101 帝都中央区第3商業街域第7路305番地の工房①

「それでは仮縫いに行ってきます」

「気をつけて! マダナン夫人は針が怖い方だから!」


 了解しました、と言ってテンダーは用具一式を詰めたバッグと助手を連れて工房を出た。


「確かにマダナン夫人はその意味で仮縫い泣かせですよね」


 裁断した生地などを抱えたポーレはテンダーの隣でそう言う。


「私だって知らないひとが針を自分の近くで扱うのは怖いわよ。叔母様や貴女が使うから平気なだけで。だから最近はお客様によっては先留めを使うじゃない」

「ああ」


 ポーレはテンダーが用具の中にそれを入れていたのを見ていた。

 これから二人が行く「仮縫い」はざっくりと形にした服を客に身に付けてもらった上で、それを実際の身体の線に合わせてまち針を打つのが最大の作業だ。

 そしてその場でまたざっくりと専用の糸で縫う。

 だがそれで終わりではない。

 もう一度身につけてもらい、身体の動きを阻害しないか見るのである。

 この一連の作業を二人で任せてもらえるまでに三年かかった。

 テンダーとポーレが帝都に出てきて四年になる。



 最初の年、叔母の工房には他に職人が二人と弟子が一人の状態だった。

 ポーレは職人見習いとして即戦力になれたが、テンダーはなかなかそういう訳にはいかなかった。

 むしろ叔母の店は服の評判はともかく、経営的に微妙だった。

 テンダーはまず自分のその場での存在意義をそちらに特化させた。


「いいの?」


 叔母はそう尋ねた。


「いいも何も、まず何ができるかといったらそちらでしょうし、それに」


 見渡した工房の様子は明らかに雑然としていた。


「いや、まあ色々やりかけたらつい」


 そう。

 この叔母は思いつくままに試作品を作るのは良いのだが、トルソに着させた作りかけばかりが次から次へと増えて工房を物理的に圧迫している状態だったのだ。

 第五で教えている時にはなかなか見られなかったポンコツぶりにテンダーは驚いた。

 それだけではない。

 毎日の生活が紺屋の白袴、衣食住のうちの衣すら適当になっていた。

 食は言うまでもない。

 他に家庭を持つ職人はともかく、住み込みの弟子も基本的に叔母と同類だったので、彼女達の「生活」はなかなかとんでもないことになっていた。

 そこでまず、ポーレが家事の立て直し、テンダーが工房の経営の把握と見直しをすることになった。


「いやそれはありがたいけど、服作りに興味が出たんじゃないの?」

「無論それはしたいのですが、その前に!」

「失礼ですが同感です! このままでは皆トルソに埋もれて栄養失調になります!」


 オールワークスをやってきたポーレの言葉は大きかった。

 片付けとか整頓というのは、仕事でない限り家主の性質が出る。

 叔母は元々お嬢様、そして弟子となった経緯から、家事とは無縁だった。

 そして性質。


「何故かメイドが居つかなくて」


 理由を聞いてみると、動かして欲しくないものを勝手に「綺麗に」移動させられた時につい怒ってしまうことが多かったのだと。

 テンダーとポーレは自分達の立ち位置を利用してまずそこを改善しようと思った。

 弟子の第五出身、アルカラ・ミュートからの睨みも無くはなかったが、ポーレの作る食事には負けた。


「温かい食事なんて久しぶり」


 そう言って涙を流していたと。

 アルカラもまたお嬢様だったのだ。

 食事はすぐに摂れるものを交代で買い出しに行くばかりだったという。

 そうでなければ外食。

 人数が多くない上に、売り上げが順調だからこそできたのだろうが、それでも経費はかかるし、決して身体にも良くない。

 アンタッチャブルな場所を叔母との交渉で確保したのちに、ポーレが工房以外の場所の大掃除を行った。


「西の対よりは広くないですし」


 数日で住処と台所と食堂が見違えるようになった。

 そしてポーレは胃袋を掴んだ。

 最強の武器を手に入れた彼女は強かった。

 余裕ができてお針子見習いを兼業できるまで半年足らず。

 広い空間を管理してきた日々は流石だった。

 その間にテンダーは胃袋を掴む料理などの資金の流れを帳簿やら領収書やらとにらめっこしてひたすらうなり続けた。


「顧客の方々はこれだけですね?」

「代金の未払いは?」

「夜会服だけの方は?」


 等々を叔母に問い詰め、それらが一目で分かる様にした。

 こちらはやや時間がかかった。

 未払いの家に何度も足を運んだりもした。

 そうでないお得意回りの挨拶も忘れない。

 その時に、新たな需要を耳にすることも。

 テンダーがドレスそのものに手をつけるまでには一年かかった。

 

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