第9話 接敵

 内地に帰るまで、協力を申し出てくれた三船美鈴みふねみすず木野きのみどりの女子学生2人。

 しかし、彼女たちの協力を得るにあたって優には確認しておかなければならなかった。


「――大丈夫なんですか? 予め言っておくと、俺は無色です」


 三船と木野がよく行動を共にしている首里朱音しゅりあかねは魔力至上主義者だ。魔力至上主義者にとって、総じて魔力の低い無色は軽蔑の対象でもある。三船と木野も魔力至上主義である可能性は十分にあった。

 そうでなくとも、無色は敬遠されることが多い。実際、優が無色だったことが決定打となり、森で出会った同級生――相原との交渉は決裂していた。

 苦い顔で無色であることを告白した優の言葉に一度顔を見合わせた三船と木野。しかし、すぐに優に向き直る。そして、


「……少なくとも神代優。あなたなら、信頼しても良いと思う」


 三船が眼鏡の奥にある瞳のまなじりを下げて言う。木野も


「私も助けてもらって警戒するとか、そんな恩知らずにはなりたくないよ!」


 茶色いボブカットの髪を揺らしながら、はつらつとした表情で笑う。それぞれが内地までの道のりを共にすると言ってくれ、警戒ではなく笑顔を見せてくれた。


 ――ああ、そうか。


 優は改めて、信頼は行動で勝ち取るものだと実感する。今回は、三船たちを助けられたからこそ、優は彼女たちの信頼を勝ち取ることが出来た。しかし、それは、優だけでは成しえなかったことでもある。


「ふふ、良かったですね、優さん。私もうれしいです!」


 そう言ってくれるシアがいるから魔獣を倒し、彼女たちの信頼を得ることが出来ている。


「シアさんのおかげですね。ありがとうございます」

「えぇっと、私、何かしましたか……?」


 今回と言い、無色を気にしないその態度と言い。目の前の天人には借りを作ってばかりで、なかなか返すことが出来ていない。果たして自分はシアに何ができるのか、優が考えようとしていた時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「み、みみ見つけけた。かみみみしろゆう」


 優の名前を呼んで、木陰からよろよろと姿を見せたのは相原だ。しかし、明らかに様子がおかしい。

 そもそも優が〈探査〉で調べた限り、周囲には小さい魔獣数体とセルを組んでいると思われる人が2人いただけだった。相原が2人のうちの1人だったとして、もう1人はどうしたのだろうか。


「木野さん、早速〈探査〉をお願いしてもいいですか?」

「え? う、うん……」


 きれいに整えられた芝生にも似た若草色のマナが広がって行く。


「神代ろろろ、かかみししろゆううう」


 その間、相原は壊れたラジオのように繰り返し言っては、よろよろと近づいて来る。気のせいかぐちょぐちょと。湿り気を帯びた何かを咀嚼そしゃくするような音も聞こえてきた。


「……あれ?」


 〈探査〉をしていた木野が怪訝そうにしている。自身の嫌な予想が当たっているかもしれない。嫌な汗をかきながら、優は木野に尋ねる。


「どうでしたか? 周囲に人は?」

「うん、えっとね。人は少し遠くに何人かいるけど……目の前にいるのは魔獣で、でも多分うちの学生……だよね?」


 木野が〈探査〉の結果を曖昧に告げた時だ。相原が白目をむき、言葉を発しなくなる。やがてドサッと音を立てながら、相原が受け身も取らずに倒れる。前のめりに倒れた都合見えるようになった相原の後頭部には穴が開いており、暗い空洞になっていた。


「嘘?! 魔獣?!」


 驚きの声を上げたのは三船だ。彼女だけでなく、優も、シアも、木野も。その場にいる全員が、またしても現れたハエの魔獣を見つめる。相原を捕食したらしく、口元を血でべったりと汚したハエの魔獣の身体が膨らんでいく。


「魔獣の、変態……」


 先日犬の魔獣が見せた姿を思い返しながら呟いたシア。彼女の言う通り、ハエの魔獣はまさに今、変態しようとしていた。

 脳みそのようだったしわだらけの身体が割れ、中から肉がこぼれ出てくる。ブクブクと膨張していく肉塊は相原の死体をそのまま飲み込んで糧とし、変異を続ける。

 幸いだったのは、優たちから見て魔獣が内地と反対側――東側にいることだろう。つまり――


「――シア様、神代優。逃げましょう。人を食べた魔獣は格段に手ごわいと聞きます」


 三船が提案したのは逃走。内地へ引き返すことだった。一方で木野は


「人が、頭……? あれ? ――おぇ」


 相原の死に様と魔獣の醜悪さを受けて嘔吐おうとする。優とシアが堪えられているのは、度重なる魔獣との接敵と討伐でグロさというものに多少、慣れてきているからだ。他方、三船は切迫した現状に対処することで精一杯であり、嫌悪感を抱く余裕すらないといった様子だった。


「木野さん、しっかり……」


 嘔吐おうとする木野をかばいながら、三船は優とシアに提案する。


「勾配もなだらかですし、ここからであれば、内地まで30秒とかかりません。そこには先生や先輩方がいらっしゃるはずです」


 魔獣と会った時は逃げるように。先週も今回も、進藤からはそう指示が出ていた。

 しかし、それは、授業であればという前提がある。明らかな異常事態である今は、魔獣討伐の任務と変わりない。求められるのは臨機応変な対応だった。

 どうすべきか。優は考える。三船の言うことも一理ある。前回も、相手にした魔獣は魔法を使った。しかし、その魔獣を倒せたのは進藤が助けに来たからに他ならない。今回もうまくいくと考えるのは、さすがに安直だろう。内地側に逃げるべきか。


 ――だが……。


 ハエの魔獣たちは西――運動場から来ていた。現状、運動場が安全だとは言えない。それにまだ救援が来ていないことも優の中で引っかかる。


 ――進藤先生たちが、まだ蛇の魔獣と戦っている可能性もある、か。


 まだ教員や生徒が魔獣と交戦している可能性がある運動場に、魔法を使えるようになるかもしれないこの魔獣を連れて行っていいのだろうか。

 もしこの魔獣が追いかけてくるなら内地という安全地帯に、魔獣を連れていくことになる。追いかけてこない可能性も考えるべきだ。その場合、今後さらに力をつけた脅威として君臨し、より多くの人々の命を奪いかねない。そう思うと、ここで倒すべきという気もしてくる。


 ――どうする……?


 逃げるか戦うか。優たちが悩むことのできる時間も多くない。魔獣の変態が終われば否が応にも戦うことになる。そうなったときに主力となるのはシアだ。

 先週は緊急事態ということもあって、優が行動指針を決めて、目的のためにシアを一方的に利用してしまった。しかし、今は違う。ほんの少しだけだが、時間がある。たとえシア自身が先週と同じく、指示されることを望んでいるのだとしても。優は人として、きちんと聞いておきたかった。


「シアさんは、どうしたいですか?」


 シア自身の意思と、願いを。

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