第6話 後悔の証
人型魔獣に身体を噛み千切られたショックか、失血のせいか。
女性は気を失っているものの、かろうじて生きていた。
こうなると、優の中で逃げる以外の選択肢が増えてしまう。
自分の状態も含め、身の程は弁えているつもりの優。
だから彼は、考える。
女性を助けて、自分も生き残るその最善手を。
自分が死ねば悲しむ人が居ると知っている優。そうでなくても人を食べた魔獣は魔法を使うようになり、厄介さを増す。
そうなれば多くの人々を危険にさらすことになる。
自己犠牲など、もってのほかだった。
まず、彼は倒れた女性をつぶさに観察する。
緑の半袖シャツにジーンズ。山を、しかも、外地を歩くにしては無防備。
(そもそも、どうしてこんな場所に?)
優が知る限り、近くにはいくつか人が暮らす人里や町がある。
先々月の外地実習の際にそのうちの1つが壊滅させられたものの、他にもまだいくつか残っていたはず。その住民と考えるのが妥当か。
(いや、違うな。そんなことよりも今は――)
山の緩やかな斜面の雑木林。
決して開けた場所とは言えず、視界も足場も悪い。
女性を抱えて走ること自体は容易にできるだろうが、魔獣が追ってこないわけがない。
そしてそれを振り切ることもできない。
(理想は倒すこと、だろうが……)
明らかに強敵で、初見でもある人型魔獣を単独撃破できるとも彼には思えなかった。
(だが、急がないと、あの人が死ぬ……)
と、魔獣がついに動いた。
優の右側面。
周囲の木々に隠れるように移動していた魔獣が、その間を縫って優に飛びかかる――その前準備として中距離から魔獣特有の黒いマナの塊を放つ。
〈魔弾〉と呼ばれる魔法だ。
魔獣は優という獲物までその射線が通る場所を探していたのだった。
「っく!」
死角となっていた側面からの攻撃。
咄嗟のことで反応が遅れた優は体勢を崩しながらも前に――倒れた女性がいる方向に踏み出すことでどうにか回避する。
移動する度、木の葉の間を縫って視界の端にちらちらと差し込む朝日。
普段は心地よいはずのそれが、今は鬱陶しい程に集中力を削いでくる。
魔獣は〈魔弾〉を使用したそのままの勢いで突進。
先ほどまで優の側面だったその場所は、彼が前に踏み込んだせいで背後になっている。
もちろん優もそうなっていることは知っている。
体勢を崩しながらもすぐさま反転し、〈創造〉で創り出したナイフを手に、左から来るだろう敵を迎え撃つ。
が、数秒経っても魔獣が来ない。
疑問に思う隙も見せないまま、〈探査〉を使用。敵の位置を探る。
――が、
(誰もいない……?)
魔法の範囲内から、女性以外の反応が消えている。
〈身体強化〉のマナを耳に集中させ、鳥の声以外聞こえない。
違う。かなり遠く、優の〈探査〉の範囲外――100m以上離れた場所で地面を踏みしめて走るような音だけが聞こえる。
しかし、いくら魔獣の身体能力が高いとは言え、ほんの数秒でそれほどの距離を移動できるはずがない。
それに、もし逃げるなら、もっと早いタイミングで逃げていたはず。
となると、足音は別の動物か。
(じゃあ、どこに……。考えろ)
考えて、考えて、考える。
生ぬるい夏の風が吹き抜け、木の葉が揺れる。
(〈探査〉をかいくぐる魔法は無かったはず)
“在り方”を規定するマナを利用した、抜群の使い勝手を持つ〈探査〉。
それに反応しないようにする方法は今のところ見つかっていない。
範囲内にいる限り、必ず、その存在は露見する。そう、範囲内にいれば――。
(――まさか!)
そして、優の耳が目の前にあった木の上、魔獣が幹を蹴りつけた音を捉えた。
その魔獣は、もとは人間。特派員の中では魔獣と区別して、「魔人」と呼ばれる存在だった。
彼らは人が使い、自分も使う魔法をよく知っている。
〈探査〉が平面方向には圧倒的な索敵能力を持つものの、意識しなければ、垂直方向にはその索敵の網を広げられないことも。
木の上に潜み、奇襲のタイミングを計る魔人。
(馬鹿なヤツ……)
怪訝な顔で自分を探す若者。
持っているマナは少ないようだが、何も食わないよりマシ。
魔人は静かに少年を見つめる。
と、魔人の想定通りに、少年が〈身体強化〉のマナを全身から耳に集中させた。
(そう、そうだよな。〈探査〉で無理なら、目とか耳で探すもんな)
〈探査〉を含め、魔法を過信するとそうなることもわかっていた。
少し予想外だったのは考え込んでいた少年が、短時間で〈探査〉の欠点に気づいたらしい仕草を見せたこと。
(まあそれでも、もう遅いけどな)
見上げようとした優。
〈身体強化〉のマナを耳に集中させ、体を守るマナが薄くなった瞬間を狙って――魔人は木の上で〈創造〉を使用。
刃渡り60㎝ほどの湾曲した三日月刀――シミターを創り出し、少年の首めがけて振るう。
優が見上げた時にはもう、目の前に黒いマナの刃が迫っていた。
女性を見つけてから1分も経っていない。
ほんの少し前までは、暢気に魔法の練習をしていたというのに。
気づけばここは死地。外地の恐ろしさを改めて実感した優。
(でも、諦めるな――!)
素直に死を受け入れるわけにはいかない。
手で身を守ることも、屈むことも間に合わない。
それでも。
(――魔法なら間に合う!)
イメージすれば、マナはその通りに凝集し、やがて具現化する。
優が想像し、〈創造〉するのは後悔の証――携帯電話。
形だけしかないそれを、刃が迫る首元に創り出した。
刹那、
――カンッ!
響いたのは甲高い金属音。
「お?」
という声は、魔人のもの。
確実に獲ったと思ったその首の前に、透明な何かがあって、それが刃を止めている。
文字通り首の皮一枚つながった優だったが、抵抗もそこまで。
彼は降ってきた魔人に押し倒されてしまった。
……………
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