『小休憩』2番目の物語

利糸(Yoriito)

《世界を選ぶ者》第1話

 ふたつの世界がある。

 小さい方の世界は隣に別の世界が存在していることを当然のように知っていたが、もう片方は隣にもうひとつ世界が存在することなど知る由もなかった。

 小さい世界の住人達は隣り合う世界を知ってはいても、関わる術を持ち合わせない以上、それはないも同然の代物だった。そんな中、小さな世界を故郷とする赤みを帯びた短髪の少年は、世界を行き来できる術を持つ数少ない人物だった。

 赤い髪の少年はその術を以て何度か隣の世界を訪問する。

 少年は隣の世界でできた友人達とそれなりに良好な関係を築きながら、それなりに楽しい時間を過ごす。しかし、ふと空しさを覚える。

 どれだけ馴染んでも自分はこちら側の住人ではないのだと。

 そんな酷く空しい気持ちでいる時に赤い髪の少年はひとりの少年と出会う。

 淡い髪色の生気に乏しい、いつも目線を落としているような淡色の少年に、赤い髪の少年は酷く懐かしい気配を感じ取る。

 赤い髪の少年に話し掛けられた淡色の少年は見た目の印象とは裏腹に気さくに言葉を返す。

 淡色の少年と言葉を交わしながら赤い髪の少年は時々、目の前の少年がぼうっと遠くを見ていることに気付く。そんな時、すぐ側にいる筈のその少年の存在を酷く希薄に感じるのだった。

「いつも、何を考えてる?」

 問われた淡色の少年は間を開けてからぽつりと呟く。

「……言っても、きっと分からないよ」

「言う前から決めつけるな」

「きっと後悔するよ」

「俺が? お前が?」

 不満そうな、髪よりも明るい赤色の瞳に淡色の少年は覚悟を決める。

「どこにいても自分のいる場所が自分の居場所だと思えなくて。落ち着かない。安らげない。いつもなんだか息苦しい。君に、この気持ちが分かるのかな?」

 そう呟いた横顔は存在感に酷く乏しく、赤い髪の少年は淡色の少年の腕を掴んでいた。

「来い」

「へ?」

 掴んだ二の腕から伝わる確かな体温と重み。それは、間違いなく淡色の少年がここに存在している証に他ならない。

「お前に見せたい場所がある」


   *


 狭い路地を何度も右に左に折れ曲がる。

「こっちだ」

 淡色の少年は引かれる腕に抗えないまま、先を行く背中を見つめて歩く。

「あ」

 淡色の少年が蹴躓きそうになると赤い髪の少年が掴んでいる腕を引く。

「大丈夫か?」

「うん」

 薄暗い路地を抜けた先、眩しい程の光が差して淡色の少年は思わず目を閉じる。もう大丈夫かと目蓋を押し開いた先、目の前に広がる景色に少年は言葉を失った。

 緩やかな丘陵が連続する大地に咲き乱れる色取り取りの花。その色を映したかのように煌めく空。

 楽園だと淡色の少年は思う。物語に聞くような楽園に足を踏み入れたと。

 風が吹き抜ける。あまりに柔らかく優しい風に頭を撫でられたような気がして、淡色の少年は思わず自身の頭に手をやっていた。

「ここは……」

「俺の生まれた世界。俺が帰る場所」

「髪の色が」

「ああ。元はこの色なんだ」

 赤い髪の少年が赤みの強まった髪を掻き上げる。

「綺麗だね」

 淡色の少年が柔らかに微笑む。

 向こうの世界では終ぞ見なかった笑みに赤い髪の少年は少し照れたように目を泳がせた。泳がせた目線の先、近付いて来る複数の人影に舌打ちする。

「早過ぎる」

 真っ白な、似たようなデザインの服を着た三人の大人がふたりの前で跪く。正確には赤い髪の少年の前で跪く。

「おかえりなさいませ」

「無事に戻られて安心致しました」

「で、ですがっ、他の世界の者を連れてくるのは感心致しません」

「この世界にとって大切な御身。あなた様は自身が次代神官であることを自覚なさっていますか?」

 赤い髪の少年の頬が引き攣る。

「当然だ。わざわざそんなことを言う為にここまで来たのか? ご苦労なことだな」

 少年の嫌味にも真白な服の人々は顔色ひとつ変えない。


   *


 花に囲まれた景色にその建物は忽然と現れる。

 それは、霊廟のようだった。どこか神聖な雰囲気の白い建物の中を淡色の少年は連れられるままに歩く。

 人気のない外壁沿いの廊下。外に面している為、広がる大地に咲き乱れる花々に目を奪われる。暫く歩いた後、とある一室に通される。小さなベッドと対の机と椅子が置いてあるだけの小さな部屋。ひとり取り残された淡色の少年は白装束の人々に連れて行かれてしまった赤い髪の少年を気に掛けながらベッドに腰掛ける。右も左も分からない状態で壁を見上げることしかできない。ふと、ドアに目が吸い寄せられた。

「……」

 何かをしようと思った訳ではない。少年は立ち上がるとそのドアのぶに手を掛けていた。何の抵抗もなく開いたドアの向こうに広がるのはどこまでも続く花の絨毯。それを横目に淡色の少年は部屋の前を横切る廊下を歩き出す。どこに何があるかなんて当然知る由もない。けれど、少年は迷いなく歩を進める。

 導かれるように進んだ先にあったのは入り口のアーチが特徴的な部屋だった。部屋いっぱいに所狭しと飾られた花はどれも生き生きと輝いている。毎日誰かが丹精込めて花を活けていることが窺えた。そんな花に埋め尽くされた部屋の中央には楕円形の箱が置いてある。淡色の少年が覗き込むとひとりの女性が眠っていた。

 その穏やかな寝顔に淡色の少年は見惚れる。

「いいな……」

『次の《世界》はあなた?』


   *


 柔らかな風が吹く。外に面した真白な廊下に花弁が舞う。その廊下にバタバタと足音が響く。

「だから、見張りを付けろと言ったのに!」

 白装束の男が乱暴な足取りで廊下を行く。

 その後を赤い髪の少年が続く。

「必要ないだろ」

「ですが勝手に出歩いているじゃありませんか」

 赤い髪の少年は両サイドを固めるふたりの白装束を睨む。

「あいつは知らない場所で勝手に歩き回るような奴じゃない」

「事実、いなくなっているのですが?」

「……」

「も、問題でも起こされたらっ」

「そんなに活動的な奴じゃない」

「待て、話し声が聞こえないか?」

 靴音高らかに廊下を歩いていた一行は足を止める。

「しまった。ここから先は神聖な場所だ」

「もっと静かに歩かないといけませんね。身嗜みも整えて」

「そ、それよりもここから先には彼女しかいない筈では?」

「何故、話し声が聞こえる?」


   *


「そうなんだ。覚悟? うーん……」

 花に埋め尽くされた部屋の入口に現れた人影に淡色の少年は顔を上げる。

 部屋の入り口で赤い髪の少年と白装束の取り巻きが言葉を失って立ちつくす。

「なんということだ……」

 取り巻きのひとりの呟きに淡色の少年は慌てて、腰掛けていた楕円形の箱の縁から立ち上がった。咎められるのを恐れて小さくなる。

「数々のご無礼をお許しください」

 淡色の少年が何事かと顔を上げると、取り巻きが赤い髪の少年の足元に跪いていた。

「あなた様は間違いなく神官の素質を見出された方」

「違う……」

 自分の足元に跪く取り巻きに赤い髪の少年は眉間に皺を寄せる。

「彼女ももうすぐ寿命です」

「あなたは新たな《世界を選ぶ者》を連れて来た」

「違う! 俺はそんなことの為にこいつを連れて来たんじゃない!」

「そんなこととは」

「だ、大事なことです」

 赤い髪の少年は唇を引き結び淡色の少年に近付く。その腕を掴む。

「戻るぞ!」

「え、嫌だ」

 赤い髪の少年は硬直する。信じられないものを見る目を淡色の少年に向ける。淡色の少年は申し訳なさそうに目を泳がせる。少年はこの世界に残りたいと思っていた。

 白装束達だけが嬉々とした顔で立ち上がる。

「その者には見張りではなく世話係を付けましょう」

「新たな《世界》になる大事な体だからな」

「で、ですね」


   *


 《世界を選ぶ者》とは人としての生ではなく、世界として生きることを選ぶ者のことを言う。

 もし、その声をはっきりと聞くことができるならばその者は同類、ないし限りなく近いものということになる。

 あの場で彼女の声が聞こえていたのは淡色の少年だけだった。

 故に、古くよりのしきたりを守る機関に属する白服達は淡色の少年を次の《世界を選ぶ者》と断定した。


   *


 赤い髪の少年は俯いたまま歩く。

 新たな《世界を選ぶ者》が見つかったことで新たな神官の任命式も近いと、白装束達は当人の意思など意に介さず準備を推し進めていた。

 赤い髪の少年はその衣装合わせを途中で抜け出していた。着慣れない裾の長い神官服をズルズルと引きずりながら外に面した廊下を歩く。自身の足元を見つめながら独り言ちる。

 ―――深く考えてはいなかった、と。

 ただ、淡色の少年に見たことのないものに触れて、感じて、少しでも気晴らしになればいいと思っただけ。まさか、《世界》になることを望むとは思わなかった。そんなつもりではなかった。赤い髪の少年は唇を噛み、前髪を握り込む。

 風が吹く。聞こえた声に赤い髪の少年は顔を上げる。花の絨毯の上に淡色の少年の後ろ姿があった。柔らかに揺れる淡い色の髪。そのまっすぐな、迷いのない後ろ姿に赤い髪の少年は妙な腹立たしさを覚える。

「おい!」

 廊下を外れ、咲き乱れる花を蹴り散らしながら赤い髪の少年は進む。

 淡色の少年は振り返る。

 あと一歩というところで赤い髪の少年は慣れない服に見事に足を取られた。

「だ」

「あ」

 淡色の少年を道連れに赤い髪の少年は派手に倒れ込んだ。色取り取りの花弁が舞う。

「神官様! 《世界》様!」

 側にいた《世界》付きの世話係が慌ててふたりに駆け寄る。

 赤い髪の少年は恥ずかしさと情けなさを気合いで振り切り、なんとか顔を上げる。

「すごい格好だね」

 押し倒された格好のまま、淡色の少年は間近にある赤い瞳を見る。その顔色は向こうの世界にいた時に比べて遥かに血色が良い。

 赤い髪の少年はまっすぐに見つめてくる淡い色の瞳を見返すことができない。淡色の少年の胸に額を付ける。

「……行かないでくれ」

 淡色の少年は胸の上の赤い髪を撫でる。自分の細く柔らかな髪質とは違う、芯のしっかりとした硬めの髪を撫でながら彼女の声を思い出す。楕円形の箱の中から、直接頭の中に語り掛けて来た彼女の言葉を思い出す。


   *


『次の《世界》はあなた?』

「……《世界》?」

『あら、すごい。聞こえるのね』

「聞こえる……」

『じゃあ、やっぱりあなたが次の《世界を選ぶ者》なのね』

「?」

『人として生きるのを辞めて《世界》として生きるの』

「……《世界》」

『魅力を感じる?』

「君が、今の《世界》?」

『そうよ』

「《世界》になるってどんな感じ?」

『うーん。そうね。感覚が広がる感じ』

「へえ」

『と言っても、本当は別にいてもいなくてもあまり変わらない存在なのよ。《世界》になると言っても世界そのものになる訳ではないし。年を取らなくはなるけど寿命が延びる訳ではないし。世界のことを伝える者として信仰の対象になったりはするけど。雨が降るとか、嵐が来るとか分かるだけ。ちょっと便利ってだけなのよね。それを人々に知らせる為に仲介役の神官がいるんだけど。この神官がこちらの伝えたいことをしっかり汲み取ってくれなくちゃいけないのに全然気付いてくれないなんてしょっちゅうで。嫌んなっちゃうわ』

「そう、なんだ?」

『でも、しょうがないのよね。元人間とはいえ私はもう人間ではないんだもの。繋がるのは簡単なことじゃないのよね。あなたはそれを望むのね。なら、私はあなたに伝えなければいけないことがある。その選択をすることは多くの人を、あなたを愛してくれた人達を悲しませることになる。あなたはそういう人達の思いを振り切って自分の願いを優先させることになる。とても、身勝手なことなのよ。あなたにその覚悟はある?』

「覚悟? うーん……」

『よく、考えてみて』

 彼女に覚悟を問われた時、淡色の少年は思っていた。正直、自分がいなくなったところで悲しむ人なんているのだろうか、と。


   *


 それが、どうしたことか。

 煌めく空を見つめながら淡色の少年は赤い髪を撫で続ける。

 まだ、出会って間もないひとりの少年が引き留めようとしてくれている。


   *


 神官もまたこの世界では特別な存在だった。

 神官だけが《世界を選ぶ者》から稀に幽かなイメージを受け取ることができる唯一の存在だった。

 神官は受け取ったイメージから、その日の天気やこれから起こるかもしれない天災を前以って民衆に伝えることを役割とする。


   *


 現在の《世界》の死と共にその対となる神官は引退し、新たな神官の任命式が行われる。


   *


 彼女とは少し言葉を交わしただけなのに淡色の少年はその死を寂しく感じていた。それを何故だろうとひとり思う。

 真っ白な壁、真っ白な床、真っ白な天井、真っ白な祭壇の前で跪いていた赤い髪の少年が立ち上がる。不服そうな顔を隠しもせず、背後に控えていた淡色の少年に近付く。

 見据えてくる赤い色の瞳を淡色の少年は見つめ返す。

「おめでとう。これで君は正式な神官になったんだね」

「ああ、これでもう二度と向こうの世界に行くことはできない」

 赤い髪の少年は淡色の少年を見つめる。平静を装ってはいるものの言い表せない感情を必死に押し殺す。

 そう、今度は淡色の少年の番だった。


   *


 彼女が寝ていた楕円形の箱の中は空っぽで、部屋一杯に飾られていた花も綺麗に片付けられている。中央に楕円形の箱が置かれただけの真っ白な部屋はやたらと広く感じられる。

 楕円形の箱を前に淡色の少年は呟く。

「なんか、棺みたいだね」

 その隣に赤い髪の少年は立つ。

「棺だろ。こんなもの」

「酷いなー。僕これから入るのに」

「やめればいい」

 仏頂面で言った赤い髪の少年に淡色の少年は困ったように微笑む。

 ―――僕は死にたかった訳ではない。人間を辞めたかっただけなのだ、と。

 白装束の取り巻き達が淡色の少年を誘う。誘われるままに淡色の少年は赤い髪の少年に背を向ける。

 向けられた背に赤い髪の少年は思わず手を伸ばしていた。けれど、その手は途中で止まる。

 こちらの世界に連れて来る前の淡色の少年を知っている。暗い瞳、浮かない顔。自分本位に引き止めて、その後の淡色の少年を見届ける覚悟が赤い髪の少年にはなかった。


   *


 箱の中に寝転がった淡色の少年は白い天井を見上げて小さく息を吐き出す。

 赤い髪の少年が箱の中を覗き込む。

「緊張してるのか?」

「多分」

「……」

 返ってこない言葉に寂しさを覚えた淡色の少年は自ら口を開く。

「短い付き合いだったね」

「これから長い付き合いになる」

 予想外の言葉に淡い色の瞳を見開く。

 淡色の少年は思わず微笑むが、赤い髪の少年はどこか堪えるように口を引き結ぶ。

 酷く辛そうな顔をする赤い髪の少年に淡色の少年は少しだけ悲しそうな顔になる。

 それでも少年は深呼吸をして、ゆっくりと目蓋を閉じた。

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