第4話

***


 この世界は狂っている。

 彼がそう知ったのは、彼がいた世界、所謂コミュニティと呼ばれる小さな小さな人間の集まりの世界から裏切られ、追放され、でっち上げによる冤罪によって、この頭のおかしな舞台に放り込まれた時だった。

 殺し合いが日常で、毎日毎日誰かが死んでいく。

 生き残るには、誰かを殺していくしかない。

 そんな巫山戯た、クズ共の作った舞台。

 その舞台に、彼は立っていた。

 プロのスポーツ選手であったなら、野次も歓声も流すなり受け止めるなりしただろう。

 しかし、今の彼はこの世で最も忌むべき罪のひとつを犯したとされる囚人であった。

 母譲りの狼の耳に、自分の感情に合わせて動く尻尾。

 顔こそ父似らしいが、彼の父親は彼が生まれた時にはすでに土の下で眠っていたので本物を見たことは無かった。

 現像した写真なら何枚かあったけれど、とくに感慨もなく眺めた記憶がある程度だ。

 

 古くは亜人と呼称され、今では人狼と呼ばれる、彼は、そんなわけで母子家庭であった。

 お涙頂戴の三流ドラマのような、生活が苦しかったという記憶は不思議なほどない。

 おそらく母が冒険者であり、死ぬまでそれなりに稼いでいたというのもあるのだろう。

 死ぬまで。

 そう、彼の母も、もうこの世にはいない。

 彼が殺したとされているからだ。

 もちろん、そんな事実はない。

 しかし、ろくに調査もされずにこの件は彼が生活苦によって母を殺害したということで結論付けられてしまったのだ。

 それも、彼の犯行を決定づけたのは、他ならないかつて彼が仲間と呼んだ存在達の証言によるものだった。

 

 母子家庭で、そこそこの生活は出来ていた。

 帝国には義務教育もある。

 当人にその意思と勉強する気さえあれば、それこそ大学にだって進むこともできるくらいには、帝国は豊かだ。

 でも、少しでも早く稼ぎたい、稼げるようになりたいという彼が選んだのは、母とおなじ冒険者フリーランスだった。

 この職業が、収入が不安定であることを彼は知らなかったのだ。

 皮肉にも母が稼げているのだから、自分も出来る、少しは家にお金を入れられると安易に考えていた。

 もちろん、この安易な考えは今は亡き母によって諭され、改めることになったけれど。

 だから、冒険者になるのは高校卒業まで待つことになった。

 母の勧めで大学に行くためだ。

 奨学金という借金は、出来れば避けたかった。

 なので、高校を卒業したら一年間必要経費を稼いで、それから大学に行くつもりだった。

 もちろん、並行して苦手な勉強だって頑張った。

 目標金額も、あと少しで貯まるはずだったのだ。

 しかし、母が何者かに殺害され、その罪を着せられ、今やこんな気の触れたとしか思えない舞台の上に立っている。


 「人生、なにが起きるかわかんねーよな、ほんと」


 イラつきで、彼は吐き捨てる。

 この舞台に立って、王様だなんだと面白半分の呼称をされるようになって、今年で二年目だ。

 本当だったら今頃、夢を掴んで大学に通っているはずだったのに。

 今や生き延びるために、本当の人殺しとなってしまった。

 自国他国問わず、本当の殺人事件を犯してしまった人間たちを、自分が生き残るためだけに殺す日々。

 早く頭がおかしくなってくれればいいのに。

 そう考え始めてもうどれくらい経ったのだろう。

 こんな狂った世界、狂った箱庭の中で死ぬまで、殺されるまで、殺し続ける日々。

 どうしてこんなことになったのか。

 そんな問すら、もう出てこなかった。

 それでも、彼は、毎日毎日声を荒らげてしまう。

 この狂った、あたまのおかしいとしか思えない舞台に立つ度に、声を荒らげてしまう。

 叫んでしまう。

 こんな地獄絵図を、わざわざ金を払って見に来ている観客馬鹿どもに向かって。

 犯罪奴隷は、一般人を害することは出来ない。

 やろうとした瞬間に、首輪と手枷に仕込まれた術式が発動して僅かなショックを与えられ行動不能になるからだ。

 でもそれは行動不能になるというだけで、死ぬわけではない。

 しかし、逆は違う。

 一般人は、正当防衛として行動不能になった犯罪奴隷へ暴力を働いたとして、その結果殺してしまったとしても、それは罪にならない。

 毎日毎日、彼は舞台に立つ度に声を荒らげて、叫んで、そして挑発する。

 観客を挑発する。

 憤慨した誰かが、彼を殺しに来てくれることを願って、それを繰り返す。


 「ピィピィうっせぇな。このクソ共がっ!!」


 殺し合いの会場に放たれた、コロシアムの運営がどこかから買ってきて、そして飼っている魔物。

 襲ってきたそのうちの一匹を、父母どちら譲りなのかはわからない、もしかしたらこの二年のうちに身につけ、磨いた技で彼はその魔物を蹴り飛ばした。

 魔物は、場外にまで吹っ飛んで、観客を守る透明な壁に阻まれて電撃をくらって丸焦げになってしまった。

 歓声が上がる。

 野次が響く。

 胸糞が悪い。

 

 しかし、自ら諦めて魔物餌になることは許されない。

 そんなことをしようものなら、手枷か首輪か、そこに刻まれている術式が発動して昏倒させられ、割り振られている部屋へ強制送還の後、運営が派遣してきた飼育係によって手酷い折檻を受けることになる。

 死ぬことすら自由に出来ない。

 でも、娯楽として同じ犯罪者を、犯罪奴隷を殺すことは許されている。

 中には例外もあるが。

 この、【酒池肉林パーティー】と呼ばれる演し物は、見ての通り、襲い来る魔物と戦うか逃げるかという、それだけのものだ。

 しかし、金はかかっている。

 いや、この【酒池肉林パーティー】だけではない、毎日日替わりで様々な殺しのショーが行われている。

 舞台装置にも金をそうとうにかけているらしい。

 あれは、去年の真夏の頃のことだ。

 その時は水を引き込んで、わざわざ海戦の真似事をさせられたこともあるのだ。

 海戦、とあるように何百年前に実在したというガレオン船をそこに浮かべて、海賊の格好をさせられて、本当にいったいどこで仕入れてきたのか疑問がつきないクラーケンと戦わされもした。

 あれは結構人気だったらしいが、クラーケンを彼がぶっ殺してしまい、次のクラーケンが用意出来なかったため、今では伝説となっている。

 今のところ再演の予定もない。


 結局、この日も彼は生き物を殺して、場合によっては同じ囚人も殺して、生き残った。

 彼は死を待っていた。

 彼を殺してくれる、死を待っていた。

 でも、どんな魔物も、この舞台の外でどんなに活躍した悪者ですらも、彼を殺すことは出来なかった。

 出来ないでいる。

 毎日の食事にでも、ほかの囚人が妬みや僻みで毒でも入れてくれやしないかとも期待しているが、コロシアムの運営側からすれば大事な客寄せ道化師であり、金の成る木である囚人をそんなことで死なせることはない。

 死なせるのは舞台の上でだ。

 

 毎日毎日、同じことの繰り返しである。

 彼は死を願っていた。

 毎日毎日、愚直に殺しを繰り返し、願いと祈りを繰り返し、その時が来るのを待っていた。

 しかし、心のどこかで、或いは頭のどこかで分かっていたのだ。

 そう、彼は、ザクロは分かっていた。

 文字通り、死ぬまでこんな日が続くのだと、理解わかっていた。

 その死がどうやって訪れるのか。

 おそらく、彼より強い者が現れるまでこの地獄は続くのだ。


 そして、ザクロのこの考えは的中することになる。

 でも、それは彼の望んだ死とはちょっと違った形の出会いとなって訪れる。

 それも、この翌日あたりに。



***



 「はい、大丈夫ですよ。書き損じ、は、あれ?」


 イオは、【酒池肉林パーティー】を見た後、奴隷へ挑戦する手続きのため、コロシアムの中にある、チケットを買うのとは別の受付窓口を訪れていた。

 そこで、受付にいた男性へ挑戦希望ということを告げると、透明な板の形をした端末を渡されて、必要事項を記入するよう説明を受けた。

 窓口のすぐ前には椅子とテーブルがいくつか用意されていて、そこで記入してくれということだった。

 そうして、名前、性別、出身地、冒険者ライセンスのライセンス番号等などを記入していき、最後に誓約書にもサインさせられた。

 そうして記入終わった端末を窓口の男性に渡すと、怪訝な顔をされる。

 それに慣れているイオは、すぐに故郷で発行してもらった冒険者ライセンスを見せた。


 「あぁ、ごめんごめん」


 「いいえ、よくあるんですよ。すみません、紛らわしくて」


 ライセンスを確認して、窓口の男性がすぐに謝ってきた。

 イオはとくに気分を害したわけでもないので、むしろ本当に紛らわしくて悪かったなぁ、と考えながら逆に謝った。

 そうして手続きを終えると、まるでスーパーのレジペーパーのような紙に印刷された番号札を渡される。


 「はい、それじゃ、午後の部になるから。

 対戦相手は、あの奴隷王希望だなんて、度胸があるね。

 強敵だけど頑張ってね。

 負けても生きてたら参加賞もらえるからね」


 「参加賞? なんですか?」


 「ポケットティッシュと、このコロシアムのスポンサーになってるお店で使える割引き券だよ」


 「おお! じゃあ、頑張って生き残らないと!」


 そう言って、イオはその場を後にした。

 今は午前なので、午後までまだまだ時間がある。

 正面入口まで戻ってきて、午前中の死合のチケットを窓口で購入すると、昨日と同じ売店に行って、ポップコーンとナゲットのドリンクセットを注文した。


 「おや、お兄さん。昨日ぶり。もしかしてハマった?」


 「ええ、賭けはしないんですけど観るのは好きですね」


 「変わってるねぇ」


 「よく言われます」


 なんてやり取りを店員として、注文したものを受け取って席へ向かう。

 今日も安い自由席である。

 たしかにイオは変わっている方ではある。

 しかし、こんな倫理もへったくれも無い殺人、否、殺戮ショーをストレス解消目的で見に来ている帝国人よりはまだまだ普通である、とイオは自負していた。

 普通の定義は人それぞれで変わってくるので、もしこの場にイオの師匠、あるいは同じ釜の飯を食べた同級生がいたならきっと全力で否定したことであろう。

 イオもたいがい変わっている人間なのである。

 というか、誰しもが自分が善人であると、正しいと疑っていないのと同じなのだ。

 誰しもが自分のことを普通だと思っている。

 それだけのことでしか無く、イオもそういう点に置いては普通であった。

 普通に、自分は普通であると思っていた。

 だから、今しがた店員に言われた変わっているという言葉も、イオは聞き流した。

 なぜなら、客観的に見て変わっているように感じられることなど、それこそよくある普通のことなのだから。


 適当な観客席に座り、イオは昨日と同じく現れた画面を見た。

 いろいろ弄って、午後に相手をする、そして、勧誘する人狼の青年の画像を見た。

 彼は武闘派というより、剣が得意なようだ。

 しかし、彼が支給された剣を抜くことはほとんどない。

 なぜなら、剣を使わなくても普通に強いからだ。

 魔物を蹴り飛ばして、観客を守る透明な壁まで叩きつけるくらいの怪力なのだ。

 魔法を使えることも期待しないではなかったが、情報によるとどうやら使えないようだ。

 

 「ってことは、水筒が必要かな」


 イオはすでに彼を負かして、仲間にした未来を見ていた。

 実際に未来が見えているわけではないが、それでも一番理想的な未来を想像していた。

 もし負けたらとか、そんなネガティブな思考はイオは極力しないタイプである。

 だから、基本自分にとって都合のいい、ポジティブなことしか考えないようにしている。

 なぜならその方が楽しいからである。

 この辺は、イオの師匠と、その師匠にむりやり放り込まれた教育機関、F教室の担任でありもう一人の師匠の影響が大きかったりする。

 ちなみに、F教室というのは通称だ。

 別にランクが下だとか、そんな意味はない。

 正式名称がふざけすぎていて、その頭文字をとってF教室と呼ばれているに過ぎない。

 

 「でも、変わってるか」


 イオは少し懐かしそうに呟いた。

 思えば、あの教室にいた面々はみんな変わり者だった。

 楽しかった思い出しかない。


 「みんな元気かなぁ」


 ポップコーンを口に放り込んで、モグモグしながら、イオはしばし思い出に浸るのだった。

 やがて、死合が始まるとそんな感傷はどこへやら、真剣に殺し合いのショーを観るのだった。

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