第一章

1

 今年も暑夏に抗う冷気が充満した教室。その季節らしからぬ涼しさと窓を一枚隔てた外には、ユニークな雲が疎らに浮遊する清爽という言葉から絞り出したような青で染められた蒼穹が広がり、燦々たる太陽が人々の願いとは裏腹に一人燥いでいた。でも心做しか緑はより生命力に満ち溢れ煌々としているようにも見える。

 だが俺はそんな景色に目もくれず、時折暑く、時折温かな窓際の席で黙々とノートにペンを走らせていた。


「うっまぁ~!」


 その声に気が付けば隣には桃川莉星りせが立っていた。街を歩けば時折、スカウトの声が掛かるような容姿をした莉星はパックジュースを咥えている。


「ほんとだぁ。すっご~!」


 更に莉星と一緒に居た白波流華がそれに反応した。背が少し低めの彼は童顔を吃驚色に染め俺の手元にあるノートを覗き込んでいる。


「ん? どうしたの?」


 すると今度は前の席に座っていた黒川夏樹が騒ぐ二人へと顔を向けた。今日も髪はポニーテールでキッチリとブレザー制服を着ている。


「なに? なに?」


 そうなれば夏樹とおしゃべりをしていた緋宮真人が食い付くのはもはや必然。両耳に複数のピアスを光らせたショートヘアの少し中性的な彼女は(夏樹の)向かいの席から一歩俺の席へ。


「零がすっげー上手い絵描いてんだよ」


 莉星が指差した手元のノート端に描いていたのは、前の席で真人と話しをしていた夏樹の横顔。


「えー! うっま!」

「でも何で夏樹なのー?」


 ニヤけた表情を浮かべ肘で小突く流華。流石はいたずらっ子と言うか人をからかうが生き甲斐のような奴。そう言うところは見逃さない。

 でもこれと言って意味はないのは確かだ。俺は夏樹へ視線を向けてから答えた。


「ただそこにいたから」

「山かよ!」


 透かさず入る莉星のツッコミ。別にそう言う意味で言った訳じゃないが、間髪入れずに聞こえた言葉はどこか心地好かった。


「――あっ、そーだ。次あたし描いてよ」


 突然そう言うと真人はその場でポーズを取り始めた。


「じゃあオレも! オレも!」

「お前ならすぐ描ける」


 俺は真人に続き自分を指差す莉星をシャーペンで指すと、すぐに夏樹の上に描き始めた。丸を描き棒を足す。おまけに紙パックも。


「うっま~い! 莉星にそっくり!」

「ホントだ。もう写真じゃん」

「へー、私のより上手く描けてるね」


 莉星以外には好評だった。だが肝心の本人はそうでもない様子。


「どこがだよ! ただの棒人間じゃねーか! こんなんオレでも描けるわ」


 そう言ってシャーペンを奪い手に取るとササッと棒人間を描き上げた莉星。


「あたしも描けるよ」

「僕も」

「私も」


 次々と描き足されていく棒人間。

 そしてあっという間にもう四体の棒人間が増えた訳だが、一体を除いて三体は俺が描いた莉星を取り囲んでいた。しかもそれぞれ物騒な物を手に持って。


「おい! 止めろよ。オレをいじめるな!」

「結局お前じゃん」


 少し慌てながら莉星は自分を囲む三体を大量の線で消し去った。そんな彼に対しからかい交じりの野次が軽く飛んだが、当の本人は自分を守り満足気。


「にしてもアンタにこんな特技があったなんてねぇ。知らなかった」

「でも零は人物じゃなくて風景の方が上手いもんね」

「おっ、流石は小学校からの古株コンビ! オレらの知らない事知ってんじゃん」

「所詮、僕たちは高校からの短い付き合いだもんね」


 わざとらしく悲哀そうな表情を浮かべた流華はどこか遠くを見つめる双眸を窓の外へ向けた。


「何なんだよ」

「まぁでも。あたしと夏樹はそんな数年なんて軽々と飛び越えちゃうぐらいの仲だもんねー」


 夏樹へ頬か触れ合う程に抱き付き何故か自慢げな表情を俺らに向ける真人。

 すると横から伸びてきた手が肩を組み、張り合うような距離まで流華の顔が寄ってきた。横目で見てみると流華が間に入り反対側には、同じように肩を組む莉星の姿。


「残念ながら僕らも短くても濃~い時間を過ごしてもうすっかり仲良しだもんねー」

「もう飛び越えてそのまま飛んで行っちまうぐらいな。というかもうオレらはお前たちを見下ろしている」

「どーやらアンタのその目はただの飾りみたいね。気付きなさい。あたしたちが既に上にいるってことを」

「じゃあオレは更にその上ー」

「よーし。こうなったらもうあっちむいてホイで決着つけよう。ほら、二人共こっち座ってー」


 流れるがままその光景を見ていると、流華に誘導され隣の席に移動した二人は机を挟みじゃんけんを始めた。やけに本気で白熱したあっちむいてホイ。


「何やってんだ?」


 俺はつい心の声を漏らす。


「ほんとにね」


 そう返し小さく零すように笑う夏樹。その横顔を見ていた俺はノートの絵に視線を落とした。それからもう一度、視線を上げまた落とす。何度か見比べてみたが見れば見るほど俺の感じた事はより明確になっていった。

 ――あんま似てねーな。

 濃淡で描かれたその絵に視線を落としながらそう思っていると、伸びてきた手がノートを回転させ反対を向かせた。その手を辿るように視線を上げると頬杖を突いた夏樹が改めて絵を眺めていた。


「なんで描くの辞めちゃったの?」


 すると視線はノートに落ちたまま、夏樹はふとそんな事を口にした。


「なんでって?」


 顔は動かさず上目遣いで夏樹が俺の顔を見上げる。


「何で急に描かなくなっちゃったのかなーって」


 それだけを言って視線は再びノートに落ちた。


「あんなに一生懸命描いてたのに」


 俺は返事をする前に、夏樹から窓外へ視線を移動させた。まるで避けるように。


「――別に。ただ……。ただ飽きただけ」


 そう言いながら目の前に広がっていた蒼穹の青さが厭味ったらしく見えたのは何故なんだろうか。

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