魔女が正体を隠すのは
自分が魔女だとバレてはいけない。魔界に帰る前に、この世界の住人から私の記憶を消さないといけない。そんな魔界の掟には当然しっかりとした理由がある。当然それは自分の正体をバラさないのが魔法少女の鉄板設定だからみたいな、そんなくだらない理由なんかじゃない。
単刀直入に言おう。異世界の住人に魔法の存在を知られるわけにはいかないからだ。
例えば戦国時代に車を持ってタイムスリップしたらどうなるだろう? とても便利な生活が送れるとか、ガソリン切れになった瞬間ただの粗大ゴミになるとか、人によっては答えは色々あるだろう。でも正解は『直ちには何も起こらない』だ。
エンジンで動く乗り物なんか持っていけば、戦国時代の住人に珍しがられるのは間違いない。でもそれだけだ。多くの人に珍しがられて、ひとまずはそれで終わる。何の科学的知識もない古代人に文明の利器を見せたところで、それを真似て車を作れるわけもないしな。ドクターストーンじゃないんだから。
なら戦国時代に車を持っていっても全く問題がないのかと言うと、そんな事は決してない。何故ならそれは『人類はいずれ高速で動く鉄の箱を作る事が出来る』という脅威的な情報を戦国時代の人間に与える行為になるからだ。
人類がこの世に誕生してから車が出来るまで、数万年もの時間を費やした。それを長いと見るか短いと見るかは個人で変わるだろうけれど、少なくともゴールの見えない探究ではこれだけの時間がかかるものなのだ。
しかしもし知的生命体に『車を作れる』と言った情報を与えてしまえば、知的生命体は正史を遥かに凌駕する速度で研究を続け、あっという間に車の発明に辿り着くだろう。知的生命体というのは知能があるなら知的生命体なのだ。
仮にタイムマシンが出来るまで一万年かかるとして、もしも未来人が現代に来てタイムマシンを現代の知識人に見せつけたら。人類は恐らく百年もしないうちにタイムマシンを作りあげてしまうだろう。
この世界ではかつて、アリストテレスという賢者が分子や原子の存在を否定したせいで、多くの学者が長い時間を費やして錬金術による金の錬成を試みる事になったらしい。……が、その結果は現代科学を見ればわかる通りだ。Aという物体を金に変えるなんて、魔法なしで出来るはずもない。
だからと言って、もちろんここに至るまでの錬金術全てが徒労となったわけじゃない。錬金術の研究過程で発見出来た正しい科学知識はあるし、何より錬金術は実現出来ないという偉大な発見を人類は知る事が出来たからこそ、この世界の人類は今のような科学文明を築き上げる事が出来たんだ。
でも、もしもアリストテレスが分子や原子の存在を認めていれば、きっと西暦五百年頃には現代レベルの文明が築けていたんじゃないかって私は思う。数万年の時間をかけてようやくライト兄弟が有人飛行に成功したのに、それからたったの六十年で人類は宇宙まで飛び立ったんだ。ゴールの見えない探究というのは尊い行為だと思うけど、ゴールの見える探究という圧倒的スピードには決して敵わない。そして、魔界はそうなる事を恐れている。
魔法の実在をこの世界の知識人が認知すれば、彼らは驚異的な探究心で研究を重ね、そしていつかは精霊の存在に辿り着くだろう。そうなれば精霊はあっというまに消耗され、魔界のように枯渇していく。異世界の存在を知られて攻め込まれる危険性だってある。だから私達留学生は魔法の存在を秘匿し続けなければならない。魔法を知らない世界に蔓延る精霊を魔界の住人が独占する為にもだ。
……もっとも、秘匿し続けるにもやはり限界というものがあって、隠しきれなかった分は妖怪だの祟りだの言われながら伝説として世界各地で語り継がれる事になっているそうだけれど。
そしてこの掟は、この世界で唯一自分の正体を明かしている身元引受人にだって適用される。彼らが私達を異界出身者として認知出来るのは、私達魔女っ子の留学期間中だけだ。留学が終われば記憶を消され、彼らは再び魔法を知らない普通の人間としての生活に戻る事になるだろう。どんなに仲良くとも、どんなに親しくとも、いつかは私の事を忘れてしまうんだ。
だったら話は簡単だ。この世界で親しい人を作らなければ良い。誰とも関わらず、どんな困難にも自分だけの力で立ち向かえる立派な魔女になれば良い。
……こんな簡単な話なのに。私は一人でいたいだけなのに。この世界の住人はどいつもこいつも私の邪魔ばかりして来るのだからたまったもんじゃない。
私の孤独を邪魔する人間は大きく二種類に分かれる。サチとサチ以外の人物だ。サチというのは本当に厄介な人で、どんなに冷たくあしらってもどんなに素っ気なく接しても、めげる事なく飽きもせず、いつでも私の側に居続けようとする。どうもサチはこんな捻くれた私の事が好きで好きでたまらないらしい。本当に理解出来ない人だ。
……ま。そんなサチより理解出来ない人間が、この世界には数多くいる事をじきに私は知ることになるのだけど。
この世界に来てから四年目の春。小学校四年生までの私とそれからの私では大分人柄が変わったんじゃないだろうか。一年生から三年生までの私は今ほどサチの事を避けてはいなかった。なんせこの世界に来たのが四歳の頃だし、流石の私でもその幼さで異世界に放り出されたら不安にだってなる。
流石に会ったばかりの頃はサチに警戒心を抱いていたけれど、一年も経った頃にはそこそこ良好な関係を築いていた気がする。やっぱり唯一この世界で魔女である事を明かしても良い相手というのが大きかった。……だからこそ自分の正体を明かせないその他の人間には、いつまで経っても警戒心を解く事が出来なかった。
『みほりちゃんも一輪車乗らない?』『みほりちゃん、一緒に帰る?』『ねぇ、夏休みに女子みんなでプール行くんだけどみほりちゃんも来るよね?』
私に興味を持って声をかけてくれたクラスメイトは何人もいた。黒髪とは言え日本人離れした顔付きで、身長も同年代に比べて大分低い。興味を持たれるだけの理由が私にはあった。しかし何年も興味を持ち続けてくれた女子ともなると、その数は途端に少なくなる。当然だ。私は何かに誘われる度に正体がバレるリスクを恐れ『……い、いい』と、ずっとクラスメイトを拒絶し続けていたのだから。
一年生の時はクラスメイト全員に声をかけられた。二年生の時は数人のクラスメイトに声をかけられた。三年生の時は掃除や遠足なんかで同じ班になった子に限り、業務的な話のみ振られるようになった。そしてそれは四年生になってからも同じだった。
『みほりちゃん! 誕生日教えて!』
山瀬恋愛(やませ あいす)、ただ一人を除いて。
多分、よっぽど生徒の少ない田舎の学校でもない限り学年に一人はいるような子だったと思う。やたらクラスの情報通ぶった女子。例えばクラスメイトの誕生日はみんな覚えていて、誕生日になったら真っ先に『おめでとう!』と声をかけて来る子。例えば全てのクラスメイトと一度はプライベートで遊びたがるような子。アイスはそんな気さくで陽気な子であり、そして私はそんなアイスが唯一誕生日を知らず、またプライベートで遊んだ事もないクラスメイトだったらしい。
『……え。や、やだ』
『教えて‼︎』
他のみんなの誕生日を知っているのに、自分の事を全く話さない私の誕生日だけが穴埋め状態なのが気に食わない。何度も遊びに誘っているのに、毎回土日に予定があるって逃げて行くのが気に食わない。アイスはそう言いながら毎日のように私に付きまとって来た。
『おはよ! みほりん』
『み、みほりん……?』
朝、教室で会う度に。
『みほりん、こっちこっち! 一緒に食べよ!』
昼、机を揃えて給食を食べる度に。
『ねえ、みほりん酷い! 何で一人で帰るの? 一緒に帰ろうよ!』
放課後、家に帰る時。とにかくまぁあいつは鬱陶しい奴だったよ。何度拒んでも寄って来る、まるでサチ学校バージョンみたいな奴だった。……まぁ。
『いやーもう四年生かぁ。早いねぇ?』
『そうですか?』
『あーりいちゃんにはまだわかんないか、この気持ち。大人になるとね、一年って本当にあっという間なんだよ』
あんなクソアイスと遊ぶくらいなら家でサチとお喋りしている方がよっぽど楽しかったけど。
『四年生はどう?』
『別に。いつもと変わらないです』
『友達とかは』
『いりません』
『……あはは。そっか。まぁ、そうだよね』
とは言え友達の話になる度に悲しそうな顔をするのだけは勘弁して欲しかったっけ。
四年生も三年生も変わらない。低学年から高学年になった所で変わる事なんて特にない。私はいつも通り一人で生きて、一人で学ぶ。四年生もそんな風に、これまでと同じように過ごすんだ。そう思っていたあの頃の私に新しい風が吹き込んだのは、五月半ばの授業参観日の事だった。
授業参観日といっても特別なことはない。いつも通り学校に行って、いつも通り授業を受ける。その光景を保護者が見ているかどうか。普段との違いはそのくらいのもの。強いて言えば、ふと振り向いたら教室の後ろにはサチが立っていて、目が合った拍子にサチが手を振ってくれて、それを見たらなんか小っ恥ずかしい気分になる、そんな出来事が追加されているだけの事。でも四年生最初の授業参観日は……。
休み時間にトイレから戻ると、アイスとサチが何か楽しそうに話している光景が目に入った。何の話をしているのかはわからない。距離が距離だから話し声が聞こえない。だからと言って話の内容を聞きに行く勇気もない私は、何事もなかったかのように自分の席についた。
その日の帰り道。
『りいちゃん』
『はい』
『んー……んふふっ』
サチはとても嬉しいそうに意味深な笑みを浮かべていた。
『はい?』
『んーん。やっぱりなんでもなーい』
その笑みの意味を知ったのは、それから暫く時間が経った日の事。魔界とこの世界の日数を照らし合わせた際、私の誕生日となる日に知る事となる。
『……』
『ねぇりいちゃんごめーん! お願いだから機嫌直して……?』
その日、私とサチはやや険悪モードだった。事の発端は数分前にかかって来た電話である。電話の相手はアイス。彼女は私が電話に出るや否や『みほりん、お誕生日おめでとー!』と、いつものハイテンションを見せつけた。何故こいつが私の誕生日を知っているんだろう? アイスに問いただした所、どうやら授業参観日にサチから聞いたとの事だった。
『何で勝手に教えたんですか?』
『でも……』
『お誕生日パーティーに呼ばれちゃったじゃないですか』
『そんな事言われたって……』
そう、私は呼ばれてしまったのだ。いわゆるサプライズという奴だ。どうやら授業参観のあの日からサチとアイスは私の知らない所で連絡を取り合い、こっそりと私の誕生日パーティーの準備をしていたらしい。アイスからの用件、それはアイスの家で私の誕生日パーティーを開くから是非来て欲しいというお誘いの電話で、この世界で親しい相手を作る気のない私にとってはこの上なく迷惑な話だった。
『だって……だって嬉しかったんだもん。りいちゃんと仲良くなろうとしてくれてる友達がいるってわかって』
『……』
『そりゃあ友達を作りたくないりいちゃんの事情もわかるけど……。でも、それでも私はりいちゃんに友達が出来て欲しい』
『……』
『お家だけじゃなくて、学校もりいちゃんにとって楽しめる場所になってくれたら嬉しいし……』
『……』
『嬉しいし……』
私は大きなため息をついて、子供相手に正座をしながらいじけるサチに背を向けた。
『こういう時っていつもの服でいいんですか?』
『え……?』
『お誕生日パーティーと言っても同級生同士だし、わざわざおめかしする必要ってないですよね?』
『行って……くれるの?』
『今回だけですよ? また誰かに勝手に私の事を教えたら、次こそは怒り』
電光石火とはまさにこの事だろう。正座していたはずのサチはいつのまにか私を脇に抱えてクローゼット目掛けって猛ダッシュ。
『待っててね! こんな事もあろうかと先月のお給料で可愛いお洋服買ったから!』
『え……サチまた無駄遣いしたんですか』
呆れる私の声なんて興味ないとばかりに受け付けず、一方的に私をめかし込むサチ。こんなイキイキしたサチを見たのは生まれて初めてで、そんな嬉しそうな彼女の言動一つ一つがとても印象深く脳裏に焼きついる。怒りなんていつのまにか吹き飛んでいて、私も思わず微笑んでしまった。
『出来たー!』
そしてついに完成したサチ渾身のコーディネート。七月という夏の暑さにしては若干重ね着が過ぎるような気もするが、まだ熱帯夜になるような時期でもない。多分、私がアイスの家で夜まで過ごすのを考慮してのコーデだろう。両耳から垂れた桜のイヤリングを揺らしながらサチに尋ねる。
『また桜ですか?』
『うん!』
『本当に好きなんですね』
『だってりいちゃんにとっても似合うもん』
私はそうは思わないけれど。むしろ私のような妖艶な女は薔薇の方が似合うくね?
『どうかな?』
『はい。可愛いと思います』
ま、サチが傷つきかねないようなそんな言葉をわざわざ口に出したりはしないけどさ。私がそう答えるとサチは笑顔で私を抱きしめながら頬ズリをして来た。
『りいちゃん。たくさん楽しんで来てね?』
私はため息を吐きつつも、やられたからにはやり返してやるとばかりに負けじとサチを抱きしめ返し、頬ズリをお見舞いしてやった。……多分、その時が私とサチの仲が最高峰だった時。ここから先、私とサチの距離が開き続ける事になるだなんて、この時の私は知る由もなかった。
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