雨とおばあさんとヒマワリと神様

広河長綺

第1話

私は雨の日に神社に行くと決めている。


ニンゲンがいないから。


ニンゲンが私を視認できない姿を見ずにすむから。


そして「ニンゲンと神である私とは、心が通じあうことはない」という寂しい事実を再確認せずにすむからだ。




もちろんたまに私とお喋りできるニンゲンもいる。


たいていは子どもだ。


例えば2週間前も、神社の境内でうずくまり悩んでいる中学生の少女を見かけて話しかけると、会話できた。


なんでも「初恋相手の性別が女で告白ができない」で困っているらしい。


私は適当に「自分から告白できないなら、あなたと親しくなりたいっていう欲望をほのめかして、相手に気づかせたらいいんじゃないか?」と言ってみた。


ノリで言ったアドバイスだったが、少女の背中を押せたようだ。


「ありがとうございます」と少女はお礼を言い、私の頭に生えた狐耳の間をナデナデしてくれた。


人間目には私は、狐の耳と尾が生えた小学生くらいの子供に見えるらしい。


私に向けてペコリとお辞儀すると、少女は神社から走り去った。




こんな感じで、2週間前のニンゲンとの会話は終了した。


とても楽しかったが、それ以来、会話出来たことはない。


だから低い確率で、しかも短時間しか成立しない「ニンゲンとの会話」目当てに、神社に行ったりはしない。



ニンゲン以外にも神社には面白い物が沢山ある。



例えば、雨自体も好きだ。


湿った土からでる匂い。


石畳を打つ雨の音。


とても心落ち着く。


神界はずっと晴れているので、「雨」を体験できるだけでもニンゲンの所へ行く価値がある。




「雨」のような物は他にもある。


ポイ捨てされた空き缶。


車。


通学路を歩く子ども。




こういう、「ニンゲンにとって当たり前の面白い物」から隔離された、安全でつまらない神界で私は生きてきた。


雨の日くらい羽目を外さないとやっていけない。



だから、今朝、ニンゲン界から雨音が聞こえるや否や、私は「散歩に行ってくるね!」と言って家を飛び出した。


「下界への散歩は、ほどほどにしろよ!」というお父様の小声を背中に浴びながら。



「本当にお父様は、ニンゲンのことになると、小言が多くなるなぁ」

ぼやきつつ、家の門を潜ると、蓮の花が咲く池が見えてきた。



蓮の花は神のシンボルなので、とにかくたくさん咲いている。


私は蓮の池のスタスタ歩いて向こうに渡った。


その先に石段がある。



私も父も、人間からはお稲荷様として祀られている。そして私は阿吽の呼吸の「阿」担当なので、石段を降りると、「神社入り口の2つある狐石像」のうち、口が開いた方の所で私の魂が半実体化するシステムになっている。



この過程は神様と言えど、少し体にダメージがあり、視界が暗転してしまう。


でもその不快よりも人間への好奇の方が強かった。


やがて、少しずつ意識が戻ってきた。



さて、今日は何が見えるかな?


ワクワクしながらゆっくりと目を開ける。



その直後、私は後ろにこけて、尻餅をついた。


私の尻と地面の間に、狐の尻尾が挟まれて、めっちゃ痛い。


こけた原因は、私の視界のど真ん中にニンゲンの老婆の顔があったからだった。


はじめは、ニンゲン世界に私が具現化する呪術的プロセスで、何かトラブルがあったのかと思った。


しかし周囲の匂いを嗅いで、違うと気づく。


この老婆は偶然、私が出現する地点に立っていただけだ。


なにか呪術を使ったのなら、神である私が匂いで気づくはず。


そう推測すると、落ち着いて老婆を観察できた。


年は90かそこら。


腰は曲がり、足を引きずっている。


ビニール傘を持っているが、それすら重そうに見えた。


そして、当然のことながら、老婆のたった数センチ左にいた私に気づかない。


まぁ、大人なので予想通りだ。


こんな普通の大人より、見ていて楽しい自動車とかを探しに行こう。


そう思っていたら、老婆は普通じゃない事を始めた。


ポケットからヒマワリの花を取り出したのだ。




そこから先の行動は、奇怪な儀式のようだった。


まず、ヒマワリの花びらをちぎり、地面に散らせる。


そして、ちょうど右半分の花びらを全て千切ると、花を地面に置き、2個目をポケットから取り出す。


そして、また右半分だけ千切るのを繰り返していく。




…何だこれ。

私は心底困惑した。


儀式のように見えるが、絶対に違う。


なぜなら、儀式や呪いなら、神である私が感知できるからだ。



正体不明の違和感に、心がざわついた。

これは、父に頼ってでも、意味を理解したほうがいい。そんな気がする。


私は今さっき来た道をUターンし、神界にもどった。


案の定父が、呆れた顔で出迎えてきた。


完全にお説教が始まりそうな雰囲気。でも今の私には、父の機嫌を損ねてでも、どうしても聞きたいことがある。


「ねぇ、これってどういう意味?」


ストレートな疑問をぶつけながら、半分だけ花びらがちぎれたヒマワリを渡した。



どうせ説教を先に聞け!と叱ってくると思ったら、父は花を見て驚いた顔をした。それから私の方に顔を向け、


「お前にはまだ教えてなかったな。人間は脆い生き物なので、脳梗塞という血管がちょっと詰まるだけで、脳の一部が壊れる病気があるんだよ」

と、人間のマニアックな知識のレクチャーを始めた。



「何?」私は首をかしげた。「今は花の話でしょ?」


「脳梗塞は脳の一部が壊れる」父は私の抗議を無視して話を続ける。「だから、稀に、脳の認識する部分の一部だけが壊れることがある。そうなると人間は、どうなると思う?」


「…物が見えるけど、認識できなくなる?」


「惜しいな。それは認識する部分のが破壊された場合だ。認識する部分のなので、正解は、視界の一部を見えるのに認識できなくなる、だ。人間の言葉で半側空間無視といい、例えばご飯を左半分だけ食べる人や絵を模写すると半分だけ白紙になる人がいる。、だ」


「お父様の推測が正しければ、今回の花も」


「そうだ。半分だけ千切ることに意味はない。その老婆は脳梗塞で半側空間無視しているだけで、本人は普通に花占いしているつもりだったのだ」


「でも、じゃあなぜ脳梗塞の後遺症があるのに、わざわざ神社まで来て花占いしたの?」


「お前が言ったからだ」お父様は、私を指さした。「お前が、親しく話したいという願望を相手に見せろと言ったから。はやくあの老婆の所へ行ってあげなさい」


その指摘を聞いた瞬間、やっと、私も理解した。


花占いは、「もっと親しくなりたい相手がいる人」がする行動だ。

彼女は「自分には話したい相手がいる」とアピールしていた。そしてその相手というのは、私だった。


彼女は、かつて少女で今老婆であるあの女性は、私が見ていることに賭けていたのだ。


「ありがとう。お父様」


再びあの神社へと向かって走り出した。


石段を駆け下りながら、私は神の力を使って、彼女の人生を見た。


神である私と、人間である老婆とでは、時間の流れが全く違う。


私にとっては2週間でも、彼女にとっては70年に相当する。




私と少女が別れた後に、日本では法律が変わり、同性婚ができるようになり、私のアドバイスで付き合うことができていた2人は結婚し、そのまま幸せな結婚生活を60年ほど送り、最終的に結婚相手が癌で死んだ。


その直後、かつて少女だったあの老婆も脳梗塞を発症し、半側空間無視を患って、それでも私に会いたいという一心で、神社に来ていたらしい。




全てを理解した私は再び神社に着いた。


おそらく人間の側では数日が経っていて天気は雨ではなく曇りだったが、老婆は今日も神社で花占いのアピールをしていた。

恐らく天気に関係なく、毎日来ているのだろう。


私は阿吽のうち、阿の狐石像から離れて、反対側の吽の狐石像の方へ歩いていき、そこで手をふった。


すると、驚くべきことに、老婆は気づいてくれた。


半側空間無視していない側では、私の姿を見ることができたのだ。


よっぽど私に伝えたい言葉があるのだろう。


そしてそれは恨み言なのだろうな、と思っていた。


――ニンゲンである彼女と神である私が心が通じ合うことはない。


きっと彼女は「はじめから結婚しなければ別れが辛くなかったのに」と逆恨みしてくる。


そう予想して身構えている私の元に、老婆は近づいてきて、私の頭の上にそっと手を置いた。


「ずっとねぇ、ありがとうって言いたかったのよぉ」と言い、私を撫で始める。


老婆が手を置いたのは、ちょうどキツネの耳が生えている頭部のてっぺんあたり。


初めて会ったあの日と、全く同じ場所を同じように、老婆は優しく撫で続けた。


私は目を閉じて、されるがままになっていた。

私の目からは、いつの間にか、涙が零れていた。

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