第44話

 彼女は治癒の魔法担当の筈だが、どうやら集中力を切らしてしまったらしい。

 魔法は集中力がある限り使用できる。

 澄香は当初三回分しか集中できなかったが、今は四回使える。

 彼女にその力を与えた地母神の真意は全く分からない。

 それも気になるところだ。

「疲れたの? 立ったままだから?」

 澄香が屈託無く目をのぞき込むから、橙夜はどぎまぎする。

 ちらつくのは彼女の輝くような裸身だ。

 しかし男の橙夜は肉体関係を持った澄香にこんなにどきどきしているのに、当の澄香はまるで何もなかったかのような態度だ。

 あれだけ何度も逢瀬を重ね、恥部を弄び合っているのに。

 橙夜の方は、結ばれてから澄香の一挙一動が気になって仕方がない。髪を掻き上げる、口を押さえて笑う、何かを手に取る瞬間にさえ女の艶が見え、とても正視が出来ない。

 ……女の子って怖いな……。

「うん? なに? 橙夜君」

「い、い、いや、ただみんな治ればいいなって」

「そうね」

 澄香は頬を染めてポロットへの列に目を向けた。

「病院とか、あればいいのにね」

 勢いで口走った言葉だが、澄香は真面目に捕らえたようだ。

「魔法、て便利だけど何かずるい気がする」

「え?」

 澄香の呟きに橙夜は聞き返した。

「だって病気や怪我は大変で、だからみんな気を付けたり苦労したりするわけでしょ? でも力を付けたら魔法で全部解決って、人間の努力を否定しているような気がするの」

 橙夜は納得した。

 彼等が元いた世界に置いて、医学はまだ万能ではない。

 この世界より遙かに文明が進んだ世の中なのに、皆病気や怪我で苦しみ、医師達が必死で快癒のための勉強をしている。

 だがここではそんな努力は無駄だ。

 治癒を司るプリーストが経験を積んでいけば良い。

 後は魔法でぱぱっだ。

 橙夜は勿論タロを思い出す。

 元の世界で彼が失った愛犬。

 魔法があるならその死は回避できたかも知れない。

 ふと、橙夜は魔法が酷くインチキな物だと思ってしまった。

 ……どうして僕等の世界にはないのだろう? あれば病気で苦しんでいる沢山の人達が喜ぶのに……。

 が、不条理に憤る時間はなかった。

 どこからか悲鳴が上がったからだ。

「きゃー! 誰かー!」

 橙夜は地面に置いたショートソードを広い駆け出した。

 何だか酷く暴れたい気分だ。


 橙夜は呆然と『その』光景を見ていた。

 場所は畑で、周りの人々の口から悲鳴とも驚きとも怒りとも取れる声が漏れている。

 ……ええっと……。

 ショートソードへちらりと目を動かし、橙夜は状況を整理する。

 ふくよかな、だが背の小さなおじさんが畑の中で蠢いていた。

 着ている服も髪も長い髭も泥だらけにして。

 どうやら芋が目的らしい。それだけはしっかりと握っている。

 ただ武器らしい両刃の斧は投げ捨てられたかのように、おじさんの横に土にまみれている。 

「ドワーフよ! ……でも……?」

 遅れて駆けつけたジュリエッタも何が何だか分からないようで、口を開けたり閉めたりしている。

 ドワーフ。

 名前は知っていた……勿論、ゲームの知識だ。

 人間とは別の種族で、人より力が優れている故、近接戦闘に向いている。

 大体は陽気で酒が好き……だが、彼が初めて見たドワーフは地面と戯れている。

「芋が盗まれる! なんとかしてくれ!」

 誰かの言葉でようやく橙夜は我に返り、事態を知り畑に入った。

「待ってくれ! この村はこの間酷い被害にあったんだ。まだ育ちきっていない芋一つでも重要な物なんだ……だから!」

「ううう……」

 ドワーフは聞いていたのか聞いていなかったのか、うめき声を上げて戦斧に手を伸ばす。

「トウヤ! 気を付けて!」

 ジュリエッタがレイピアを抜くが、その前に弾けるように立ち上がったドワーフが攻撃してきた。

 がきっ、と斧をショートソードで止める。

 ……ああ。

 橙夜は悟った、話しは無理だと。

 ドワーフの目玉は焦点が合わず彷徨っている。

 正気ではないようだ。

「仕方ない……」

 澄香の献身によりようやく人殺しから立ち直ったばかりの橙夜だが、決意する。

 この世界では戦いに勝ち続けなければならない。

 が、橙夜は次の瞬間凍えた。

 ドワーフの斧が首筋を撫でたからだ。

「わあっ」と彼は後退し、次の一撃をかわした。

「トウヤ!」

 ジュリエッタが抜刀したまま駆け、背後のアイオーンが呪文を唱える。

 が。

 彼女らの参戦の前に、ドワーフはばったりと畑の中に顔から落ちた。


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