第7話

 奴隷王ことザクロは、犯罪奴隷となってからは誰でもそうなってしまうように諦観を抱いて生きてきた。

 だからか、コロシアムの殺戮ショーでは相手をわざと怒らせたり、逆に感情的になったりしてみせてきた。

 その方が、観客の反応が良いからである。

 特に感情的になったと見るや、対戦相手は油断するのである。

 御しやすい、と。

 その実、ずっとザクロの頭は、心は冷えきっていた。

 唯一の家族であった母は何者かに殺され、生き甲斐を奪われた。

 それだけではなく、仲間だと信じて疑わなかった連中から裏切られた。

 やってもいないことをやったと、証言された。

 そうして、彼の子供だった部分も、普通に他人を信じるという思考も踏み躙られ、壊された。

 せめて、仲間の裏切りが無かったなら、今ここで彼がイオのわかり易すぎる挑発に乗ることもなかったかもしれない。

 ザクロは苛ついていた。

 挑発にではなく、イオの瞳に映る輝きに、溢れんばかりの自信に、どうしようもなく苛立ちを抑えることが出来なくなっていた。

 イオの真っ赤な瞳に映るのは、今現在の楽しさと未来への希望だったからだ。

 キラキラとした、幼い子供なら誰しもが瞳に宿しているだろう眩いそれ。

 その輝きが彼を苛立たせていた。

 言葉にこそしなかったが、内心で、あんなことが無ければ自分だってイオのように人生を謳歌していたはずなのだ。

 それを見せつけられ、現実を突き付けられてしまった。


 「調子に乗るなよ、糞ガキがぁぁあああ!!」


 だからこそ、挑発に乗ってしまった。

 額に青筋を浮かべ、剣を手に一気にリングの上を走り抜ける。

 そして、あっという間にイオの眼前まで来ると、何度も何度も切りつける。

 イオはイオで、腕で顔と頭を守る。

 そしてそのまま、ザクロの勢いに押されるまま後退していく。


 「アハハ、楽しい! これこれ、良いねぇ良いねぇ!!」


 負けずとばかりにイオは叫んで、後退をやめる。

 その場に留まり、ザクロの斬撃を受け続ける。

 しかし、加工のお陰でジャージはおろか、その腕にすら傷一つついていない。

 と、一瞬斬撃がやんだ。

 かと思うと、イオに腹に衝撃。

 加工され、防御力をあげたジャージと特性ドリンクのお陰で痛みこそないが、衝撃は防ぎきれなかった。

 今度はイオが吹っ飛んでしまう。

 ロープに当たり、バウンドしてリング上に倒れ伏してしまう。

 観客席では、少しだけ残念そうな空気が漂う。

 それは、『あー、今回も奴隷王の勝ちか』という空気だった。

 しかし、その空気が漂った数秒後、すでに奴隷王が挑発による熱から冷めようとしていた時に、それは起こった。

 ゆっくりと、イオが立ち上がったのである。

 そして、


 「なんだ、王様の名前は伊達じゃないんじゃん」


 笑顔。

 ここで、奴隷王ことザクロは久しぶりに動揺した。

 イオが立ち上がったことにではない。

 イオが、余裕しゃくしゃくで、言葉を発したことでもない。

 ただ、楽しそうな笑顔を浮かべたことに、動揺したのだ。

 自信家でプライドがあればあるほど、己の力を世の中に示したい者ほど、何よりも負け知らずの者ほど一度こうして足をついてしまうと、逆ギレを起こすものなのだ。

 それは今までの世界の狭さを知ることでもあるからだ。

 現実を否定し、それまで生きてきた過去、つまり今までを肯定するために逆ギレを起こす。

 今を怒りで否定する。

 少なくともザクロがこのコロシアムで出会ってきた挑戦者たちは、全員が全員そんな性質を持っていた。

 酷いと、イカサマだと喚く始末であった。

 イオのような、未来に対する希望しか抱いていない歳頃なら、尚のことだ。

 ザクロに挑戦してきた挑戦者達の殆どが、それまでの歳に挫折を味わうことなく、神童だの天才だのと賞賛されてきた者たちばかりだった。

 人格を形成する途上で、年上を負かし、チヤホヤされてきた者たちばかりだった。

 逆ギレこそしなかったものの、初めて知る悔しさに泣く者だっていた。

 イオは、その誰とも違った。

 ただ、楽しそうに笑って真っ直ぐにザクロを見ている。


 (あぁ、なるほどイカれてるのか)


 吹っ飛ばされたことも、リングに足をついてしまったこともイオにはダメージになっていないようだった。

 ザクロの表情こそ、無感情だったが内心は動揺していた。

 イオは、ザクロとの距離があるうちに赤い水筒に口をつける。


 「んじゃ、今度はこっちの番だな!」


 酷く楽しそうに、イオが突っ込んできた。

 何がイオをイカれさせたのか、そんなことザクロは知らないし知る術もない。

 わかるのは、イオがただただこの殺し合いを楽しんでいる頭のおかしい野郎だということだ。

 勝つことが目的ではなく、戦うこと、そしてもしかしたらだが、命のやり取りでしか味わうことの出来ない危険スリルを楽しんでいるのかもしれない。

 先程の斬撃も、今しがたの蹴りも。

 その何もかもを楽しんでいるのだ。きっと。

 ザクロはそこに、イオに対する恐れを抱き始めた。

 それは、未知に対する恐怖だ。

 理解することは出来ない。理解できた瞬間に、その未知の何かに己を侵食されるかもしれないという、恐怖。

 得体の知れない赤い化け物。

 それが凄まじい勢いで距離を詰め、ザクロへ拳を叩きつけてきた。

 今度はザクロが圧され始める。

 それを剣を一閃させて、はらおうとする。

 しかし、今度はその剣をイオが止めた。

 手で、止めた。

 イオが、ぎゅうっと剣を握った手に力を込める。

 ザクロの表情が驚きで染まる。

 その間にも、観客からの歓声はやまない。

 イオの、剣を握った手から血が流れる。


 「ありゃ、量が少なかったか」


 ぽたぽたと自分の手から落ちる赤い雫を見ながら、イオが呟いた。


 「なんなんだ、何なんだよ、お前?!」


 自分から怪我をしにきた。

 否、怪我をすることすら厭わずに刃物に触れてきた。

 そのことが、ザクロの瞳にイオを理解できない化け物として映してしまう。

 

 「俺?」


 ピシッと、コロシアムの運営から支給された剣に皹が入る。

 それは、まるでガラスに衝撃を与えた時にできる蜘蛛の巣上に広がった。


 「さっきも言ったじゃん、俺はーー」


 イオの言葉の途中で、パキンっと剣が折れてしまう。

 さらに笑みを深くして、イオが今度は膝をザクロの腹へと叩き込みながら、続けた。


 「外国からきた冒険者だよ」


 さらに、回し蹴りをザクロへ食らわせる。

 回し蹴りは、ザクロの側頭部へヒットする。

 吹っ飛ぶかと思われたザクロだったが、しかし、少しだけリング上を転がっただけで、腹を撫でながら立ち上がった。

 

 「なるほど、取り敢えず、この国の人間じゃないってことだな」


 自分に言い聞かせるように呟いて、ザクロは折れた剣を投げ捨てる。

 

 「お、なになに、俺に合わせてくれるのか?」


 ザクロが拳を握って、構える。

 そして、先程の蹴りで折れてしまった歯をぺっと血の混じった唾液とともに吐き出す。


 「剣が折れたからな」


 「理由がどうあれ、嬉しいねぇ。俺基本殴る蹴るしかできないから」


 そして、激しい拳の打ち合いが始まった。

 しばらく、両者どちらも譲らずに拳を叩きつけていた。

 しかし、それは唐突に訪れた。

 ザクロの放った渾身の一撃が、イオの顔にヒットする。

 イオも同時に拳を放ったものの、外れてしまう。

 そして、イオが吹っ飛んだ。

 吹っ飛んだイオは、リングのロープに引っかかる。

 でも、すぐに顔を、殴られ腫れた顔をザクロに向けて、突っ込んできた。

 その顔にあるのは、やはり楽しそうな笑み。


 「今のは、効いたぜ。

 でも、俺の方が、強いんだからなぁぁあああ!!」


 いつしか取れていた敬語。

 本来の口調で、イオは叫んでまたも拳を叩き込む。

 しかし、防がれてしまう。

 それを見計らって、イオは自分の拳を解いて、防いだザクロの腕を掴んで遠心力をつけてぶん投げた。

 投げた先は、観客席を守るあの見えない壁。

 一瞬、何が起きたか把握出来なかったザクロは、次の瞬間には電撃の餌食となっていた。

 バリバリバリバリっ! と雷のような光が走る。

 やがて、それが収まるとコロシアムは葬式のように静まり返っていた。

 どこからともなく、感電し、リング外の地面に落ちたザクロへ担架をもった救護班が駆けつけてきた。

 数秒の間を置いて、イオの勝ちが宣言された。

 紙吹雪が舞い、始まりとは比べ物にならない程の観客の声が響く。


 「っしゃー!! 勝ったー!!」


 イオのガッツポーズが、当然ながらライブ中継された。

 さらに奴隷王を負かした、異国からきた少年のニュースは速報となって、地上波、ネットを駆け巡ったのだった。 

 

 それから様々な手続きをして、何とか生きていたザクロを引取りに向かった。

 さすが帝国の技術というべきか、イオが引取りに言った時には意識こそ無かったものの、傷は癒えていた。

 服は地味な物へと着替えさせられていた。


 その場でイオが引取りに関する最後の書類をチェックして、サインをした時に、ザクロの目が覚めた。

 ぼんやりとしているザクロを横目に、受け付けの人がイオにも治療を勧めてきた。

 勝者はタダで受けれると聞き、イオは遠慮することなく治療を受けた。

 そして、コロシアムを出る。

 外はすでに夕焼けで染まっていた。


 「で、俺を連れ出して何をさせる気だ?」


 「あれ? 言ってなかったですっけ?」


 「聞いてない。運営側からは負けたら今回の挑戦者であるお前の私物になる、としか聞いてない」


 そんなザクロの言葉を受けて、イオが闘技大会のことを説明しようとした時に、気づいた。


 「あっ! そうだそうだ!

 善は急げです!

 ほら、はやく行きますよ!!」


 「は?! 行くってどこに」


 ザクロの腕を引っ張って、イオは闘技大会の受け付けを済ませるために歩き出す。

 グイグイと引っ張られ、戸惑ったままザクロはイオに着いていく。

 というか、着いていくことしか出来ないのだが。

 

 「つーか、その言葉遣いやめろ!

 気持ち悪いんだよ!!」


 「丁寧な言葉、嫌いなんですか?」


 「そうじゃなくて、さっきのコロシアムの時の方が、あー、砕けた言葉の方が馴染みがあるんだ」


 「つまり、タメ口でいいと」


 「そういうことだ」


 イオが足を止め、ザクロを振り返る。


 「分かりました」


 イオは苦笑を浮かべ、少しだけどこか遠くを見る目をして、その血のように赤い瞳にザクロを映した。

 そして、先程までの殺しあってた時のような笑顔ではなく、年相応の無邪気さを宿した笑顔をイオはザクロに向けると、


 「とりあえず、急ぐぞザクロ!」


 そう言った。

 そして、またグイグイとイオはザクロの腕を引っ張る。


 「だから、どこに行くんだよ!」


 そうして、道すがらイオはこの国にきた理由を、闘技大会のことを説明した。


 「つまり、一人だと参加できなかったから俺に勧誘目的で挑戦したと」


 「そういうこと」


 「で、ついつい、戦うことのほうが楽しくなってぶちのめしてくれた、と」


 「そうそう、それそれ、それな!」


 ザクロは、大きなため息を吐き出す。


 「お前なぁ、俺が死んだり、逆に殺されてたらどうするつもりだったんだ!」


 「そしたらそこで終わりだろ?」


 何言ってんだお前、とイオはザクロに向けて不思議そうな顔をする。


 「そうだけど、そうじゃねぇよ」


 「?」


 心底不思議そうなイオの顔を見て、ザクロは悟る。

 イオには何を言っても無駄なのだと。

 でも、これだけは聞いておかねばと思い、口を開いた。


 「お前、連れ出した俺に殺されるとは思わなかったのか?」


 「帝国もそうだけど、犯罪奴隷が半永久的に主人に逆らえないのはどの国も同じだから」


 言って、イオはザクロの首と両手首にある首輪と枷を見た。

 

 「俺がその枷の設定をやり直して、俺を殺さないようにすればいいだけだし」


 「……なら、ついでにもう一つ教えろ」


 「なに?」


 「俺がお前について行かないって言ってたらどうしてた?」


 「ザクロの耳と尻尾剥ぎ取って、コロシアム運営にクーリングオフだった」


 イオは即答した。

 なんだそりゃ、とザクロは呆れる。


 「はっ、結局体目的ってわけか」


 「そうだけど、不都合か?

 悪い話じゃないと思うけどな」


 「どういう意味だ」


 「闘技大会で優勝すれば、個人個人の願いを王様が叶えてくれるんだぞ。

 それこそ、お前は犯罪奴隷っていう身分から一般人になれるだろ。

 汚れまくってる経歴すら、書類上はなかったことにできる。

 お前が望むなら、真っ白にできる。文字通り、漂白できる。

 ちゃんと規定読み直して、過去の大会のことについて調べたら実際そんな例も出てきたからな、不可能じゃない」


 「お前、本気で言ってるのか?」


 「本気だ。本気で言ってる。

 あとは、うん、犯罪奴隷になってからのことはともかく。

 なんとなくだけど、犯罪奴隷になる前のお前は人を殺せなかったんじゃ無かったかなって思ってさ。

 ま、ただの想像だけど」


 「なんで、そう思った?」


 「だから、なんとなく」


 夕陽が沈んで、闇が広がりつつある。

 それでも、その微かな太陽の残光に照らされたイオは、自信満々に言い切ったのだった。

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