第5話 境界線上にて

 時は少しさかのぼり、蛇の魔獣がマナの爆発を起こした直後。天と春樹は、境界線を形作るコンクリートブロックに身を潜め、衝撃をやり過ごしていた。


「春樹くん、無事?」


 天が春樹の無事を確かめる。もし春樹が彼女に手を引かれる形でブロックの影に飛び込んでいなければ、今頃、目端に映る全身が潰れ、ひしゃげた学生のようになっていたかもしれなかった。


「体は大丈夫だ。でも、気分は心底悪い……」


 醜悪な魔獣の見た目に加え、無残な同級生の死体。度重なる生理的嫌悪感に、喉の奥が焼けて熱くなる。それでも、頼れる幼馴染でもあり、想い人でもある天の前で吐くようなみっともないことはしないよう、春樹は必死でこらえた。

 少しでも気を紛らわせようと、春樹が話題の転換を図る。


「……魔獣はどうなった?」

「1体はまだ、先生たちが相手してる。でも他の魔獣たちは全部、爆発の勢いで学校にも森にも飛んで行ったみたい」


 運動場と森の様子を確認している天。彼女に言われたことを手早く整理し、春樹も状況を把握していく。


「『他の魔獣』ってことは、魔獣が複数体居るってことだな。優たちは無事そうか?」

「今は分からない。みんなが一斉に魔法使ってるから、もう、めちゃくちゃ」


 天が言ったみんなというのは、マナの爆発で森に飛ばされた同級生たちのことだ。彼らの多くが、すぐに〈探査〉をして状況把握を図るというセオリーを守ろうとした結果、互いのマナが反発し合い、魔法の質を落とすことになっていた。


「天も……いや、何でもない」

「うん? 変な春樹くん」


 魔力持ちの天であれば、強引に広範囲を探査できる。それで優たちに無事を知らせてみるのはどうか。そう言おうと思った春樹だったが、すぐに思い直す。

 森には魔獣がいて、戦闘が起きているかもしれない。というより、その可能性が高い。もし魔力持ちの天が強引に〈探査〉をするとマナが反発し合い、戦闘中の学生の魔法を阻害してしまう恐れがあった。〈身体強化〉など体内にマナを凝集する魔法はその限りではないとはいえ、〈創造〉が阻害されれば無手で魔獣に挑むことになる。


 ――それが分かっていて、天は〈探査〉をしないんだな……。


 外地にいる学生が仲間との合流や生存確認のために〈探査〉をするならまだしも、ほぼ内地と言える場所にいる天や春樹が、彼らの生存を脅かすわけにはいかなかった。


「兄さんの近くにはシアさんがいるだろうから早々に死んじゃうってことは無いと思う。それに大好きな私の無事を確認しないで、兄さんが死ぬことは無いだろうしっ」

「……本当に、変わらないな」


 どんな状況でもブレない天に、春樹はほっと安心する。また、こうして話しているうちにようやく万全と言っていい状態になってきた。


「……よしっ」


 気合を入れた春樹は、まず運動場を目視で確認する。と、最初に空から落ちてきた蛇の魔獣は四足歩行のトカゲのようになっていた。首にあった飾りも相まって、なんとなく見覚えがあるような生物になっている。確か『ウーパールーパー』だったかと、春樹は母親の昔話を思い出していた。

 とはいえ、複眼が増えていたり、背中に透き通た羽を何枚もつけていたり、足が虫のようだったりとウーパールーパーとは異なる点も多かった。


「校舎も、結構な被害だろうな」

「だね。3年生はご愁傷様って感じ」


 運動場の地面や奥に見える寮のガラスなどは割れ、ひどいありさまになっている。春樹の言葉に頷いた天は、運動場に最も近く被害が大きい寮に住む上級生に静かに手を合わせた。


「……それで、どうする天? オレはまだ、魔力に余裕あるぞ。森にいる奴らを助けに行くか?」


 トカゲの魔獣には、進藤たち大人が相対している。一方、森に散ったという魔獣も多いだろうと春樹は予想している。となると、春樹としては、優をはじめとした友人たちが多くいる森に行って魔獣討伐を手伝いたかった。

 しかし、春樹の提案に対して天は別案を告げる。


「多分、兄さん含めてみんな内地を、というか学校を目指して戻ってくるはず。だから、とりあえずここを安全な場所にしておきたいかも」


 つまり運動場付近にいる魔獣を掃討して、優たち同級生が帰る場所を作ろうというのが天の案だった。少しの逡巡しゅんじゅんの末、春樹は結局、天の案に乗る。


「了解だ。っと、噂をすればってやつだな」


 と、すぐに森からぞろぞろとやって来たのは、いうなれば宙に浮かぶ肉塊だ。何かしらの動物がハエを食べ変態、分裂して増えた魔獣だと思われた。


「優には前の演習で差を付けられたからな。ここらへんで、オレも追いつかないと」


 先週、春樹が倒れている間に、優はシアと協力して魔獣を2体も倒していた。優本人はシアが倒したと譲らないが、間違いなく特派員としての経験を積んだと春樹は見ている。子供たちを守るためだったとはいえ、負傷して早々に戦闘不能になった春樹は煮え切らない思いを抱えていた。


「うん! 私も兄さんの前を走ってあげないと。ちゃんと背中を追ってこられるようにね」


 気合を入れる春樹の横で、天も自然体に構えながら魔獣と、魔獣の背後にある森の様子を確認する。

 見える範囲だけでも嫌な羽音を立てながら浮遊するハエのような魔獣は数えきれない。彼らはマナを補給するために人を襲う。効率よく捕食行動をするために、天をはじめとした魔力の高い人々を襲う傾向にあった。そのせいか、森からは続々と天をめがけて魔獣がやって来ている。


「春樹くん、準備は良い?」


 試すような天の視線が、春樹を射抜く。正直、春樹はこの戦いが魔獣との初戦闘になる。しかし、不思議と、彼の中に緊張感のようなものは無い。それはひとえに、最も頼りにしている存在が隣に居てくれるからだった。

 最後にほんの少しの男としての意地を込めて。


「おう!」


 春樹は頷く。そうして群れを成してやって来る魔獣をめがけて、黄緑色と黄金色の閃撃が何度も振るわれることになった。




「「ふぅ……」」


 魔獣との戦闘が始まって10分ほどが経った頃。


「これで最後っと」


 天が創り出した小さな槍が、ただ浮いているだけだった魔獣を貫く。

 目に見える範囲にいたハエの魔獣を殲滅した天と春樹。途中、何体か大きい個体を相手にしつつも危なげなく事を運ぶことが出来た。

 とはいえ、数が数だ。春樹は自分が思った以上にマナを消費していることを自覚していた。一方の天も、ザスタとの戦闘でマナを大きく消費している。


「結構マナが危なくなってきたな」

「私もあんまり余裕はないかも。学校の中に入った魔獣は先輩たちが相手してくれると思うけど……」


 魔獣は運動場を中心に四散した。そのため、森だけではなく内地――学校側にも多くの魔獣が飛んで行っている。

 それでも、ここは特派員を養成する第三校だ。例え遠征中やインターンシップをしていたとしても、学校に残された上級生と教員が魔獣を討伐しているはず。天はそう推測していた。


「出来れば状況を確認したいところなんだけどな」


 遠目にそのあたりのことを確認できないかと春樹が内地側――運動場を見てみると、いつの間にか進藤たちがいなくなっている。代わりに、黒い砂だけが残されていた。


「先生たちはどこ行ったんだ?」

「進藤さん以外、内地方向に行ったよ? 自衛できる前提の学生たちと、内地にいる人たち。優先順位は言うまでもないって感じ」


 ポケットに入れていた携帯用の給水パウチを飲み干しながら、天はハエの魔獣との戦闘中に見ていたことを伝える。


「自衛って言ってもな……」

「先生たちも特派員だもん。特派員が守る第一目標は自分でも特派員なかまでもなくて、市民だから」


 魔獣と戦う特派員になろうと第三校に来た時点で、ある程度、死の覚悟はできているというのが学校側の認識だった。

 それでも、まだ学生の多くは10代だ。春樹たちなど15、6歳の子供でしかない。自分たち学生を放置しているような教員の態度に、春樹は何とも言えない気持ちになる。


「ん? 誰か来た……って」


 そんな折、初めて南北に走る境界線付近に姿を見せた学生の姿があった。その人物は何かを抱えてコンクリートブロック沿いに歩いて来る。方角は南側だ。

 その学生を識別した天が、心底嫌そうな声を漏らした。


「うぇ、ザスタくんだ」

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