197 引っ越し、そして二つの消息②妹の消息

 引っ越しをしてしばらくした頃、テンダーのもとに、また別の手紙が来た。

 何処か気の抜けた様な宛名の文字。

 見覚えがある様な無い様な。

 住み込みのメイドから受け取ると、自室の扉をきっちり閉めてから封を開けた。


 ――親愛なるお姉様


 手紙はそう書き出されていた。



 大変ごぶさたしております。

 お姉様はお元気でいらっしゃいますか。

 その節はたいへんごめいわくをおかけ致しました。

 わたしはいまも病院にいます。

 でも、昔にくらべてとても気持ちがらくになっています。

 食べ物とのつきあいはまだまだです。

 少し気を抜くと頭の中いっぱいが食べ物欲しい、となってしまうので、先生と薬とおはなし合いのくりかえしです。

 この病院にはいったころは本当にひどかったそうです。

 おぼえていないのですが、ベッドにしばりつけられたこともあったということです。

 今のわたしは、あのころのわたしがどうしていたのか、よく思い出せません。

 ただ、すこし前から、わたしの頭も少しずつはっきりしてきました。

 そうしたら、わたしをここに連れ出してくれたのがお姉様だということも、少しずつ思い出されてきました。

 どこからどう、というわけではないのですが。

 とても、今まで、ずっと、ごめんなさい。

 そして、あのとき連れ出してくれて、ありがとうございました。

 お母様が亡くなったという知らせもお父様から聞きました。

 お母様はわたしのこともお姉様のことも何も口にしなかったと聞きました。

 そうしたら、わたしの頭の中もなんとなく晴れやかになったような気もしました。

 お母様が亡くなったことを悲しめないのはどうなのか、と今のわたしの先生に聞くと、


「あなたがそう思ってしまうことは仕方のないことだから気にすることはない」


 そう言われました。

 あれだけかわいがってもらったのに、と言うと、


「本当にそうだったかな?」


と、昔のことを少しずつ先生は聞いてくれます。

 うちは、とてもおかしかったのですね。

 お母様はおかしかったのですね。

 お父様は、弱かったのですね。

そしてわたしには、自分がなかったのですね。

 今ここで、入院しているひとたちと話すときがあります。

 はじめはどこか違う国のはなしのように感じていたのですが、ある時から思うようになりました。

 心配して家族がやってきてくれるのがごく当たり前の家なんだって。

 身分とか、ここでは知らされません。

 わたしの家のこともみんな聞きません。

 病気を治して子供に会いたいと泣く女の人とよく話します。

 わたしの子供たちは、お姉様のおかげでちゃんとした育ち方をしていると夫から聞きました。

 わたしは子供たちの顔も思い出せません。

 でもいつか、会えたらいいなと思います。

いつまでかかるかわかりませんが、わたしが退院することができたなら、ひょうばんだというお姉様の楽に着られるというスカートをつけてみたいものです。


 それではさようなら。

 お元気でいらっしゃることを願って。


 あなたのおろかな妹、アンジーより



 テンダーは読み終えると深くため息をついた。

 ああそれでも、そのくらいには回復したのか、と。

 と、同時にこれからも長くかかるのだろうな、ということを容易く想像ができた。

 ただ、この手紙はテンダーに一つのことを知らせてくれた。

 妹にとってもまた、母の存在は重石だったのだ、と。

 そしてテンダーは改めて母について思う。

 産んでくれたことは感謝する。

 それなりの頭をくれた血をつないでくれたことは感謝する。

 だがそれ以外のことについては、どれだけ負の感情を持っても構わないのだ、と。

 改めてテンダーは大きく声を立ててしばらく笑った。

 それに気付いた彼がやってくるまで、その笑いは止まらなかった。

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