第2話 帰省

 「――さん! 兄さんってば!」


 苦い記憶を夢で見ていた優を起こしたのは、対面の座席に座っていた天だった。小柄な体躯、黒髪に金色のマナの影響を受けたのだろう同じ色をした髪がメッシュを入れたように所々混じる。黄色いTシャツにホットパンツという夏を満喫するスタイルの彼女は、髪を揺らしながら兄を揺り起こしていた。

 身長が夢で見ていた失恋相手――春野楓はるのかえでと被り、優が一瞬顔をしかめる。


 「……天か。悪い、どうした?」

 「早く電車降りないと。環状線に乗り換えでしょ?」


 妹のその言葉ですぐに覚醒した優はすぐに荷物をまとめて立ち上がる。ドアが閉まるブザー音を聞きながら、飛び込み乗車ならぬ飛び降り降車をすることになった。


 「内地だからって気、抜き過ぎ」

 「そうだな。悪い」


 普段は大きく丸い茶味がかった瞳を、ジトッとしたものに変える天。そんな妹に謝りながら、優は凝った体をいたわるように大きく伸びをする。

 時刻は朝10時過ぎ。ラッシュの時間を避けたこともあって駅構内の人はまばらだった。そうでなくとも、人口が減った今、かつてのような通勤ラッシュはハブ駅でもない限り中々お目にかかれない。


 「まあそう言ってやるな天。こういう時こそしっかり気を抜かないとな」


 そう言って笑ったのはスポーツバッグを肩から斜めに掛けるのは幼馴染の好青年である瀬戸春樹せとはるき。部活動で焼けた肌にロゴの入った水色の半そでシャツ、ラフなひざ丈のズボンという出で立ち。

 幼馴染なだけあって優たちと地元を同じくする彼も、お盆休みを機に、一度帰省することになっていた。そして、もう1人。


 「――な? シアさん」

 「はい。休憩の大切さは演習でも任務でも、思い知らされました」


 構内に吹く風に踊る艶やかな黒髪を押さえながら、春樹に同意したのはシア。袖口が広く透け感のある白のトップスに、緩くプリーツが入ったネイビーのひざ丈のスカート。彼女だけは日帰りの予定のため、少量の荷物はレザーのバッグにまとめられ、肩にかけられていた。


 「2人とも、兄さんに甘すぎ」


 自身のリュックサックを背負い直しながら言った天が歩き出す。それに続く形で他の3人も環状線への乗り換え口を目指す。


 「シアさんはこの後、お墓参りでしたっけ?」

 「はい。去年は受験で忙しくて、あまりお話しできていなかった気がします。なので、今年こそ」


 それ以外にも、両親の死を“諦め”という形で受け入れていたシア。本当の意味で向き合えていなかったのだと、演習と任務、何よりも西方春陽にしかたはるひの葬式をもって知ることが出来たのだった。

 乗り換え専用の改札を抜け、4人は環状線のホームへ。

 オフホワイトのサマーニットに紺のワイドパンツス、リュックサックを背負う優がホームから空を見上げる。


 「晴れて良かったですね」

 「はい。演習も任務も。大切な日は雨ばかりだったので」

 「そう言われれば、そうですね。きっと神様……雨を司る天人の嫌がらせです」

 「ふふ、運命のいたずらかもしれませんよ?」


 そんなとりとめのない話をしていると、電車がやって来る。長椅子に天とシアが座り、それぞれの正面に春樹と優が立った。ドアが閉まり、電車が動き出す。


 「そうだ! どうせだしこの後みんなでお昼ご飯でもどうだ?」


 そう提案したのは春樹だった。


 「良いな。天とシアさんはどうする?」

 「急いでないし、別にいいよ? もうすぐこの前の任務のお給料も入るだろうし」

 「私もご一緒したいです」


 優の問いに天が答え、シアも頷く。どこで食べるのかという話は選択肢が恐らく市内一である大阪駅周辺に決まる。しかし、お昼ご飯には少し早い。加えて、シアを除いた3人はそれなりに荷物もある。そのため、一度優たちの実家に寄って、荷物を置いておくことにした。




 優たちの地元、大阪市の桜ノ宮さくらのみや駅は、5年前に復活した天神祭りで有名な場所。新興住宅地や大きなマンションが立ち並ぶそこは老若男女問わず“家族”が行き交う、そんな場所だった。


 「「ただいまー」」


 優と天が玄関のドアを開く。けれども声が返ってくることは無い。母親の聡美さとみ、父親の浩二こうじはともに、仕事で外出しているらしかった。

 炎天下、駅から歩くこと10分ほど。そばにある淀川の支流である大川沿いに建つマンション群。そのうちの1つの15階が、優と天の実家だった。

 なお、春樹は駅から3分ほどの距離にあるマンションに住んでいるため、早々に分かれていた。


 「やっぱ居ないかー……」

 「いや、むしろ居たら問題だろ。それ多分、仕事クビになってるからな」


 懐かしい家のにおいをかぎながら、玄関で靴を脱ぐ2人。その先はフローリングの細い廊下と、左右にはいくつかの扉。奥にはリビングが見える。


 「シアさんも上がってー。汗かいたでしょ?」


 天が同伴者――シアを招く仕草をする。時間まで手持ち無沙汰だろう彼女を「どうせなら」と天が誘ったのだった。


 「は、はい。では……お邪魔しますっ」


 友人の誘いに、おっかなびっくりとシアが玄関をまたぐ。第三校に入るまで人付き合いを避けてきた彼女が他人の家に上がるのはもちろん初めて。湧き上がる緊張と高揚から、駅からここに来るまでずっと挙動不審だった。


 「ソファにでも座っていてください。荷物は……あそこに。今、お茶入れますね」

 「あ、いえ、お構いなく……」


 勝手を知った我が家。優はサッと自室に荷物を放り込み、リビングで立ち尽くしていたシアに声をかける。その言葉にひとまず荷物を手近な机に置いたシア。しかし、家の主よりも先に座っていいものかと逡巡する。

 『作法』の言葉でシアの頭は一杯一杯だった。


 「はい、お茶です。麦茶なので好みは分かれにくいと思うんですが。とりあえず座りませんか?」


 ソファの前にある座卓に2人分のお茶を置いた優。借りてきた猫のようになっているシアを、自身が座るソファへと誘う。


 「あ、ありがとうございます。では、お言葉に甘えて……」


 そう言って彼女が浅く腰掛けたことを確認し、テレビとクーラーの電源を入れる。適当に昼の情報バラエティ番組をつけて、一息ついた。

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