……?」


 女子学生が言っているのは間違いなく、シアが夏休みに優たちと行なった初任務の内容だ。そこで殉職した学生の名前は、西方にしかた春陽はるひ。眼鏡とおかっぱ頭が印象的な男子学生だ。シアが忘れるはずもない。シアを好きになってくれた人で、命を命懸けで守ってくれた恩人で。優と似た理由――姉への憧れを胸に、特派員を目指していた。そんな学生で……。


「あっ……」

「貴方のその愚鈍さ。そのせいで弟は、春陽はるひは死んだ。違うとは、言わせないわ」


 高揚感から一転。まさに冷や水をかけられたように、シアの全身から血の気が引いていく。明るめの茶色い髪を結び終えた女子学生は、左右色が異なる瞳でシアを睨みつける。

 シアはもう、彼女の名前を知っている。なぜなら葬儀の日、西方の両親から義娘むすめをよろしくと言われているからだ。


「仲間に、あまつさえ人間に庇われる。そんな人が天人? 特派員になる? ……笑わせないで。天人は、その身を犠牲にしてでも人間を守らなければならないのに」

「あ、う……」


 言葉の刃が、シアをえぐる。しかも、少なくともシアにとって、女子学生が語る内容は正論なのだ。


「それじゃあ改めて自己紹介ね。アタシの名前はシフレ。7期生。【光】と【勝利】を司る天人。そして、弱い貴方を庇って死んだ西方春陽の義理の姉よ」

「……っ!」


 女子学生が名乗ったその名前はまさに、シアが予想していたものだ。


「ただいまよりー、『特別プログラム』対人模擬戦を行ないますー。天人、魔力持ち、特殊な技を持つ学生による華々しい戦いをー、お楽しみくださいー。出場される皆さんはー、節度ある戦闘をー、よろしくお願いしますー」


 対人実技試験とは違って、勝ち負けを求める模擬戦ではない。あくまでもレクリエーションであることを強調するアナウンスが、運動場に響く。が、


「構えなさい、女神シア。アタシが貴方の甘えを全て射抜いてあげる」


 手元に明るい黄色――中黄ちゅうき色の弓を〈創造〉してシアを見るシフレの両眼には、明らかな敵意が浮かんでいた。

 魔獣でもなく、魔人でもない。人から向けられる正真正銘の敵意に、シアの頬を冷たい汗が伝う。今やシアに正体不明の自信を与えていた高揚感はどこにもない。シアの中にあるのは、ほんの少しの申し訳なさ。そして、自分が西方から貰ったいのちで仲間と積み上げてきた、確かな自信だけだ。

 シフレの言うことは正しい。西方はシアを庇って死んだ。シアが殺したと言っても良い。もしあのまま西方が普通に死んでいたなら、シアはシフレの言葉に打ちのめされていたかもしれない。しかし、あの日、奇跡は起きた。死んだはずの西方と対話をする機会があった。その奇跡的な時間の中で、シアは優と共に西方に誓ったのだ。


『【運命】と【物語】を司るわたくしシアが。あなたの人生を記憶し、あなたの想いを刻みます』


 それは、西方の死という罪を受け入れて前に進む決意。その決意を、西方は笑顔で受け取ってくれた。


 ――見ていてください、西方さん。あなたに貰った命で、私はあなたの憧れを超えて見せます。


 あの日の誓いを、嘘にしないために。一度目を閉じて胸に手を当て、小さく息を吐いたシア。やがて、ゆっくりと濃紺色の瞳を見開いた彼女は。


「よろしくお願いします、シフレさん」


 闘志に満ちた目で、シフレの敵意を真正面から迎えるのだった。

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