第10話

 その翌日の昼。

 イオとザクロは、喫茶店へと向かっていた。

 二人の両手には大量の買い物袋。

 近くの店をハシゴして、ザクロに必要なものを買い揃えたのだ。

 なにしろ、コロシアムから出てくる時に彼が所持していたものといったら、文字通り身につけていたものしかなかったからだ。

 ザクロはイオから小遣いと称して金は貰ったものの、とうていそれだけでは足りない。

 当然、この買い物で金を出したのはイオである。

 さすがにザクロが礼を言えば、イオからプスプスした笑いが返ってきた。

 曰く、


 「ペットの面倒を最後までみるのが、飼い主の務めだからな」


 とのこと。

 昨夜イオがザクロに渡した小遣いも、餌代のような認識らしい。

 イオと行動を共にして分かったのは、とにかく必要以上に反抗さえしなければ昨日のよう躾と称した暴力を受けないと言うことだった。

 実際、犯罪奴隷を飼う物好きな存在というのはいる。

 コロシアムでは、死ぬ前にそうして姿を消した者も何人か知っている。

 金さえ積めば、犯罪奴隷を手に入れることが出来るのだから。

 消えた犯罪奴隷のそのあとのことは、噂程度でしか知らないがろくな末路しか聞かなかった。

 その点で言うなら、ザクロはとてもいい飼い主に恵まれたと言えるだろう。

 小遣いとして金を出し、必要なものを買い揃えるために金を出してくれる。

 正直、小姓扱い、夜の相手として求められることも考えたが、そんなことをする変態の部類とも違った。

 イオの頭のネジが外れているのは、どうやら命のやり取りにおいてのみらしい。

 その一点に限り、イオは馬鹿になるのだとザクロなんとなく察してしまった。

 というのも、昨日の、コロシアムでの殺し合いの時に見せた威圧がほとんどないのである。

 それが出てくるのは主に躾の時だけなのだ。

 この買い物の最中も、至ってイオは普通だった。


 「昨日な、スーツの人と約束したんだよ」


 弾んだ声で、横を歩くイオが言った。


 「お前に勝てたらご飯奢ってくれるって。

 ついでだから、お前の分も奢ってもらおうぜ!」


 「スーツの人?

 知り合いじゃないのか?」

 

 「帝国に来て知り合った人だから知り合いだな」


 妙な言い回しでイオが答えた時、背後から怒鳴り声が響いた。

 イオはうるさいなぁ、と思いながら歩を進める。それは、ザクロも同じだった。

 ただ、なにを騒いでるんだ? と思わなくもなかったが、腹もへったし荷物も重いので早くイオが言う喫茶店に行って休みたかった。


 「無視すんじゃねぇええええ!!!!」


 一際大きな声が、やはり背後から聞こえた。

 同時に、妙な気配。

 イオとザクロはそれぞれ歩道の左右へと余裕をもって移動した。

 すると、それまで二人が並んで歩いていた歩道の中央を勢いよく火の玉が飛んでいった。

 火の玉は、しばらく飛んで破裂してしまう。

 それを見て、イオが呟く。


 「帝国って街中で魔法使っていいのか」


 その呟きが聞こえていたのか、のんびりとザクロが答えた。


 「んなわけねーだろ。市街での攻撃魔法の使用は禁止されてる。

 当然、刃物の使用もな。

 というか、戦闘行為そのものが禁止。

 ましてやここ帝都だぞ。国の中心。治安は良い方だったはず。

 まあ、俺がぶち込まれている間にルールが変わった可能性もあるけどな」


 そんな治安がいい国の中心に、犯罪奴隷を囲って殺し合いをさせる教育や倫理的に非常に悪い施設があるのはどうなんだ、イオはと思ったが口にしなかった。

 矛盾なんてどこにでもあるからだ。


 そして、二人がまた歩き出した。

 当然のように後ろは振り返らない。

 イオは、携帯端末を取り出すと地図アプリを起動する。

 と、今度はあからさまな殺気。

 面倒くさそうにイオが立ち止まり、携帯端末の画面を一度確認して、背後を振り返った。

 そこには、男女数人がこちらを睨みつけていた。

 今しがたの魔法の使用によって、たまたま居合わせたであろう一般人達が遠巻きに、しかし携帯端末を片手にこの光景をさつえいしながら成り行きを見守っていた。


 「なんでお前がここにいる!!」

 

 睨みつけている男女、その中の一人である少年が声を荒らげて言ってくる。

 どこかで見た気もするし、そうではなかった気もする集団である。

 イオは、首を傾げながらもその少年を見た。

 よくよくみれば、その男女の集団はほぼほぼイオと同年代くらいの者で構成されているようだ。

 コスプレと勘違いされそうな格好をしているところから考えるに、冒険者なのだろう。

 人数は十数人。

 その中で、年長者らしき者が四人居た。

 四人の中の一人が、声を荒らげた少年の肩に手を置いて、脇にやる。

 そして、集団の前まで出るとザクロに向かって声を掛けてきた。


 「久しぶりだな、ザクロ」


 イオはザクロを見る。

 物凄く嫌そうな顔をしていた。

 どう嫌そうかと言うと、そこに台所に蔓延る黒光りする虫がいるにも関わらず、知らずに素足で踏み潰し、その踏み潰したものの正体を知った時のような顔だった。


 「知り合い?」


 面白い顔するんだなぁ、と思いながらイオがザクロに訊ねる。


 「コロシアムにぶち込まれる前、一緒に仕事してたことがある」


 遠回しな言い方だった。


 「ふむ。つまり、元飼い主さんなわけだ。

 えーと、元飼い主さん、ザクロに何か用ですか?」


 名指しで声を掛けてきたからには、何かしらザクロに用事があるのだろう。

 そうであるなら、今の飼い主たるイオにも口を挟んで事情を聞く権利くらいはあるはずだ。

 そう考えて、イオは嫌そうなザクロの代わりに答えたのだが、返ってきたのは無視だった。

 どうやらイオのことは眼中にないらしい。

 ザクロの元飼い主らしい青年が、再度ザクロへと声をかける。

 仕方ないなぁ、とイオは携帯端末を操作しはじめた。


 「お前、どうしてここにいる?」


 「…………」


 ザクロはやはり心底嫌そうな顔をして答えない。

 ザクロと青年の間に睨み合いとともに、微妙な空気が流れる。

 そんな中、イオが携帯端末を耳に当てなにやらモソモソと独り言を呟いたあと、爆音でその動画を流し始めた。

 それは、昨夜動画配信サイトに投稿されたニュース動画だった。

 ニュースキャスターが伝えるのは、昨日のコロシアムでの一件である。

 それは一分にも満たない動画だった。

 しかし、ザクロの現状を伝えるには十分である。

 動画を流し終えたイオが、呆れた口調でザクロに話しかけ、イオを無視した青年と、その今のお仲間らしき少年少女達に大きな声で言った。


 「ニュースくらい見ろよ、遅れすぎ」


 そのイオの表情は、明らかにザクロの元仲間達を馬鹿にしていた。

 うっすらとだが、青年の表情にもイラつき浮かぶ。


 「ま、そういうわけなんで。

 ザクロは今現在、ここにいます。

 よし、じゃあザクロ早く店行くぞ!

 ビーフシチューとプリンアラモードが俺を待ってるんだ!!」


 イオが言うだけ言って、さっさと青年達へ背を向けて歩き出す。

 ついでに、グイグイと昨日のようにザクロの腕を引っ張った。

 途端に、青年によって脇に追いやられていた少年が怒りのまま、攻撃魔法を放った。

 また同じ火の玉である。

 今度はイオが面倒くさそうに、引っ張っていたザクロの腕を離して彼を、とん、と軽く押すようにして突き飛ばした。

 軽く驚いた表情を見せるザクロには構わず、イオは直ぐに向かってくる火の玉に振り返り、握りこぶしを作ると、それを殴り飛ばした。

 殴り飛ばされた火の玉は、青年達へ向かっていき、弾けた。

 キャーキャーと悲鳴が上がるのを背中で聞きながら、イオは突き飛ばしたザクロを見た。

 そして、


 「よし、ビーフシチュー食べに行くぞ!!」


 いい笑顔でそう言ったのだった。

 そして、ほぼ同時に遠くからパトカーと救急車、そして消防車の三つのけたたましいサイレンが聞こえてきた。



***



 「え、えー!!??」


 約束していた喫茶店にて、人懐っこい方のサラリーマン――ヴァンは少し遅れてやってきたイオから、ほんの数分前の出来事を聞いて、驚きの声を上げた。


 「手、大丈夫??」


 色々突っ込み所はあるが、やはり心配すべきはそれだった。


 「全然大丈夫じゃないですよ。火傷したんでめっちゃ痛いです」


 ほら、とヴァンとサインを強請ったサラリーマン――アーサーにグロテスクな傷を見せた。

 すると、意外にもザクロが怒った声を上げた。


 「言ってる場合か、この馬鹿!!」


 ヴァンとアーサーは、傷のグロテスクさに顔を青ざめさせてしまう。

 ザクロが怒鳴って、厨房へ声をかける。

 ほどなくしてやってきた店員へ直ぐに救急車を呼ぶよう頼む。

 それに続く形で、アーサーとヴァンがハサミとバケツに氷水を張って持ってくるよう頼んだ。

 ほかの客もざわつき始める。

 しかし、それに待ったを掛けたのは他ならないイオである。


 「いやぁ、すみません。騒いじゃって。

 救急車はいらないですよ。

 皆さん、大袈裟ですって。たかが火傷じゃないですか」


 「たかがどころの騒ぎじゃねーだろ!」


 「大丈夫! 肉食っとけば治る」


 「治るかボケっ!!」


 どこまでもマイペースなイオに、躾も恐れずザクロが怒鳴る。

 さらにアーサーが苦笑しながら、続ける。

 その顔はまだ少し青い。


 「火傷って結構怖いんだよ。ちゃんと病院で処置してもらいな」


 ヴァンも頷いている。

 

 「仕方ないなぁ。ザクロ、これホテルの俺の部屋の鍵。

 俺の部屋に行って、昨日お前と戦った時に飲んでた赤い水筒あるだろ。

 あれ持ってきてくれ。ついでに、寝間着用に使ってるジャージも。

 寝間着用のヤツは、昨日着てたのとデザイン一緒でベッドの上にほん投げてあるから」


 「は?」


 「ほら、急ぐ急ぐ」


 この喫茶店とホテルはとても近い。

 なんなら、店を出れば建物が見えるくらいなのだ。

 ザクロはイオから部屋の鍵を受け取って、言われるまま走った。

 ザクロの背中を見送って、イオはヴァンとアーサーに説明する。

 ちょうどザクロと入れ替わる形で、店員がバケツに氷水をいれて持ってきてくれた。

 そこに手を突っ込んで、イオは説明する。


 「水筒にはオリジナルブレンドした特性回復薬がはいってるんです。昨日の残りですけどね。

 ジャージの方にもそれ系の加工がされてて、寝間着用の奴には疲れをとってくれる効果も付与されてるんです」


 「オーダーメイド?」


 アーサーが興味津々に尋ねる。


 「まぁ、そんなところです。

 卒業祝いに恩師がオリジナルブレンドのレシピを、師匠がジャージをくれたんです。

 昨日ザクロとの死合のときに着てたのは、戦闘用の加工がされてるんですよ」


 言いながら、本当はこのレベルの火傷だとこの対処は逆効果になる可能性もあるのだけれど、ヤボなことは言わないでおいた。

 イオは頭の方はかなりのポンコツだが、空気を読むくらいの能力は備わっているのだ。

 そうこうしていると、喫茶店の店長まで出てきて、本当に救急車は呼ばなくていいのか、と心配そうに聞いてきた。

 イオが丁重にそれを断って、事情を説明していると、息を切らせたザクロが戻ってきた。

 

 「お、ありがとう」


 バケツから手を出して、ザクロから水筒を受け取ると蓋を開けて口を付けた。

 この際なので、コクコクと喉を慣らして特性回復薬を飲み干す。

 すると、まるで時間を巻き戻すかのように、イオの腕の火傷が治っていく。

 それからジャージを受け取ると、店員へトイレの場所を聞いてジャージへ着替えに行く。

 やがて、寝間着用として使っているジャージ姿になって戻ってきたイオをザクロは捕まえるや否や、顔を赤くしつつ動揺と驚きを隠せずに、アーサーやヴァンには聞こえないよう気をつけつつ、鋭く聞いた。


 「お前、下着くらい片付けておけよ!

 つーか、女なら女って言え!!」


 「あ、脱ぎ散らかしてそのままだったわ。悪い悪い」


 イオは全く悪びれることなく、そう返した。

 それから、再度店側に騒ぎになったことをイオは詫びて、四人揃って席についた。

 そして、いよいよ待ちに待った食事の時間となったのだが、注文した料理が運ばれてくるまで、そして運ばれて来てからも、ザクロが不思議そうにヴァンとアーサーを見ていたのだ。

 そのことに気づいたイオが、咀嚼していた料理をごくんと飲み込んで訊ねた。


 「どした?」


 「いや」


 そう言いつつも、ザクロの食事は進まない。

 まるで喉に魚の骨でも刺さって、とれそうで取れない、そんな顔をしていた。

 やがて、ザクロがヴァンとアーサーへ言葉を投げた。


 「……変なこと聞くが、どっかで会ったことあるか?」


 それに、二人が驚いた顔になる。

 しかし、アーサーがすぐにふっと微笑んで、しかしキッパリと言い切る。


 「いいや、君とは初めてだよ。な? ヴァン??」


 「あぁ、奴隷王さんとは初対面だ」


 「そうか、なら勘違いだな」


 ザクロもさっさとそう結論づけて、止まっていた食事の手を動かし始めた。

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